一の六 奪還

 こちらから出向いていってやるか。

 黙っていても義手の方から戻ってくるとはわかっているが、在り処が知れているのなら手間をさいてやってもやぶさかではない。

 沙智の道案内で、伊佐那は理津というまじない師のもとにむかった。まじない師ならば、あの義手をうまく扱えているだろう。

「さっきの、すごかったな。こう、さ、ばっさりとさ」

 腰を落とし、刀を握っているふりで沙智は空を切った。伊佐那の真似をして龍を退治しているつもりでいるらしい。

 伊佐那も幼い頃はおかみとの真似をして遊んだものだった。手に握るものは木の枝や竹、時には鍬や鍬といった農具で、遊んでいると畑作業を手伝えと小言が飛んできた。遊び事のようにみえて当の子どもたちは龍を退治してやろうと真剣に思っていたのである。

 しかし、しょせんは子どもの真似事だ。絵空事の龍相手になら木の枝でも何でも振り下ろせるが、大人の背丈以上もある龍を目の前にするとそう簡単にはいかない。恐怖で凍りつき、身動きが出来なくなり、父さんや母さんが龍に食われるのを見ているしかなかった。退治するどころではない。子どもの身軽さで龍の牙を逃れ、身を守ろうとする本能で手が探り当てたもの――後で鉈だと知った――を迫る龍の顔面目がけて突き刺すので精一杯だった。

「その振りでは蠅も振り落とせないぞ」

 沙智は立ち止り、あたりをうかがって適当な木の枝を拾った。木の枝を刀に見立て、沙智は「やあ、やあ」と掛け声をかけながら、ふりまわし始めた。目の前に思い描く龍目がけて振り下ろしているようだが、虫が飛んでくれば虫にむかって、鳥が飛んでいれば跳びあがって空飛ぶ鳥を落とそうとしている。

「遊んでないで、さっさとまじない師のところへ案内しろ」

 急かされ、沙智は木の枝を肩に担いで歩き始めた。

「なあ、あんた、今までどんだけ龍を切ってきたんだ?」

「さあな。いちいち数えてはいないからな」

「両の手は超えるか?」

「足の指も加えておけ」

「すごいな。よく今まで生きているなあ。食われたのは右腕だけなのかあ」

 龍に食われたわけではないが、沙智の誤解は正さずにおいた。

「あの義手、あんたのだったんだな。くず物の山に捨てられていてさ、ぱっと見、生身の腕だと勘違いしたんだ。くず物の山には死体も捨てられているからさ」

「ぶっそうな所だな、くず物の山というところは」

「死人は怖くない。臭いだけだ。腐って臭うから、くず物の山の子どもたちに嫌がられている。あんたの腕は臭わなかったから、喜九が義手じゃないかって言ったんだ。でも毛がびっしり生えている義手なんかあるもんか。やっぱり生身じゃないかってことになったんだ」

「それがどういうわけでまじない師のもとにあるんだ?」

「よく出来た義手に見えなくもないから、相盛に売ったんだ。金が欲しかったから」

「相盛ってあのくえねえたぬき親爺か」

「しぶい親爺でさ。あんたの刀を見つけてどうしても欲しくて、腕と交換でどうだって持ち掛けたら、男腕だから男にしか売れないって半値にしかならなかった。相盛のやつ、後で腕の毛を剃って女にも売りつけようとしてたのにさ」

「あの親爺のやりそうなこった」

「あんた、刀は俺のものだって、相盛と揉めてたろ?」

「あの親爺、盗品だってのに、金払って取り戻せっていいやがって」

「もとは盗品でも市場に出てしまえば売り物だからな」

「金があれば買い戻していたさ。刀も腕も金と一緒に盗まれた。刀は相盛の親爺に売られて、金は使われて、腕は生身だと思われてくず物の山に捨てられたんだな」

「あんたの刀がどうしても欲しかったから、あんたが相盛と揉めている隙に腕と他の物も盗み出したんだ。よそで売って金にしてやろうと思って」

 伊佐那は腹を抱えて笑った。こんな子どもにあのくえない親爺が出し抜かれたとあっては胸のすく思いだ。

「理津ならまじない師だから、ああいう薄気味悪い物を欲しがるかと思って持ち込んだんだ。そしたら、すごく面白がってくれてさ。高い値で買ってくれた。ただの義手じゃないんだろ? あの理津が目の色変えたんだから」

 探るような沙智の視線を伊佐那は避けた。まじない師だけあって理津という人間は義手の正体に気づいたのだろう。理津は理津で、さらに高い値で誰かに売りつけるつもりでいるに違いない。それだけの価値はある代物だ。


 理津の小屋は城壁のほど近くにあった。人目をさけた場所にあるため、近くの土塁は龍の襲撃を受けて崩れているものの、他の家屋は破壊されつくされたのに対し、理津の小屋だけは無傷である。無傷とはいえ、打ち棄てられたあばら屋同然の小屋ではあったが。

「理津!」

 沙智が先頭切って小屋の中へと入って行き、その後に続いた伊佐那は足を止めて袂で鼻を覆った。

 戸口から強い臭いが漏れ出てきた。獣と薬草、生きながら死んでいく肉体の腐敗臭。

 暗い小屋の奥に闇の塊が蠢いていた。肉の腐敗する臭いはそこから強く漂ってきている。

「その声は……沙智と……おや、あちきが頼んだものを持ってきてくれたんだね。いい子だ、沙智」

 闇は、男とも女とも取れない声を発した。

「理津に頼まれたもの? ああ、あの手の他の部分か。確かに、伊佐那はあの手の他の部分だけどもさ」

 沙智が闇に向かって語り掛けた。

「なあ、理津。あの手、あたいが売った手、あるだろ。あれ、伊佐那の義手だったんだ。盗まれたらしくってさ、理津に売ったけど、返してもらいたいんだよ。タダとは言わないよ。銭ならある」

