第41話

41 無鉄砲10倍


「これでわかったかね? 身の程というものが」


 ステッキをムチのように手の中でパシンパシンと打ち鳴らし、ゆっくりと近づいてくるセブンオーセブン。

 彼の身体には、返り血ひとつついていない。


 それとは逆にロックとワットは血とアザだらけで、見るからに満身創痍。

 ふたりは無意識のうちに、お互いを支え合うようにして立ち上がっていた。


 ワットには、身体の傷を癒すセマァリンがある。

 それを使えばロックの負傷を軽減できるのだが、今それをやるのは難しかった。


 セマァアリンの最中は被術者も施術者もしばらく動いてはならず、動いてしまうと癒しの効果は現われない。

 そしてセブンオーセブンは、ワットのセマァリンの効果をよく知っているはずなので、きっと全力で妨害してくるだろう。


 ワットは考えあぐねた挙句、ロックに目配せする。

 言葉の会話は噛み合わないふたりだが、死地に立たされると、目だけで会話ができるようになっていた。


『ロック、このままではふたりともやられてしまいます。ここは、力を合わせましょう』


『チッ、しょうがねぇなぁ……なにか、考えがあるのかよ』


『いいえ。しかしひとつだけハッキリしていることがあります。

 セブンオーセブンさんの頭の中には、膨大な数の戦闘パターンがインプットされているようです。

 それに当てはまる動きをしている以上、わたくしたちの攻撃は通用しないでしょう。

 ですから彼のパターンにはない、独自の攻撃方法をする必要があります』


『なんだ、そういうことならおれに任せとけ。相手の意表を突くのは得意なんだ。

 いいか、おれの言うとおりにしろ』


『えっ……それは、傘を武器にする以上に気の進まないアイデアですね……』


「アイ・コンタクトは終わったかね?」


 セブンオーセブンのその言葉に、被せるようなタイミングでロックとワットは覆い被さるように飛びかかっていく。

 さもつまらなそうに「ふん」と、吐いた鼻息で髭を揺らすセブンオーセブン。


「やれやれ、これもパターン通りか」


 しかしその顔に、予想だにしなかった新風が浴びせられた。

 バッ! と開いた傘で視界が埋め尽くされ、ロックとワットの姿が見えなくなる。


 次の瞬間、傘の生地が拳の形に伸びてきて、セブンオーセブンの鼻先を捉えていた。


 ……グッ……シャャァァァァッ!


 白磁のエッグスタンドに乗せられた卵、その高級そうな台座ごと叩き潰したような音が、聖堂のなかに反響する。

 ワットが傘を閉じると、鼻血を噴水のように吹き出しながら、のけぞりよろめくセブンオーセブンの姿が。


 鮮血に染まるワイシャツに、全財産を落としたかの悲鳴をあげている。


「のっ……ノォォォォォーーーーッ!? サヴィル・ロウで買った、一点モノのヴィンテージシャツが!?

 我輩のセマァペディアには不可能という文字がないのと同じように、流血という文字もありはしなかったのに……!?」


 「許さんっ……!」と顔をあげたセブンオーセブンの前には、健闘をたたえ合うように肩を組んだロックとワットがいた。


「だいぶ男前になったじゃねぇか、ケツアゴスパイ」


「それなら映画にも出演できそうですね」


「ああ、やられ役としてな」


 セブンオーセブンの顔が、伝説のスパイのそれに変わっていく。


「ふむぅ……! この我輩を、ここまでコケにしてくれたのは、キミたちふたりが初めてかもしれなくもない……!

 ならばこの我輩も、本気で遊ばせてもらうことにしよう……!」


 身構えるロックとワット、瞬きよりも速く迫って来たセブンオーセブンを、傘を開いて迎え撃つ。

 しかしセブンオーセブンは、「バカのひとつ覚えか」と、瞬間移動したようにロックの側面に回り込んでいた。


 ロックがその気配に気付いたときにはもう、セブンオーセブンは第1打を打つゴルファーのように、ステッキを振りかぶっていた。

 ストップモーションの世界で、伝説のスパイは残忍な笑顔を浮かべる。


「ドッグレッグ・ショット……! さぁ野良犬君、我輩の馬となれっ!」


 振り下ろされたステッキの柄が、ロックのくるぶしをゴルフボールのように捉える。

 ロックは足払いを受けたように横滑りに倒れ、まるでセブンオーセブンの靴を舐めるようなポーズで這いつくばった。


 その背中を、セブンオーセブンは容赦なく踏み越える。

 そして今度はロックの隣にいたワットめがけて、ステッキを上段にに振りかざした。


「ニアサイドフォアハンド・ショット……! そろそろリタイアメントだ、闇医者君……!」


 袈裟斬りのような一撃が、ワットの肩をポロの球のように捉え、打ち砕いていた。

 ワットは苦悶に肩を押え、突風になぎ倒された柳のごとく床に伏す。


 その間、わずか2秒。

 しかしそれで終わりではなかった。


「我輩のキリング・ショーは、スポーツと同じ……!

 そして、いつでもスリーミニッツ! 残りの1秒は、フットボールといこうか!


 セブンオーセブンは、マークをすべて振り切って敵ゴールに乗り込み、キーパーですら抜き去ったストライカーのごとく、華麗なるステップで片脚を振り上げる。


「インステップ・シュートっ!」


 真下にいたロックの腹を、足の甲で高く蹴り上げた。


「はぐっ!?」


 ロックは穴が開いたような悲鳴とともに、バナナシュートじみた軌道で吹っ飛んでいく。


「そこからの、アウトステップ・ヒールシュート!」


 セブンオーセブンは蹴った勢いを利用して身体を回し、振り向きざまにカカトでワットの脇腹を蹴り上げた。


「がっ!?」


 重量のあるワットは吹っ飛びこそしなかったが、弾丸シュートのように地を滑っていく。

 ロックとワット、ふたりともネットを揺らすボールのように壁に叩きつけられ、ずるりと崩れ落ちていた。


「テン・カウントのゴングはなしだ。そのまま寝ているがいい。

 そうすれば、苦しまずにこの世からリング・アウトさせてやろう」


 セブンオーセブンは最後の時を刻むように、コツ、コツと靴を鳴らしてロックとワットを追いつめていく。


 圧倒的な強さであった。

 並の人間なら絶望のあまり、もはや生きることをあきらめるような状況であろう。

 しかしロックは、「ちくしょうっ!」と頭を振って、混濁しかけた意識を無理やり取り戻していた。

 そしてペッと血を吐き捨てると、


「やられ役のクセして、なかなかやるじゃねぇか! さぁて、こっからが本番だ!」


 さんざん痛めつけられたというのに、ロックの瞳からは闘志の炎が消えていない。

 この絶体絶命のピンチすら楽しんでいるかの様子に、ワットは驚愕を通り越して感心していた。


「無鉄砲もここまで来ると、たいしたものですね。生きていれば、女王陛下から叙勲されることもあるんじゃないですか?」


「そんなのはもういっぱい持ってるさ、この傷がおれにとっちゃなによりもの勲章なんでね。

 それにおれは決めてんだ、もらった勲章は、倍にして返すってな」


「相感じるものがありますね。それではわたくしと合算して、10倍にしてお返しするとしましょうか」


 ワットはにわかには信じられなかった。

 この期に及んでもなお、ロックの軽口に付き合えることが。

 そしてこれから殺されるかもしれないというに、その事実を心地良くすら感じていた。

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