一の三 商売人

 襤褸布に腕を包み隠し、沙智は市場へとむかった。

 せめてもの供養をしてやろうと探し出した腕をながめているうちに、邪まな考えが湧き上がって来た。ひとたびその考えにとらわれてしまうと、蟻地獄に落ちた蟻のように、もがいても逃れられなくなった。

 くず物にまぎれている腕は、壊れて捨てられた義手にみえなくもない。義手と偽って市場で売れはしないか。

 買い取り手には心当たりがある。相盛だ。他の店では引き取りを断られるものであっても相盛は買い取ってくれる。どう考えても使い道のない、こんなものが、というものでも買い取るので、くず山の子どもたちにとって相盛は最後に頼るべき商売人である。

 相盛の店には他の店にはない品が並ぶ。鉄くずだとか鍋の蓋だけだとか壊れたものだとか、誰が買っていくんだという物ですら売られている。品揃えは豊富で客足も絶えない。捨てる神あれば拾う神あり、と相盛は言う。物の数だけ客がいるというのが商売人、相盛の算盤勘定だ。

 欲しいものがあれば相盛の店にいけ、とは、市場の常識である。相盛の店で売っていないものはない。店頭になければ、こういう物が欲しいと相盛に告げればいい。数日後には、その物が仕入れられていて店頭に置かれてある。

 相盛は盗みを働いているというまことしやかな噂がある。品揃えが豊富なからくりは、物乞いの子どもを使って、客が欲しいというものをどこかから盗ませてこさせ、それを何食わぬ顔で売っているからだと。客の方もすべてを承知で、あれやこれやと欲しい品物の注文をつける。言葉にはしないが、盗んででも手に入れたいの意味をくみとり、相盛はその品を用意する。「欲しいものがあれば相盛の店に行け」は、相盛なら盗んできてくれるという意味合いだ。

 あくまでも噂である。くず物だろうと何だろうと、相盛は出処を聞かずに買い取る。時には盗品もそうと知らずに買い取っているのかもしれない。相盛にとっては金になるかならないかが買い取りの判断基準だ。

 相盛の店の客ならば生身そっくりの義手を欲しいという変わった人間がいるやもしれない。生身そっくりどころか生身だが、よく出来た義手なのだと言いくるめれば相盛は引き取るかもしれない。

 沙智は腕に鼻を近づけて臭いを確かめた。まだ腐敗は始まっていない。生き馬の目を抜くような市場で生きてきた相盛を騙し通せるか。いちかばちか、沙智は賭けに出た。

「沙智、今日は何を持ってきた」

 相盛が愛想笑いを浮かべて迎え出た。目尻は下がっていても細い目の奥の瞳は沙智の抱えた襤褸包みを見極めようとしていた。

 沙智は襤褸包みをほどいた。相盛の目の前に腕が転がり出、ひぃいと叫んで相盛は後ろに飛び下がった。

「義手だよ、良く出来ているだろ」

「なんだ、沙智、義手なら義手と先に言わんか」

 正体が判明して安心したのか、相盛は腕の上に顔を近づけていた。それでも腰から下は後ろに引けている。

「本当に義手か? わしを騙そうとしてないか?」

「何で相盛を騙す?」

 ひやりとするものを背筋に感じながら、沙智は平静を装った。

「驚かしてやろうというつもりではないんじゃな?」

「もう十分驚いたろ」

「肝冷やしたわ。気味悪い義手じゃな」

「相盛の客なら欲しいという人間がいるかと思って持ってきた」

「おるかいな、こんな薄気味悪い義手を欲しいと思う客なんか」

「なら、他をあたる。じかに薬師に持ち込んだっていいんだ。薬師なら義手を欲しいと思うだろうから」

「まあ、いないこともないじゃろうな」

 とぼけてみせたが、相盛は腕を欲しがっている。はじめのうちこそ相盛にしてやられてばかりだったが、このごろでは商売の心得を身につけ、沙智は駆け引きを覚えた。相盛の値踏みはしぶいので、少しでも引き上げたい。

「いくらで買う?」

「そうじゃな――」

 相盛は値踏みを始めた。細い目だが、見るべきものを見逃さない。

「いい物じゃな。毛も爪も生身そっくりに作られている。皮の張りは生身よりも硬いな」

 生身の腕だと見破られやしないかとひやひやしながら、沙智は値の決まる時を待った。貰うものを貰ったら素早く立ち去るつもりでいる。

 手持ち無沙汰気味に沙智は店頭に並ぶ品々に目をやった。古びた女物の着物、帯紐、櫛、花生けの壺、鍋、碗、塗りの箸……生活に必要なものから贅沢な品まで、相盛の店では何でも揃っている。鍬や鍬の刃のみと使い物にならないものも品として並べられており、くず物の山を彷彿とさせる。くず物なら、金を払わずとも、くず物の山に行けば手に入るのだが。

 甲冑や兜、刀といった武具もあった。困窮した侍が売ったものか、戦で死んだものからはぎとったのか。売る人間も困窮した侍なら、買い求める人間も困窮した侍だ。中に刀があった。さして珍しくはないが、その刀は鞘にきちんと収まっていた。相盛の店で売られる刀は、鞘のない抜き身だけか、刀身のみといった状態で店頭に並んでいるのが常だから、その刀は沙智の目をひいた。

