第37話

37 窮地


「ほう、ストリートの野良犬にも、自制心というものと、他人を思いやる気持ちがあったのか」


「うるせぇ……! テメェだけは、絶対にぶちのめしてやっからな……!」


「そのチャンスは自らフイにしてしまったではないか。

 でもせっかく来たんじゃから、もう少しゆっくりしていくといい。

 さて、後ろを向くんじゃロック」


 ロックはなにをされるか想像がついたので、黙って背を向け、手を背後に回した。

 後ろ手に組まれた両腕を、聖父は鎖でグルグル巻きにする。


「こうやって縛られるのは慣れておるようじゃな」


「そうでもねぇよ、衣替えするくらいの感覚さ」


「そうか。チンピラどもはロープを使ったんじゃろうが。そのくらいなら引きちぎってきたんじゃろう?

 じゃから特別に、セマァ合金の鎖を使ってやろう。野良犬には過ぎた首輪かもしれんが、似合っておるぞ」


「アンタからパンとスープ以外のものを貰ったのは、これが初めてだな」


「そうじゃったかのう。なら特別に、足も縛ってやるとするか。

 お前さんは手癖だけでなく、足癖も悪いからのう」


 聖父はロックの足首をも鎖で縛り上げ、ロックの動きを完全に封じこめた。


「さぁて、これで準備完了じゃ。

 それではお前さんには、これから行なうデモンストレーションを盛り上げるための観客になってもらおうか。

 自分の足で跳ねていって、ザアダの隣に座るんじゃ。

 言っておくが、トニーの持っているナイフを体当たりで奪おうなどと考えるんじゃないぞ」


 聖父はロックの腰をポン叩いて促す。


「もし少しでもバカな素振りを見せたら、トニーは舌を噛み切るじゃろうなぁ。

 舌を噛み切ってもすぐには死なん。舌が喉に詰まって苦しみながら死んでいくんじゃ。

 その様をザアダが見たら、ショックで流産するかもしれん。

 ふむ、それはそれで面白いデモンストレーションになるかもしれんなぁ」


「クソ野郎っ……!」


 捨て台詞を残し、ロックはパイプオルガンから離れる。

 足は束ねるように縛り上げられているので、ピョンピョン跳んでステージから軽やかに降りる。

 客席のように並んでいる長椅子まで跳ねていくと、最前列に座っている母子の隣に腰を降ろした。


 泣きながら震えるザアダと、その腹にナイフをあてがい、感情のない瞳でロックを見つめるトニー。

 ロックはふたりに向かってやさしく声をかけた。


「大丈夫、このおれが絶対に助けてやっからな。ベルファストに乗ったつもりでリラックスしとけ」


 狂った嘲笑がすかさず割り込んでくる。


「ひゃっひゃっひゃ! その状態から3人とも助けるとしたら、それは手品のようなイリュージョンでも起こさないと無理じゃな!

 今まで暴力でしか解決できなかったロックには、とうてい無理な芸当じゃて!

 野良犬を飼い慣らして、サーカスで芸を披露させるほうがよっぽど簡単じゃろうなぁ!」


「テメェ、いちいちうるせぇんだよ!」


「そして私は、それ以上の芸当を難なくことなすことができる!

 さぁて、舞台は整った! 偉大なる神の力を見るがいいっ!」


 聖父は顔をロックたちに向けたまま、パイプオルガンに座り直す。

 首をひねった体勢で諸手をがばぁと振り上げ、鍵盤に叩きつける。


 激しい旋律が鳴り渡ると、トニーは震えだした。

 ザアダの腹に突きつけていたナイフをゆっくりと離す。


 抗うように、ナイフを持つ手が激しく痙攣している。


「や……やめろトニーっ!」


 しかしロックの制止も虚しく、次の瞬間、切っ先はザアダの腹に深く沈んでいた。

 ザアダは炎に焼かれるように、激しく身悶えする。


「んんーっ!?」


 トニーのガラス玉のような瞳からは、涙があふれていた。


「ご……ごめん……マ……マ……!」


 しかし応えはない。

 ザアダは苦悶とも困惑ともつかぬ表情で前屈みになり、ゆっくりと崩れ落ちようとしていた。


「ママっ!?」「ざ……ザアダっ!?」


 ロックは自由の効かない身体をよじらせ、ザアダの下に潜り込み、ザアダを受け止めようとする。

 正気に戻ったトニーは、とっさにザアダの身体を支えようとした。


「ひゃーっひゃっひゃっひゃ!

 そうそう! この愚民どもの無駄な抵抗こそが、前回のデモンストレーションに足りなかったものじゃ!

 もっと足掻け、もっと足掻けぇ! そのほうが絶望も、もっともっと深くなり、買い手を喜ばせるんじゃからのう!」


 しかしロック、トニー、ザアダの動きはそれっきり、ピタリと止まってしまう。

 あれほど必死だったのに、いまやキツネにつままれたような表情で顔をあげ、お互いを見合わせていた。


「なんじゃ? ショックが大きすぎて、おかしくなってしもうたのか?」


 トニーは半信半疑な表情で、手にしていたナイフの先端を自分の手のひらに押し当てる。

 聖父はやはりおかしくなったのだと思ったが、その刀身はスプリングが伸縮するような音を立て、柄のなかに沈んでいった。

 同時に呆気に取られる聖父とトニー。


「これ、手品用のナイフだ……。

 ワットさんに貰ったときは嬉しくて振り回してたのに、ぜんぜん気がつかなかった……」


 座席のすぐ後ろで声がする。


「それはそうでしょう。軽い力で使っている分には普通のナイフなのですが、本気で強く突き刺そうとするとストッパーが外れて、刀身が柄に引っ込む仕組みになってるんですよ」


 それは、ずっと前からそこにいたような、親しげな声だった。


「だ……誰じゃっ!?」


 トマスは闇に向かって叫んだが、ロックとトニーはすでにその声の正体を知っていた。

 ロックたちを照らしていたスポットライトが移動し、後ろの座席を照らす。


 そこには燕尾服を着た男が、優雅に足を組んで座っていた。

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