第33話

33 サーカス


 ロックは突進する猛牛のように頭を突き出し、窓ガラスに全体重を乗せた頭突きをぶちかます。

 大魔神のパンチを受けたかのように、ガラスはヒビ割れる間もなく粉々に砕け散り、夜空に星屑のような光をバラ撒く。


 そのただ中に、ふたりはいた。

 天の川のような煌めきに包まれ、ストップモーションの中で、目だけで会話をしている。


『なにをしているんですか?』


『しょうがねぇだろ! 爆弾だったらこの部屋ごと吹き飛んじまうだろうと思って!』


『もしあのメッセージがハッタリだったら、どうするつもりなんですか?』


『あ、そっか』


『わたくしはその可能性も考慮していたからこそ、ロックだけに逃げるように促したのです』


『もうやっちまったもんはしょうがねぇだろう! あとは、出たとこ勝負だっ!』


『あいかわらずの、暴れザルのような考え方ですね。

 ……でもまあ、いいでしょう』


 しかし幸か不幸か、ロックの予感が的中。

 ふたりの背後で大爆発が起こり、部屋じゅうの窓から炎が吹き出した。


 ロックは吹き飛ばされつつも、ワットの身体は離さない。

 爆風によって非常階段のベランダがちぎれて吹き飛ばされ、巨人のラリアートのような一撃となってロックの頭上すれすれをかすめていった。


 ベランダは外観にあわせて石材のような見目をしていたが、加工されたセマァ合金である。

 ロックは反射的にワットの手から傘をむしり取り、枯れ枝のように垂れ下がるベランダに引っかけた。


 ふたりの重さで、ちぎれたベランダは軋む音を立てながら下がっていく。

 それで少しは高度が下がったものの、ふたりの宙ぶらりんの足元から地面までは目も眩むような高さがあった。

 眼下に集まってくる野次馬はアリの群れのように小さく、遠くには連なった消防車のサイレンが見える。


 ロックは片手で傘を握りしめてベランダにぶら下がりつつ、もう片手でワットを小脇に抱えていた。

 いつもと違った風が、ロックの頬を冷たく撫でていく。


 常人なら震えあがってパニックになっているところだが、ロックは絶叫マシンに乗っているかのように嬉しそうだった。


「へへ、いい風じゃねぇか。風が味方してくれるなら、もっともっとトバせるぜ。

 よーし、ここから勢いをつけて飛んで、アパートメントのほうに戻るぞ」


「完全に……サーカス……ですね……」


「こちとらトラファルガー広場にある柱の像を、てっぺんからパイルドライバーしたことがあるんだ。

 テメェも同じ目に遭いたくなけりゃ黙ってな」


「無敵の提督といわれた……ネルソンさんも……ロックにはかたなしですね……」


「べらべらしゃべってると舌噛んじまうぞっ! せぇーのっ!」


 ロックは身体を前後にスイングさせて反動をつける。

 そのたびにベランダは、錆びついた巨人のブランコが揺れているような音がして、いよいよジャンプとなったところで、頭上でバキンと嫌な音をたてた。


 ロックはジャンプのタイミングで傘を手離すつもりだったが、傘どころかベランダとも一緒に落下。

 それでもなんとか飛んで、アパートメントの窓に傘の柄を叩きつけて割ろうとしたが、傷ひとつつかなかった。


 そのまま自由落下していき、窓のあるフロアを高速で通り過ぎていく。

 とうとう窓がなくなり、目の前にあるのはアパートメントの石壁だけになってしまった。

 あとは地面まで、真っ逆さま。


 「終わり……ましたね……」と力ない声が、胸元からする。


「こんなところで終わるかよっ! ブッ壊れるまでブッ飛ばす!

 指一本動かなくなるまで、足掻いて足掻いてあがきまくるっ!

 それが……おれだぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 オオカミの遠吠えのような咆哮が、ロンドンの月夜に轟き渡る。

 ロックは傘を振りかぶると、先端である石突きをアパートメントの壁に向かって突き立てた。


 壁にチョークのような跡が走り、火花が散る。


「刺されっ、刺されっ、刺されっ! 刺されぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 10階の高さから落ちて、壁に傘を突き刺す。

 常人なら考えすらもしないことだろう。


 しかし彼は違った。

 野良犬として生まれ、オオカミとして育った少年は。


 オオカミは断崖絶壁から落ちても、壁を引っ掻き、それでも足りなければ牙で食らいついて、最後の最後まで抗うだろう。

 神が与えたもうた運命に。


「おれは、神のクソ野郎なんか信じねぇ! おれにあるのはこの拳だけ! この拳だけだっ!

 どんなヤベぇ時でも、コイツで乗り切ってきたんだぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 二の腕が膨らみ、革ジャンが張り裂けんばかりになる。

 顔じゅうにビキビキと、血管が浮かび上がる。

 食いしばった歯から、血が迸る。

 それはまるで、目的のためならすべてを容赦なく犠牲にする修羅の形相。

 それでも片腕にあるワットだけは、決して離さなかった。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 アパートメントの壁に落雷のような跡が残っていく。

 最初はか細い筋であったが、それはやがて穿つような傷跡となり、ついには亀裂となった。


 その先には、禁断の果実の果汁のように濃密に、ゆったりとしたたり落ちるロックとワットの姿が。

 ふたりの高度は3階ほどの高さにまで下がっており、地面まであと10数メートルといったところだった。


「よ……よし……! このままの速度で落ちていければ、あとは……!」


 そうロックがつぶやいた途端、傘の石突きの部分がスポッと外れてしまう。

 「や……やべえっ!?」と気付いたときにはバランスを崩し、仰向けになったまま虚空に放り出されていた。

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