 使い込まれているが、古いものではない。鍔には凝った細工が施されていた。黒漆の鞘には細かい傷がいくつもあり、まるで紋様のようである。

 沙智は、刀を鞘から抜いた。日の光をうけ、刃はぎらりと光った。表にはさざ波のような紋様が浮かんでみえる。刃先は風ですらも切り裂けると思われるほどに鋭い。この刀でならば龍の硬い皮膚を貫けそうだ。龍を狩る刀。龍の二、三匹も狩れば、しばらくの間遊んで暮らせるほどの金が手に入る。沙智は身震いするほどの興奮を覚えた。龍を狩るための道具を今、手にしている。おかみとになる機会がめぐってきたのだ――。

「相盛、これ、いくらだ」

「売り物に触るんじゃないよ」と、相盛は刀を沙智から取り上げた。

「お前の手の届く代物ではないわな」

「なら、その義手と交換でどうだ?」

「半値にもならんわ」

 相盛は鼻で笑った。

「そら、義手の分の金だ」と、相盛は銭を投げつけた。

「これだけか?」

 期待していたよりも少ない。沙智は不満な表情を浮かべた。

「いい物だって言ったじゃないかよ」

「良い物さね。だが、男腕だから男しか使えん。こんな毛むくじゃらな義手、おなごは使わんだろうから半値じゃ」

 ないよりはましだと沙智はおとなしく引き下がった。そもそも売りつけた物は義手ではない。露見する前に沙智は相盛の店を立ち去った。

 離れがたい思いからか、足取りは重かった。相盛の隣の店、そのまた隣の店の前をゆっくりと行く沙智は、刀の面影にさいなまれた。

 天を突く刃先、さざ波の紋様……あの刀が欲しい。あの刀でなければならぬ。あの刀を龍の首に振り下ろすおのれの雄姿を夢想した。その夢は悪夢のように沙智を離れなかった。

 おかみとはくず物の山に生きる子たちの憧れだ。おかみとになれば、金が手に入る。欲しいものを欲しいだけ買える金だ。必要な物はくず山で手に入れることは出来ても、欲しい物は難しい。欲しい物を手に入れるには金がいる。時たま拾う金とは比べものにならないほどの金が。おかみとになれば、金は自由自在だ。

 金は力だ。金さえあれば何でも出来る。くず物の山で生きる沙智は、金の力をいやというほど知っている。金さえあれば、洛中で生きていける。金がなければ一生、くず物の山で終えるはめになる。

 沙智は数えで十四になった。十を越えてくず物の山にいる子は少ない。男にはおかみとという逃げ道があるが、女ならば下働きを一生か、器量がよければ遊郭に出て客を取る。沙智は下働きも遊女もどちらも嫌だった。かといって喜九のように手先が器用でもない。おかみとになって金を稼いで――

 あの刀さえあれば――

 刀が糸口になってくず物の山から脱け出せるかもしれない。

 あの刀が欲しい。あの刀が欲しい。あの刀が欲しい。

 いつしか沙智はふらりと相盛の店に舞い戻ってきていた。

 店先には黒い着物の男が立ち、相盛と言い争っていた。なにとはなしに聞いていると、男は売り物について相盛を追及しているらしい。

「俺の刀だ。返してもらおうか」

「売りもんですよ。欲しければ金を払うんですな。それが市場の約束事だ」

「盗人猛々しいな」

「人聞きの悪い。なんだって、盗まれたものだって判るんです」

「名が……刻んである。俺の名だ」

「曽久……という」

「曽久……それが旦那の名だという証はあるんで?」

「証のたてようがない。名をくれた親は死んだ」

「旦那……嘘言っちゃなんねえよ。あっしが何も知らないとでも? 曽久といやあ、名だたる刀鍛冶だ。曽久と銘の打たれた刀をこちとらいくらでも見て来たんだ。それもみんな、旦那の刀だっていうんですかい?」

「曽久の打つ刀は二つとない紋様を生む。俺の刀は炎の紋様だ。鞘から出して見てみるといい。見てから炎のようだと言ったのじゃないかと言うなよ」

「あっしには波にしか見えませんがね」

「返してもらおうか」

「金を払えば売りますよ」

「盗人に払う金はない」

「あっしが盗んだのじゃないんで」

「盗品を買って売れば盗人も同然だ」

「盗品とは知らなかったんですよ」

 相盛はのらりくらりと男の追及をかわしている。

 盗まれたものだと言われて、はい、左様ですかと素直に品物を渡す商売人はいない。取り戻したかったら、金を払う他はない。男は金を払いたくないようで言い争いを続けている。

 相盛が男にかかずらっている隙をつき、沙智は店の裏へまわった。買い取ったものの店頭にはまだ出していない物が一時的に置かれてある。ありとあらゆるものが、あるべき姿であれ、かつての姿を失った形であれ、ところ狭しと積み上げられている様子は、くず物の山そのものだ。

 沙智は店頭をうかがいながら、めぼしいものを漁った。他の商売人のもとに持ち込んで金になるもの。晴れ着、派手な帯紐、櫛……それらを売って刀を買えるだけの金を作るつもりだ。

 急いで立ち去ろうとする沙智の目が生身の腕の存在をとらえた。ぎょっとしたのも当然だ。腕の毛が剃られ、よりいっそう肌の生々しさが際立っている。毛を剃って女にも売りつける相盛の算段なのだろう。

 沙智は腕を取り上げ、着物に包んだ。相変わらず相盛は男と言い争っていて、沙智には気づいていない。沙智は身をかがめ、相盛の横を通り抜けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る