一の四 まじない師

 沙智は洛外へ向かった。目指すは理津の小屋だ。理津の小屋は洛外にある寺町からさらに外れた場所、都を取り囲む土塁の近くにぽつんと立つ。

 神にも仏にも見放された人間が最後に泣きつくのが理津だ。理津はまじない師だ。まじないに用いるのか、不気味なもの――獣の死骸だとか糞だとかを欲しがり、くず山の子どもたちに駄賃を渡して持ってこさせる。ひょっとすると理津ならば相盛よりも高い値で腕を買ってくれるかもしれない。

 戸を引くなり、臭気が沙智に襲い掛かってきた。獣と薬草と香のような甘い香りがいりまじり、吐き気を催す。袖で鼻を覆いながら、沙智は理津を探した。蔀戸を下ろした小屋は暗く、開け放った戸から入ってくる明かりが小屋の中をほのかに照らすばかりだ。

 床には足の踏み場もないほどに大小さまざまな大きさの壺や甕が置かれてある。天井からは枯れた草花や、獣の死骸、骨が吊るされている。それらを避けながら、沙智は小屋の奥を目指した。闇の極まるそこに理津はいるはずだ。

「お前は……沙智だな」

 高くもなく低くもない、男とも女ともつかない声があがった。理津だ。小屋の暗闇に目と口ばかりの白い顔が浮かんでいる。真っ赤な紅をひいた口は「沙智」という形に歪んでいた。赤錆びた巨大な体がかろうじてみえるが、着物なのか、襤褸をまとって前をあわせているだけかの判別はつかない。頭をぐるりとめぐる大きなつばのついた赤錆び色の被り物をかぶり、額にわずかに黄金に輝く髪が垂れている。

「何か面白いもんでももってきたのか」

「きっと理津の気に入る」

 沙智は、腕を理津の手に握らせた。

 目の悪い理津は汚れた指先を這わせて何であるかを探ろうとしていた。

「人の右腕だ」

「そりゃ、わかる」

 理津は執拗に腕を触り続けていた。

「沙智、これをどこで見つけた?」

「くず物の山さ。理津なら興味をもつかと思って」

「お前にはこれが何に見える?」

「人の腕だ……生身の」

 沙智は、嘘を吐き出し、ごくりと唾を飲み込んだ。

「死体から切り取ってきたのか?」

「その右腕だけ、くず山に捨てられてあった」

 理津は明らかに興味を抱いていた。沙智は好機ととらえた。

「なあ、理津、その腕を買わないか? 理津が買わないっていうなら、薬師あたりに持ち込むけども」

「慌てるんじゃないよ。誰もいらないとは言っていないじゃないか」

 慌てているのは理津の方だった。理津は、背後に手だけをまわし、小さな壺を引き出した。壺から銭を引き出し、理津は沙智に渡した。理津は、相盛よりも高い値を付けた。

「他の部分はなかったかえ? 左手だとか、足だとか、体でも。もし他の部分も見つけてもってきてくれたら、それなりの金を出すぞえ」

 死体が欲しいのかと気味悪く思いながらも、沙智は「わかった」と返事をしておいた。

「沙智」

 小屋を出て行こうとすると、呼び止められた。

「例の話、あちきの下働きをするという話、考えてくれたかいね?」

 目が悪くなってきたからと、理津はくず山の子どもたちを使って獣を狩らせたり、薬草を取ってこさせたり、たまにくずを持ってこさせたりしている。駄賃はいいが頼まれるものが気味の悪いものばかりなので、長く続ける者がいない。客あしらいもうまい沙智を理津は重宝し、下働きをしないかと誘っていた。金も出す、いい着物も着せてやる、米も毎日食える、と、条件はよかった。しかし、気乗りのしない沙智は考えておくと返事をしたきり、誘われたことさえ忘れてしまっていた。

「考えておく」

 同じ返事をし、沙智は小屋を後にした。

 息せき切って戻った相盛の店先から刀は姿を消していた。相盛は満面の笑みで銭を数えていた。

「相盛! ここにあった刀は?」

「はて、どの刀かいね」

「とぼけるなよ。さっき、あたいが欲しいって言ってたやつだよ。ほら、金ならあるぞ」

 沙智は銭をばらまいた。

「一足遅かったな。あの刀ならつい今さっき売れちまった」

 膝から崩れ落ちる思いだった。腹が立ったが、ここは金が口をきく市場なのだ。

「相盛、買っていったのはどんな客だ? 人相は? 男か女か? 齢のころは?」

「なんだ、沙智。買い戻す気でいるのか? あきらめるんだな。あれは売れたんだ。別の刀でもよかろう? どんな刀がいいんだ? 言ってくれたら用意してやってもいいぞ」

「だめだ。あの刀だ。どうしてもあれがいい」

「これだけの銭では買い戻せん。刃だけでも買って、後はくず山で探せ。喜九なら刀だって拵えられるのじゃないか」

「買い戻せないってどういうことだ? 相盛がいった値に足りるはずの銭をもってきたってのに」

 沙智は投げた銭をかき寄せた。理津からもらった分、相盛の店から失敬したものを他の商売人に売って得た銭と合わせても、言われた値をわずかに上回る金を集めてきたのだ。

「沙智が欲しいと言っていたからな、買い手がついても断ったんだよ。でも、そのお人は、それなら倍は出すと言うからな。こちらとしても、そこまで言われたらなあ。よっぽど欲しかったようだったし。沙智が買っても使い物にならんが、あのお人はよう使いになるんじゃろ。お侍さんみたいなお人じゃったし」

