第43話

43 ワットの想い


 耳をつんざく銃声に、思わず目を閉じてしまうロック。


 流れ星が落ちたような気配に瞼を開けると、セブンオーセブンとの間に割り込むような形で、ワットが立っていた。


 セブンオーセブンは、別れの挨拶をするように片手を挙げると、腕時計からワイヤーを射出。

 ワイヤーを梁に絡めて巻き取り、その力で天井へと昇っていく。


「償いは、たしかに頂いた。では、グッナイ」


「テメェ、待ちやがれ!?」


 しかしロックの足はもうピクリとも動かない。

 ぐらりと倒れてきたワットの身体を受け止めると、燕尾服の胸には丸い穴が開いており、ワイン樽のように赤い液体があふれ出していた。


「わ……ワット!?」


 滲む汗の向こうで、ワットは笑みを浮かべていた。


「や……やっと……名前で、呼んでくれましたね……」


「なに言ってんだよ!? おれをかばって撃たれるだなんて、バカなことしやがって!

 らしくねぇんだよっ! 待ってろ、すぐに救急車を呼んでやっからな!」


 這ってでも通りに飛びそうとするロックを、ワットは息も絶え絶えに呼び止めた。


「その必要は、ありませんよ……。この出血では、もう、助かりませんから……。

 医者であるわたくしには、わかります……」


「チクショウ! なんでこんな時に限って、セマァシーじゃねぇところをやられちまうんだよっ!」


「そんなことより、聞いてください、ロック……。

 探偵を、やってもらえませんか……」


「なんだと!?」


「あなたがまだ、6歳だった頃……。先代が、ベッドで眠るあなたを抱きあげながら、こうおっしゃったのです……。

 私は探偵としての栄光を求めるあまり……。人として、一番大切なことに気づけずにいた、と……。

 しかし、この子は違う……。この子は、人として大切なものを持っている、と……」


「人として、大切なもの……!?」


「はい……。それは、弱き者たちへの愛と、どんな強大なる権力にも屈しない勇気……そして、自分の正義を貫く信念……。

 悪を打ち砕くためなら、金も、地位も、名誉も、すべてかなぐり捨てられる、この子こそが……。

 我が一族最高の探偵になれるであろう、と……」


 その時、セブンオーセブンが聖堂から脱出したのであろう、天井のステンドグラスが割れ、ふたりに破片が降り注いだ。

 七色の月明かりに包まれたふたりは、悲しいほどに美しく見えた。


 「雨が……降ってきましたね……」と、ワットは傍らにあった愛用の傘を、ロックに手渡す。


「こちらを、どうぞ……。こちらは、最後の1本ですから……。

 大事に、してください、ね…………

 わたくしには、もう……必要の、ないものですから……がはっ!」


 血を吐くワットに、「もういい、しゃべるな!」とロック。


「そろそろ……お別れの時が来たようです……。

 ロック……最後に……先代と、わたくしの願いを聞いてください……。

 どうか、ベイカー街で、探偵に……。

 あなたが探偵になれば……このロンドンは、救われます……」


「わ……わかった! 探偵だってなんだってやってやる!

 これからもずっと、それこそ一生やってやる! だからもう、黙って……!」


 ロックは傘ごとワットの手を握りしめる。

 ワットは月の光を浴びるの海のように、密やかに輝く瞳を細め、微笑んでいた。


「よかっ……た……」


 ワットは瞼を閉じると、ロックの腕のなかで、眠るように動かなくなる。


「お……おい!? おい、ワット!? じょ……冗談よせって……!

 テメェは、殺しても死ぬようなタマじゃねぇだろ……!?」


 涙声でワットの身体をゆさぶるロック。

 しかしもう、応えはなかった。


「お……おいっ!? ふざけてんじゃねぇぞ……ワット……!?

 目を開けろって……! おいっ! おいっ! おいいっ!」


 激しく揺さぶるその肩が、ガッと掴まれる。


「や……やめるであります! そちらのワットさんは、もうお亡くなりに……!」


 気がつくと周囲には、ドストレート警部と警官たちがいた。

 通報を受けて駆けつけてきた警察は、ホワイトキャップだったようだ。


 ロックは「うるせぇっ!」とドストレート警部の手を振りほどく。

 雨が差し込みはじめた聖堂の中心で、最高の仲間が死んだオオカミのように、闇に向かって吠えていた。


「……うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 トマス聖父とワットとの別れは、日と場所を分けて行なわれた。


 トマス聖父は生前からの希望で、聖堂の裏手に埋葬。

 多くの娼婦やこの孤児院で巣立った子供たちに見守られながらの葬儀となった。


 そしてワットは、ロンドン北部にあるハイゲート墓地に埋葬される。

 ハイゲート墓地は観光名所としても有名だが、ワットの墓はツアーガイドですら知らないような敷地のはずれに作られた。

 葬儀には、裏社会の人間とおぼしき者たちが大勢訪れ、中には見覚えのある姿もあった。


 ショーンやトニーのロック団、子供ながらに死を悼むウイリアム。

 男泣きのドストレート警部、誰よりも悲しんでいるイグザミナ。


 「ヤツも、今度こそくたばっちまったか……」と十字を切るクスクス。


 ロックは通りすがりの部外者のように、参列者たちからだいぶ離れた場所にいた。

 ポケットに片手を突っ込んだまま、ワットが土に還っていく様子を眺めている。

 もう片手には、ワットの形見の傘が握られていた。


 泥沼のような色をした空からは、赤子がグズついているような小雨がずっと降り続いている。

 その長い雨のせいで、参列者たちはみな傘を差していたが、ロックだけは傘をさすことをしなかった。


 葬儀が終わる頃に、雨はあがる。

 空は鉛色に変わり、弾痕のような雲間からは、天国に繋がるハシゴのような光が差していた。

 舞い上がっていく光の粒子たちを、ロックは遠い地に旅立っていく仲間を見送るような目で見上げていた。



 ――アイツはおれとちがって、地獄に行くようなタマじゃねぇ。

 骨董品みてぇな銃で空を撃ち抜いてでも、天国に行くだろうさ。

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