 沙智の合図を待って、伊佐那は銭を投げつけた。龍を退治して得た金だ。

「あの腕はどこだ?」

 伊佐那はあたりを見回した。薄闇に慣れてきた目に床を埋め尽くすほどの壺と天井から下がる薬草や獣の死骸が映るも、腕らしきものは見当たらない。

「お前は……人間か……いや、そんなはずは……」

 伊佐那の体臭を嗅ぐかのように理津が鼻をひくつかせた。

「俺の腕を返してもらおうか」

「お前さんは、あれが何がわかっているのかえ?」

「あれはあんたの手に負える代物じゃねえ」

「甘くみないでもらいたいね。あちきはまじない師だよ」

 理津はからからと笑った。

 小屋の隅でかたかたと乾いた物音がたった。三和土に居並ぶ無数の壺のうち、ひとつが小刻みに揺れ、近くに接する壺に当たっている。揺れている壺はちょうど片腕がすっぽり収まるほどの大きさだ。壺の口から肩、腹にかけて札が貼られている。

「なかなか戻って来ねえと思っていたら、こんな所でとんだ足止めを喰らってたってわけなんだな。しょうがねえから、こちらから出迎えに来てやったぜ」

 伊佐那は壺にむかって歩みを進めていった。

 突然、けたたましい物音がしたかと思うと、頭上から乾いた薬草だの獣の骨などが降り注いできた。それまで泰然として小屋の奥に座っていた理津が立ち上がり、伊佐那と天井から吊り下がるものをかきはらうようにして三和土に転がり落ちてきた。素早い動作で壺をさらい、理津はでっぷりした腹に壺を抱えた。

「嫌じゃ、渡すもんか。これはあちきのもんじゃ!」

 理津は壺を抱えたまま、表へと飛び出していった。

 戸口を一歩出たところで理津が足を止めた。思いの外、明るい日差しに目がくらんだものか、理津は抱えていた壺を落としてしまった。

 割れた壺の中から伊佐那の義手が転がり出てきた。

 指で割れた欠片をまたぎながら、腕は、腰を抜かしている理津のもとへと這っていった。

 剃られたはずの腕の毛は長く伸び、今や腕全体を覆わんばかりだ。長く伸びた爪の先は忌まわしいほどに尖っている。

 腕は、泡をふいている理津にとびかかり、二重にも三重にも肉の重なる首をしめあげた。

 呻き声をあげ、理津はいともあっけなく絶命した。地面には腐りかけた肉のような色の塊がだらしなく転がっている。

 理津を殺したなり、腕はくるりと向きを変え、伊佐那にむかって突進してきた。

「自分の腕を切りたくはないがな」

 伊佐那は野火を引き抜いて構えた。

「おとなしく俺の腕になるんだな」

 野火を腕目がけて振り下ろす。

 腕は軽やかな身のこなしで刃をかわした。身が小さいだけに追うのは難しい。野火の刃先は何度もむなしく空を切るだけだった。

「ちょこまかと動きやがって」

 伊佐那は片手、それも利き手ではない左手のみである。肩で息する伊佐那を愚弄するかのように腕の動きが鈍くなった。それでも伊佐那は腕をとらえられなかった。このままでは決着がつかないとみたのか、とうとう腕自らが野火にむかっていき、刃をわしづかみにした。刃をつかむ指が伊佐那を嘲笑っていた。

 伊佐那も野火を引き抜かないが、腕も手をはなすつもりはないとみえる。刃をにぎりつぶす勢いである。

 かまうものか。

 伊佐那は指先に力をこめた。刃先が指の間にくいこんでいく。肉が裂け、血が流れるが、裂けたそばから傷がふさがっていく。

 この強さのおかげで何度、命拾いしたことか。しかし、今は決着の時を阻んでいる。

 傷口がふさがる前に刃を引き抜く勢いで伊佐那はぐっと切り込んだ。

 手は真っ二つに裂けた。蛇の舌先のようにゆらめきながら腕は伊佐那に襲い掛かってきた。

 宙を飛びながら裂けた手はひとつにつながり、伊佐那めがけて突進してきたかと思うと、喉仏につかみかかった。

 息ができない。

 首の骨がきしみ始める。爪が肉に食い込んでくる。

 目の前が白くなった。

 とたんに、むせかえる。

 喉に手をやり、腕がないと気づいた。

 目の前には肩で荒い息をしている沙智が立っていた。その手に壺を提げている。震えている足元には腕が転がっていた。尖った爪の指先がわずかに動いている。

「札だ、札を貼れ!」

 かすれ声で怒鳴ると、沙智は弾かれたように飛んだ。割れた壺の欠片の間から札を探しだすなり、腕に貼った。腕はぴくりとも動かなくなった。

「何なんだよ、一体……」

「使い方があらいってんで義手に恨まれてるのさ」

 死んだ理津の体から頭の被り物をはぎとり、伊佐那は腕を包んだ。

 腕が、本来の持ち主、鬼の自我を取り戻しつつある。鬼としてよみがえってしまう前に叉和に頼んでつけ直してもらわなければ――。

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