第32話
32 出迎え
アパートメントは各階に4部屋しかなく、すべてが角部屋。
各フロアごとに専用のエレベーターがあり、エレベーターの中も応接間のように広々としている。
エレベーターは振動どころか扉の開閉音すら無く、最上階で降りるとさらなる無音の空間がふたりを出迎えてくれた。
「不気味なくらい静かな廊下だな。誰もいねぇんじゃねぇのか?」
「セマァリンによる防音と、人の気配などを消すセマァリンが施されているんでしょう。
このアパートメントの装飾と同じで、過度なまでのプライバシーへの配慮ですよ」
「へへ、それじゃあいくらヤツをぶちのめしても、外には悲鳴すら聞こえないってわけか」
ジェロムがいるはずの部屋に向かう。
純金の一枚板でできたような両開きの扉には、インターホンがわりのライオンのノッカーがあった。
「こんなのはおれには必要ねぇぜ」と足を振り上げるロック。
「そんなのもの必要ありませんよ」と扉を押し開くワット。
玄関の施錠もペドロがハッキングして解除してくれたらしく、ふたりは何の苦労もなく部屋に押し入ることができた。
「おい、クソ野郎! 出てきやがれ! いるのはわかってんだぞ!」
ロックが我先にと廊下を走り抜け、飛び出していった先は居間だった。
室内は広々としており、壁は全面ガラス張りで、夜のチジックを一望できる。
壁際には巨大なセマァビジョンがあり、昔の映画を観ていたのであろう、スタッフロールがゆっくりと流れていた。
部屋の照明はついておらず、映写機のように古めかしいスタッフロールの明滅だけが、ふたりを照らしている。
そのふたりというのは、ロックとワットではない。
ソファに座ったままの男女が、瞬きすらせずじっとこちらを見ていた。
身体はセマァビジョンのほうを向いているのに、首だけが180度にねじ曲げられている。
ソファの背面ごしに、晒し首のようにアゴを背もたれに乗せていた。
男はジェロムで、女は愛人のようだ。
身体は愛し合っているのに、顔は死んでいる。
顔は官能に耽っているのに、目は死んでいる。
その死に様はあまりにも異様で、それまで大胆不敵だったロックですら「うっ……!?」とその場で動けなくなってしまう。
「どうしましたか?」と後に続いて部屋に入ってきたワットも、「これは……!?」と硬直していた。
「どうやら、先回りされてしまったようですね」
「先回り? おれたちの捜査を止めさせようとしてた、黒幕の仕業ってことか?」
「おそらくそうでしょう。そしてこちらのふたりは殺された直後のようです」
「おれたちがクソ野郎の居場所に突き止めたから、口封じのために殺したってわけか」
「目的はそうだと思いますが、おそらく黒幕もジェロムさんの潜伏先を知らなかったのだと思います。
黒幕は、ペドロさんがハッキングした住所を何らかの方法で入手して、わたくしたちよりも先に刺客を差し向けたのでしょう」
「なんだと? いったいどうやって?」
「それはわかりません。黒幕のほうにも凄腕のハッカーがいるか、それとも……」
しかしワットの推理の声は、ボリュームを絞るようにだんだん小さくなっていく。
何事かとワットの視線を追ったロックの言葉も、「どうしたん……」と途切れた。
奥にあったセマァビジョンが映していたものが、いつの間にか映画のスタッフロールではなくなっていた。
そこには『お前たちは終わりだ』というメッセージ、そしてカウントダウンが。
時はすでに刻まれており、ロックが「罠かっ!?」と叫ぶと同時に0になった。
直後、セマァビジョンの周囲から破裂音がし、ふたりはビクッと身体をすくめる。
暗くてよく見えなかったのだが、セマァビジョンの両脇にはクラッカーの発射台があり、それが破裂したのだ。
金銀の紙吹雪が部屋じゅうを舞うなか、ロックは息を大きく吐いた。
「ふぅ、脅かしやがって……。男か女のどっちかが、ドッキリを仕掛けてやがったんだな……」
「に……げ……」
絞り出すような声がする。
見ると、ワットの身体は直立不動になっていて、顔面まで硬直していた。
「紙……吹……雪は……チャフ……です……」
チャフとは古代ロンドンで使われていた軍事装置のこと。
当時のミサイルはレーダー電波によって追尾するものがあり、その防御として、アルミ箔を散布することでレーダーを誤認させ、ミサイルのロックオンを回避するというものである。
しかし現代ロンドンにおいてはチャフの意味は若干異なっており、セマァシー全般を一時的に使用不能にする、セマァチャフのことを指す。
セマァシーの類いを一切身に付けていないロックはセマァチャフを受けても何ともなかったが、身体の半分がセマァシーでできている、セマァロイドのワットにとっては致命的だった。
セマァビジョンが赤く点滅を始める。
『警告を無視した報いを受けよ』というメッセージ、そしてさらなるカウントダウンが。
「今度こそマジのヤツかよ!? くそっ、あと10秒しかねぇ! 逃げるぞ、ワット!」
ロックはワットの手を取ろうとしたが、その手は身体に接着されたように貼り付いていて離れない。
ワットは臨終の床にいるような、力ない声を漏らすので精一杯だった。
「わた……くし……を……おい……て……に……げ……」
「バカ野郎っ! ここまでおれを巻き込んどいて、テメェだけ勝手に死ぬとか許さねぇぞ!」
ロックは、ワットがペドロをベッドに寝かせていたやり方で、ワットを担ぎ上げる。
しかし、あまりの重量感によろめいてしまった。
「くそっ! 重すぎるんだよテメェ! なに食ったらこんなになるんだよ!?
これならタワーブリッジを持ち上げるほうが、よっぽど楽だぜ!」
「ロック……には……むり……です……だから……わた……くしを……おい……て……」
「うるせえっ、黙ってろ! うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーっ!!」
ロックは火事場に取り残されたような咆哮をあげ、ワットを担いだまま走り出す。
向かった先は部屋の出口へと繋がる廊下ではなく、真逆の方角であった。
「ま……まさか……!?」
「そのまさかだっ! でりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
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