第44話

44 エピローグ1


 ロックがベイカー街の下宿へと戻ると、軒先にはハニーがいた。

 脚立に乗って、「よいしょ」と木の看板を掛けている。


 その看板には『ロック探偵事務所』とあった。

 「おい」とロックが声を掛けると、ハニーは汗を拭いつつ振り向く。


「あ、お帰りロック君、遅かったね」


「テメェ、なにしてやがんだ」


「なにって、ロック君はここで探偵事務所をやるんでしょ?

 なら看板くらいはあったほうがいいと思って、あたしが作ってあげたんだよ。

 あたし料理とか裁縫は下手だけど、木工は得意なんだ」


 得意気に胸を反らすハニーに、苛立ちを隠しきれないロック。


「テメェ、葬式にもいねぇと思ったら、こんなことしてやがったのかよ……」


 するとハニーは「えーっ」と、さも心外そうな顔をする。


「だって、行っても意味ないって言われたんだもん」


 下宿人のひとりがいなくなったというのに、ため息ひとつつかないその態度に、ロックはついにキレしてしまった。


「ふざけんな、テメェ! そんなふざけたことを抜かすヤツは、どこのどいつだっ!?

 このおれが、ぶちのめしてやらぁ!」


 ハニーは「あの人」と指さす。

 その指先を視線で追うと、そこは中庭だった。


 外にあるテーブルに、できたてのような湯気をたてているパイを並べている、背の高い人影。

 黒い燕尾服に白いエプロンという、不思議な取り合わせのその人物は……。


「わ……ワット!?」


 わっと声をあげるロックは、まるで幽霊でも見たかのように固まっていた。

 声に気付いたワットは「ああ、おかえりなさい」と、ロックたちのほうを見やる。


 いつもとかわらぬ微笑みで近づいてくるワットに、ロックは思わずあとずさりしてしまった。


「て……テメェ……!? い、生きてやがったのか!?」


「はい」


 「それがなにか?」みたいなニュアンスの返事のワット。


「帰りが遅いのでハニーさんと心配していたんですよ。まさか最後まで葬式に参列するんじゃないか、って」


 「あ……当たり前だろ!?」と即答するロックに、「やはりそうでしたか」と困り眉になるワット。


「その様子だと、本気で気付いていないようですね。見破るタイミングはいくつかあったというのに」


 状況がまったく飲み込めていないロックは、「なにをだよ!?」と怒鳴り返すだけで精一杯。


 ワットは「まず1点め」と人さし指を立てる。


「わたくしはセブンオーセブンさんに胸を撃たれてしまいましたが、その部位はセマァシーの潤滑オイルが入ったタンクでした。

 色と匂いは血に近くなるように加工してありますが、観察してみればオイルであることがすぐにわかります」


「あ……あの時、もう助からないとか抜かしてやがったのは、猿芝居だったのかよ!?」


「はい。その猿芝居すらも見抜けないだなんて、まったく……」


 ワットはやれやれとお手上げのポーズを取る。

 隣にいたハニーはこのことをすでに聞いているのであろう、同じようにお手上げポーズをマネをしていた。


 青筋を立ててプルプル震えるロックに向かって、ワットは立てた人さし指に中指を加えたVサインを作る。


「そして2点め。こちらはもっとあからさまでしたので、気付いていただけると思っていたのですがね。

 今日、ハイゲート墓地で行なわれた葬儀で、わたくしの墓の隣に、もうひとつわたくしの墓があるのに気付きませんでしたか?」


「な……なんだとぉ!?」


「わたくしは、過去にも死を偽装していたのですよ。せっかくですから、今回もと思いまして」


「なんだってそんなことを!?」


「死んだことになっていたほうが、いろいろと都合が良いことに気付いたのですよ。

 今日の葬儀には、裏社会の人間が多く集まっていたでしょう?

 わたくしの死を裏社会に広く知らせるために、噂を流させていただきました」


 ロックはもはや言葉もなく、呆然と立ち尽くす。

 手に持っていた傘も「こちらの傘は返していただきますよ」と、あっさり奪われてしまう。


 「て、テメェっ!?」と我に返るロック。


「わたくしからの最後の問題を見破ったら、傘はそのまま差し上げようと思っていたのですが、さっぱりでしたので。

 まったく、今回の事件でロックの探偵ぶりを拝見しましたが、9点というところですね。

 あ、100点満点でですよ」


「低っ!? 前の7点から2点しかあがってねぇじゃねぇか!?」


「はい。ロックはまだまだ未熟で、一族最低の探偵であることは疑いようもありません。

 ですのでこのベイカー街で探偵を続けて、腕を磨くしかないようですね」


「ふざけんな! 誰が探偵なんかやるかよっ!」


「おや? もうお忘れですか?

 あの時、『これからもずっと、それこそ一生探偵をやる』とわたくしと約束したではないですか」


「あ……あの約束はナシだっ! ナシだぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


「あ、そうそう、そんなことよりもお昼にしましょう。

 せっかくの焼きたてのパイが冷めてしまいますからね。

 今日のパイは腕によりをかけましたから、とっても美味しいですよ。

 探偵を続けるかどうかを決めるのは、それを召し上がってからでも遅くはないでしょう?」


 パイのいい匂いが漂ってきて、ロックも「そ……それもそうだな」と、満更でもない様子。


「しかしワットさんってばすごいよね!

 そろそろロック君が帰ってくるだろうってパイを焼き始めたら、ドンピシャだもん!」


「わたくしにとっては初歩的なことですよ」


 笑顔で中庭のテーブルへと向かう、ワットとハニー。

 ひとり取り残されたロックは「な……なんか納得いかねぇな……」と、ちょうど鳴り始めた腹を押えていた。

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