一の五 襲来

 龍の相手をしている方がよほどましだ。

 伊佐那はひとりごちた。

 龍はたたき切ってしまえばいいが、商売人はそうはいかない。人の良さそうな外面でいて、相盛はくえない親爺だった。何だかんだと言葉を弄し、伊佐那に野火を返そうとはしなかった。おのれの刀を目の前に伊佐那は後ろ髪ひかれる思いで引き下がるほかはなかった。

 さて、どうする。

 伊佐那は、市場の隅に行き、地面にどっかりと腰を下ろした。

 盗まれた刀を買い戻すには金が要る。

 龍を狩れば金が入る。

 龍を狩るには刀が必要だ。

 刀を買うには……。

 堂々巡りである。

 龍を狩る以外の金策を考えなくてはならないが、それを思いつく知恵がないから伊佐那は商売人ではなくおかみとなのである。

 あぐらをかき、片腕で腕組みして思案している伊佐那の目の前を子どもが走っていった。その後を男が喚き散らしながら追いかけていった。すりか、かっぱらいにあったのか。龍に親を殺された子の生きる術は盗みか物乞いだ。

 盗みか――

 伊佐那は悪い考えにとらわれた。

 相盛の隙を突いて野火を盗み出すか……。

 魔がさした伊佐那の膝頭に、銭の落ちる音がたった。

 物乞いに間違えられたのだろう、何者かが銭を投げて寄越したのだった。

 その手があったかと心躍らせてみたものの、野火を買い戻す金が積み上がるまでどれほどの間座っていなければならないのか。

「おい、若造」

 長い時を思って伊佐那は途方に暮れている伊佐那の目の前に三本の足が立った。一本は生身、他の二本は木だ。木の二本のうちの一本は杖、もう一本は義足だった。

「どけ。そこはわしの場所だ」

 しわがれ声の男は杖の先で伊佐那の膝頭を突いた。

天地あめつちのどこに座ろうと構わねえだろ。それとも何か、あんたはその天地を創った神さんとでも?」

 見上げた男の顔には深い皺が刻まれている。手入れのされていない伸び放題の髪には白いものがみえる。

「見ない顔だな。新参者か? 新参者なら知らないか。いいだろう、教えてやろう。いいか、若造。物乞いの世界にも定まり事ってもんがある。市場の店がどこにでも出せるわけではないように、物乞いにも座する場所ってのが決まっているのだ。お前が今座っている場所、そこはわしが座る場所だ。さあ、わかったら、今すぐそこをどけ」

「やなこった。こちとら、銭が要るんだ。物乞いでも何でもしないとなんねえのさ」

「ならば物乞いなどせずに働け、若いの。片足のわしは満足に働けんが、おぬしには両の足がそろっておるだろうが」

「あんたは両手がそろっているだろうが」

 伊佐那は右の袖をまくってみせた。

「龍か?」

「おかみとだからな。あんたは?」

 龍に食われたわけではないが、伊佐那は男の誤解をそのままにしておいた。

「女房ともども足を食われた。おかみとが何ゆえ物乞いなどしなくてはならんのだ」

「物乞いをしていたわけじゃねえ。思案していただけで――」

 どん、どどん、と、地が鳴り響いた。腰が浮くような衝撃だ。物乞いの男はとっさに空を見上げた。その唇がわなないている。

 伊佐那はあぐらを解いて立ち上がったかと思うと、地鳴りをした方を目指した。

 龍だ。龍が都を襲っている。

 血が騒いだ。

 食われた村人一人につき、龍千匹。出くわしたら、一匹でも逃すものか。

 

 外敵の侵入を防ぐ壁といえば土塁が常である。しかし、このごろでは石垣が築かれるようになった。都を取り囲んでいる土塁は石垣に変えられつつある。

 龍は、石垣と土塁の境目に飛来し、石垣を築いていた人足たちに次々と襲い掛かっていた。獣はおろか人の侵入でさえかたく拒む土塁や石垣だが、空を翔ける龍の前には無力だ。

 鋭い鉤爪の前足をふりまわし、龍は石垣を破壊していた。地面に落ちた人足を鉤爪の足が踏みしだく。龍に踏まれるもの、崩れた石垣の石におしつぶされるもの、逃げ惑うものたちの怒号と悲鳴があちらこちらであがっている。

 龍の両目はそろっている。奴――隻眼の龍、「一つ目」ではない。だが、龍には違いない。

 るか。

 土塁をかけのぼり、伊佐那は地上を這う龍の頭上めがけて飛び降りた。脳天に刀を突きさし、一気に片をつけるつもりだった。刀も、刀を持つ右腕もないのだったと気づいた時には伊佐那は龍にはねのけられて地面に転がっていた。