 いけしゃあしゃあと相盛は嘘をはいた。買い手の身なりから金を持っていそうだと判断して、ふっかけたというのが本当のところだろう。値札がついていないことをいいことに、相盛は人をみて値を変える。

 沙智は銭を懐に入れ、相盛の店を去った。

「藤色の着物を着た若い男じゃった。まだこのあたりをうろついているやもしれん」

 ほんの少しの良心でも残っていたものか、去り際に相盛が教えてくれた。

 藤色の着物、若い男……。

 市場を行き来する人々の間に藤色の着物の若い男を探した。藤色かとはっとすれば薄紅色の着物であったり、男かと思えば女であったり、人探しは思いの外困難だった。

 藤色の着物、若い男……。

 藤色の着物、肩で切りそろえた白髪の老女……。

 見過ごそうとした沙智の目に刀の鞘が飛び込んできた。その老女は腰に刀を差していた。黒漆の鞘には紋様が浮かんでいた。見間違えようのないその紋様は鞘についた傷だ。

 だが、相盛の話では、刀を買ったのは藤色の着物を着た若い男だという。藤色の着物は着ているが、女、それも年老いた。いぶかりながらも、沙智は老女の後を追っていった。

 老女は店から店へと渡り歩いた。特に何かを買い求めるわけでもない。少しの間、休んでいこうかといわんばかりに店の前で足を止めていたかと思うと、ふたたび歩みはじめるという具合である。店の前で休んでいる間に追いつこうとするも、絶妙の間合いで老女は立ち去ってしまう。沙智は歩みを速めた。それでも、老女には追いつけなかった。気のせいか、老女の足取りも速くなっているようだった。

 老女は市場を抜け、洛中の路地へと入って行った。見失うまいと、沙智は老女の後に続いた。路地を行く老女の足取りはうってかわって軽やかだ。立ち止る様子もなく、路地を行き、辻の角を曲がる。ひるがえる藤色の裾を頼りに、沙智はかろうじて老女の後を追っていた。

 角を曲がるたび、沙智は老女を見失いそうになった。沙智が曲がったころには老女は次の角を曲がりかけている。沙智は足を速めた。

 角を曲がったとたんに、正面から喉元に刀の刃をつきつけられた。すぐ目の前に白髪の若い女の顔があった。目元の涼しい美しい女だ。

「なにゆえ、わたしを追ってくるのだ」

 男の声だった。氷のように冷たい刃はいまにも沙智の喉をかき切りそうだ。刀を買い戻す相談をしたいのだと告げようにも、口を動かせば刃にあたりそうで、沙智は何も言えずにいた。沙智が震えていると、男は刀をわずかに引いた。

「脅かすつもりじゃなかったんだ。あんたが市場で買ったその刀に用があるだけで。ところで、刀をしまってもらえないかな」

「いいだろう」

 子どもの沙智に気をゆるしたのか、男は刀を鞘に収めた。

「それで、刀に用とは?」

「手っ取り早く言う。その刀が欲しい」

「追いはぐつもりであったか」

「違う。金は払うつもりだ」

 沙智は懐から銭を取り出してみせた。

「盗んだ金か」

「稼いだ金だ」

 金そのものは盗んでいないので嘘は言っていない。

「相盛から買い取った値に足りていないのはわかっている。足りない分は龍を倒した金で後で払うから」

「龍を倒す? お前のような子どもがおかみとだというのか?」

「まだ、おかみとじゃねえけども。でも、その刀があったら、おかみとになれる」

「お前に刀は扱えまい」

 男は遠慮なしに笑った。

「どうしてもおかみとになりたいと言うのなら、飛び道具を使うんだな」

「飛び道具?」

「鉄砲だ。鉄砲を使えば、おのれの命を危うくせずに龍を狩れる」

 てっぽう、と沙智は口の中で呟いた。耳にしたことはあるが、目にしたことはない武器だ。くず山でも相盛の店でも見たことがない。

「でも、あたいは刀がいい」

「それだけの銭があったら、それなりの刀が買えよう」

「いやだ、その刀がいい」

「なにゆえ、この刀にこだわる」

「見栄えがたつ」

 男は笑った。しかし、その笑顔はどこか悲し気であった。

「悪いが、いくら金を積まれてもこの刀は譲れないのだ。知り合いの形見なのでね」

「死んだのか、そいつ」

「刀だけが市場で売られていたということは死んだのだろう。せめて刀はわたしが引き取ってやろうと思って、店主のいい値の倍額で買い取ったのだ。先に買い手がついていると言われたのでね」

「それは相盛の嘘だ。他にも買い手がいるんだって言って、値をつりあげる策だ」

 ふと、黒い着物の男が沙智の頭をよぎった。あの男も刀を欲しがっていた。盗まれた刀だと言い張っていたが、相盛は意に介していなかった。難癖をつけて金を払わずに刀を手に入れようとしている輩と見なされたのだろう。

「まあ、よい。どの道、金に糸目はつけぬつもりでいたのだから」

 その時だった。どんっと地響きが立った。背筋を走り、脳天を突くその衝撃の正体を沙智はよく知っている。とっさに身構え、沙智は空を見上げた。ちぎれ雲が空をゆるやかに流れている。

 天を劈く咆哮があがった。沙智は身震いした。龍だ。龍が都を襲っている。洛外の方から耳をつんざく悲鳴が聞こえてくる。

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