第36話
36 デモンストレーション
「……いつ、気付いたんじゃ?」
「ついさっきのことさ。マルコが母親を殺したのは、謎のチップが埋め込まれているのが原因だった。
マルコはトニーと同じ6歳の頃に、そのチップを埋め込まれていた。
そして、おれたちの捜査は何者かに筒抜けになっていて、妨害や先回りを受けた。
そんなおれたちの行先には必ず……トニーがいた。
トニーの視線を通して、おれたちを監視してたんだな。
ジェロムの潜伏先も、トニーの目を通じて手に入れ、スパイを差し向けたんだろう?」
男は諦観に満ちた吐息をつく。
「お前さんがベイカー街に引っ越してくれて、助かったと思っていたんじゃがのう……。
まさかその先で、マルコの事件に絡んでくるとは想像もせなんだ」
「マルコはジェロムと娼婦の間にできた子供で、この聖堂でチップを埋め込んだあと、ジェロムに引き取らせたんだろう!?
でもそこまでだったら……おれが唯一尊敬してた、アンタらしい行動だと思ったよ!」
手のひらが鍵盤に叩きつけられ、引き裂くような音が流れた。
「マルコは母親と幸せに暮らしてたんだぞ!
それなのになんで、あんなことをさせたっ!? 答えろトマス!」
トマスは鍵盤から視線をはずし、ゆるやかに顔をあげてロックを見る。
いつもの慈愛に満ちた瞳は、そこには無かった。
「これはな、デモンストレーションだったんじゃよ」
「デモンストレーションだと?」
「母親を殺させる……。
聖父はいつも、静謐なる森に佇む湖面のように、波紋ひとつない穏やかな瞳をしている。
しかし今その瞳は、ぽつぽつと雨が降り始めたかのようにざわめいていた。
「しかも完全犯罪となれば、宣伝効果は抜群じゃ。
これはその気になれば、首謀者の手掛かりを一切残さず、バッキンガム宮殿での自爆テロをさせることも可能だということじゃからのう」
「テメェ……!?」と総毛立つロック。
聖父はシワの深く刻まれた顔を、ニタァと歪めた。
「すでに私のチップを埋め込んだ子供たちは、このロンドンの至る所におる。
しかもすでに、富豪や権力者の跡取り候補となっている者もいるんじゃ。
私が長年に渡って撒いてきた種が、ついに芽を出し、花を咲かせる時が来たんじゃよ」
その瞳はすでに、嵐の湖のように荒れ狂っている。
温厚な聖父が隠し持っていた裏の顔を知り、ロックは怒りと困惑が入り交じった複雑な感情を抱いていた。
「アンタ、いったいどうしちまったんだよ……!?」
「どうしたもなにも、聖父の仮面を被る必要がなくなっただけじゃ。
まあ、悪い夢だと思うことじゃな。
明日には私は、このゴミ溜めにはおらんのじゃから」
「なんだと……!?」
「精神操作の研究は、今もなお世界各国で行なわれておる。
ロシアやドイツ、そして中東なら、この成果をきっと高く評価してくれることじゃろう。
ずっと『日陰の雪ダルマ』だった私が、ついに日の目を見られるんじゃ」
「雪ダルマが陽のあたる場所に出たら、あっという間に溶けちまうぜ……!
だがその前に、このおれがブッ壊してやるよっ!
アンタだけは、ぶちのめしたくはなかったけどな!」
ロックは邪悪なる聖父の胸倉を掴み、パイプオルガンから引きずり立たせる。
しかしその顔は、悪魔に抱かれているかのように恍惚としていた。
「慌てるんじゃない、ロック。
デモンストレーションはまだ終わってはおらんのじゃからな」
ロックが「なに?」と聞き返すと同時に、聖父は片手で鍵盤を叩く。
ポーンと短音が鳴り響き、それがスイッチであるかのように、ロックを照らしていたスポットライトが移動する。
そこは礼拝用の椅子が並んだ一角で、ふたつの人影があった。
「ザアダ!? それに、トニー!?」
ザアダは猿ぐつわで口を塞がれて、後ろ手に縛り上げられている。
トニーの身体はなんともないようだったが、催眠術に掛けられているように瞳は茫洋としていた。
聖父がさらに爪弾くと、トニーはポケットからナイフを取りだす。
その柄の独特なデザインに、ロックは見覚えがあった。
「あれは、ワットがくれてやったナイフ……!? トニー、なにをするつもりだっ!?」
トニーは答えるかわりに、無言でザアダの腹部にナイフの切っ先をあてがう。
聖父は「ひゃっひゃっひゃ!」と取り憑かれたように笑った。
「あそこには今、3つの命がある!
それらの命はすべて、私の手のひらの中にあるんじゃ!
すべてを思いのままにしてみせたら、マルコの『ママごろし』以上のデモンストレーションになるじゃろう!
なにせ『ママと弟ごろし』になるんじゃからのう!
まさに神のように、命をもてあそべるこの力を、世界じゅうに知らしめることができるんじゃ!」
「テメェ、なんてことを……!?
そんなことをしたら、このおれが絶対に許さねぇぞ!」
「許さないのなら、どうするというんじゃ?
バカのひとつ覚えの暴力で、私をそのへんのチンピラのように叩きのめすというのかな?
それでは、あの母子の命と引き換えに、そのちっぽけな正義感を満たすといい。
さぁ、やってみるがいい!」
「ぐっ……!」と振りかぶった拳を握り固めるロック。
それは生まれて初めての葛藤。
今まではどんな状況であっても、最終的には殴る一択であった彼が、初めて別の選択肢を強いられたのだ。
その苦悩は想像を絶するもので、拳に力を込めるあまりツメが食い込み、血が流れ出していた。
「くそっ……!」
ロックはやがて掴んだ胸倉と、血のしたたる拳を同時に降ろす。
聖父はドスン、と着席した。
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