 目の前に龍の真っ赤な口の中と巨大な牙とが迫る。

 龍は伊佐那の右腕に食らいついたが、袖の一部を引きちぎっただけに終わった。

「わりい。右腕はもうないんだわ」

 龍は執拗に伊佐那に食らいつこうとする。

 地面を転がりながら、伊佐那は龍をよけ続けた。顔のすぐそばを鉤爪がかすめていき、牙がかちあう音を耳にする。

 刀がなければ手も足も出ない。いや、実際、手がないのだが――

「伊佐那、受け取れ!」

 男の声がしたかと思うと、漆黒のものが宙を舞った。

 空を疾走する鞘を、龍が掴んだ。

「ありがてえ」

 鉤爪に引っかかった鞘から刀身を抜く。

 引き際に、龍の顔にむかって刃を向けるも、わずかに髭を切り落としたに過ぎなかった。龍がとっさに顔を後ろに引いたのだ。

「こっちの考えはお見通しってか」

 野火を宙に投げ、今一度、左手に持ち直す。

 間を置かずに龍が刃につめをかける。

「折れる刀ではないわ!」

 振り払い、返す刀で龍の手を切り落とした。

 空を切り裂く叫び声があった。

「片腕同士、これでやっと同じ土俵で戦えるってもんよ」

 龍は狂ったように伊佐那を襲い始めた。

 長い首をふりまわし、鋭い牙に伊佐那をかけようとする、伊佐那の行く先々に前足をふりおろし、後ろ足を降ろして踏みつぶそうとする、ふりあげた尾で叩きはらおうとする。

 腰を折り、身を屈め、背を反りしながら、伊佐那は龍をかわした。

 かわしながら、その時の来るのを待つ。

 苛立ったかのように、龍が後ろ足二本で立った。体が開いた。

 今だ。

 すかさず龍の懐にもぐりこみ、腹から首へとかけて切りつける。

 悲鳴があがった。

 白い斑の浮かぶ腹に緋色の線がさっと走る。たまらず、龍は空へと飛び去った。

「卑怯だぞ!」

 伊佐那の叫び声は届くはずもない。雲のちらほらと浮かぶ空に龍の姿は溶け込んでいく。見失うまいと、伊佐那は傷――晴天に走る緋色の稲妻を追った。

 線が短くなっていき、点になろうかと思われたその時だった。

 どんっと稲妻の落ちたような音がしたかと思うと龍が地上に横たわっていた。

 わきあがる土埃をはらいながら、伊佐那はたっとかけより、とどめを刺した。

 命尽きた龍の翼には穴が開いていた。

 鉄砲か。

 伊佐那はあたりを見回した。崩れかけた石垣の上に白髪の男が立っている。手には鉄砲を提げ、藤色の着物の裾が揺れている。


「てっきり死んだものかと。お前の刀が市場で売られていた」

 おかみと仲間の由良である。

「盗まれたんだ、洛中の餓鬼どもにな。お前、あのたぬき親爺から買ったのか」

 たぬきとつぶやいて由良は相好を崩した。

「随分とふんだくられた」

「礼は言わねえぜ。もとはといえば俺の刀なんだから」

「この龍を退治した報酬を貰うから構わない」

「おいおいおい。とどめを刺したのは俺だぞ」

「私が翼を撃ち抜かなかったら逃げられていただろう」

「鉄砲――飛び道具ってのは意気地なしの使う道具だ。龍の爪の届かない場所から弾をぶっ放す。刀は相手のふところに入っていって、ばっさりだ。覚悟が違う」

「伊佐那は強いのじゃない。命知らずのたわけってだけだ」

「ふん」

 共におかみとであるが、由良は鉄砲を使い、伊佐那は刀を用いる。

 伊佐那が龍との戦いを「楽しんでいた」ところを、龍の眉間を撃ち抜いた男が由良だった。「お楽しみをぶち壊しやがって」。伊佐那が怒りをぶちまけると、由良は「命を助けた礼なら結構だ」と涼し気に返した。

 またある時。

 一発で龍を撃ち殺す由良が珍しく標的を外した。二発目の弾をこめている間に龍が由良に迫った。弾込めに時間がかかる点が鉄砲の弱みだ。龍と由良の間にすかさず入って腹をずぶりとやって伊佐那は由良を助けたことがある。助けてもらった礼も言わず、由良は白い顔で立ち去った。

 伊佐那は由良とたびたび出くわした。龍のいるところに由良がいる。二人とも龍を狩るおかみとなのだから、龍を追えば由良に出くわす。いたしかたないが、由良が狩ればそれだけ伊佐那の取り分が減るので伊佐那は気に入らない。

 龍に食われてしまえと憎々しく思うも、由良はなかなか死なない。腕のたつおかみとである証だが、それがますます伊佐那の気に入らない。口惜しいが、由良の鉄砲の腕前は伊佐那も認めざるを得ない。

「手こずったな。しばらく会わないうちに腕が落ちたのじゃないか」

「右腕があればさっさと片づけたさ」

 売り言葉に買い言葉、伊佐那はちぎれた袖を振った。

「義手はどうした?」

「寝ている間に盗まれた。刀を盗んだ餓鬼の仕業だ」

「どうせまた、酒を飲み過ぎてその辺で寝ていたんだろう」

 見ていたかのような由良の口ぶりだった。

「あのさ……」

 足元から声がした。見下ろすと十歳ほどの子が伊佐那を見上げている。

「くず物の山で腕を見つけたけど、あれって、もしかして、あんたの義手だったりする?」

「くず物の山だあ?」

「よく出来ていたから、生身の腕だと思われて捨てられたんだと思う」

「沙智、どこに捨てられていたか、場所を覚えているか?」

 由良の問いに沙智と呼ばれた子はうなずいてみせた。

「覚えているよ。くず山のことならどこに何があるか、全部わかっている」

「よし、小僧。そこへ連れていけ」

 伊佐那の気が急いた。騒ぎになる前にあの腕を拾っておかねば。

「覚えているけど、もうそこにはないよ」

「残念だったな、伊佐那」

 由良がにやりと笑った。伊佐那がそう思うように、由良もまた、腕の立つおかみとである伊佐那をうっとおしく思っているのだろう。おのれの取り分を奪う手がひとつ無くなってせいせいするというところか。

「由良、お前、いつか切ってやる」

「やってみろ。お前が切りこんでくる前に撃ち殺してやる」

 藤色の着物の裾をひるがえし、由良はかろやかに去っていった。伊佐那を助けてやろうという気はさらさらないようだ。どの道、伊佐那は由良の助けなど必要としなかったが。

「さて、どうするか」

 思案が我知らずのうちに口をついて出た。すると、沙智が口をきいた。

「くず物の山にはもうないけども、今、どこにあるか、知ってるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る