第26話

26 最先端の街へ


 ホワイトキャップ本部をあとにしたロックとワットは、テムズ川沿いを北上。

 大きなビルが建ち並ぶシティ・オブ・ロンドンを抜け、北東にあるテック・シティへと向かう。


 ここは古代ロンドンにおいて西欧のシリコンバレーと呼ばれ、デジタル産業が盛んな街であった。

 現代ロンドンにおいても、多くの有名IT企業や広告代理店の欧州拠点が存在しており、今ではインターネットからセマァネットに、コンピューターからセマァシーにそのプラットフォームを変えて存続している。


 このロンドンはどこもセマァリンによる利便性を享受していたが、街並みなどは産業革命時代からのロンドンの伝統を再現していた。

 しかしこの地域だけはその法則を無視しており、壁を彩っているのはグラフィティではなくステッカー。

 人々が集まるのはパブではなくカフェで、そこで流れている音楽もロックではなくテクノポップ。


 英国紳士でもチンピラでもない、最新ガジェット操る若者やチョイ悪オヤジであふれていた。


 今までロックとワットが訪れた街は、どちらか一方が浮くだけであった。

 しかしセマァフォンすら持っていないふたりは、この街では完全に異質の存在。


「熱帯魚の水槽に沈められたチワワの気分だぜ。息苦しくってしょうがねぇ」


「相感じるものがありますね。未来にタイムスリップしたらこんな気分なんでしょうか」


「でも、なんでこんな所に来たんだよ?」


「知り合いのハッカーがここに住んでいるのですよ。

 マルコさんの首に埋め込まれていたチップを解析してもらおうと思いまして」


「またクスクスみてぇな野郎が出てくるんじゃねぇだろうな」


「クセの強さはそれ以上かもしれません。でもクスクスさんと違って因縁はありませんから、いきなりゾンビをけしかけられるようなことはないと思います」


「そう願いたいね。ここならT1000の執事が出てきたっておかしくねぇからな」


 目的のハッカーが住むというアパートメントの前の通りを歩いていると、通りすがりのサングラスの青年が指でつくったファインダーをふたりに向けてきた。

 その青年は歩くたびに、石畳に波紋のようなエフェクトを浮かべている。

 近くを通りかかった同じようなファッションの人間と、ワイヤーフレームのようなもので繋がっていた。


「うわぁ、この街にいるのにセマァグラスどころかセマァシューズも履いてないだなんて、シーカランスみたい。

 セマァネットの珍獣カテゴリにアップロードすれば、セマァグッドがいっぱいもらえそう」


 「そうかい」と顔を引きつらせるワット。


「じゃあこういうのは知ってるか? 最新流行のセマァパンチだ」


 「えっ、なにそれなにそれ」と顔を近づけてきた青年のサングラスが、メシャッと叩き割られる。

 水切り遊びの石のように吹っ飛んだ青年は、石畳をバウンドし、水飛沫のようなエフェクトを点々と残して裏路地へと消えていった。


 ハッカーが住んでいるのは、打ちっぱなしのコンクリートのデザイナーズマンションであった。

 入口がどこにあるのかわからなかったが、迷っているとコンクリートの壁に矢印が浮かび上がり、順路を示してくれる。

 なにもない壁に近づくと、ビデオゲームのファンファーレのような音とともにコンクリートが変化し、アパートメントの廊下へと続く通路が現われた。


 ロックは通路をくぐりながら吐き捨てる。


「なんかバカにされてるみてぇで腹が立つな。壁をブチ破ってもいいか?」


 ロックはワットに向かって言ったつもりだったが、壁から『やめて!』と声がして、泣き顔のマークが浮かび上がった。


「まわりは全部ガラスで、セマァリンによって映像を投影しているようですね」


 ワットがそう言うと『ご名答!』と顔が笑う。

 ロックが「帰りたくなってきたぜ」とつぶやくと、来た道にガシャンと鉄格子が降りた。


「ペドロさん、からかうのはそのへんにしてください。

 ロックは冗談が通じないんですから、本当に壁を壊してしまいますよ」


 するとふたりの立っていた廊下がゆっくりと沈み込み、床下へと落ちていく。

 しばらく暗闇のなかを降りていくと、アパートメントのワンフロアの壁をすべて取り払った、バスケットコートのように広い場所に出た。


 しかしそこはにスポーツの雰囲気は微塵もない。

 壁には昔のビデオゲーム筐体が並び、床には日本のテレビアニメが描かれたオールドメディアが散らばっている。


 その奥で、ベッドと一体になったような椅子に座り、プラネタリウムのごとく空中投影された無数のディスプレイを操っている人影があった。

 まわりにはピザやドーナツの空き箱、エナジードリンクの空き缶が散らばっていて、足の踏み場もない。


 近づいていくと、椅子が機械音とともに回転する。

 そこに座っていたのは、鼻先まで伸びた前髪の上から赤い丸メガネをかけ、着ぐるみのような服を着た少女であった。


「ロックニキとワットニキ、どっが受けンゴ!? ふたりの映像をセマァネットにアップしたら、質問が止まらないンゴ!」


 「なんなんだテメェ」とロック。


「そうやって野獣っぽい雰囲気出しといて、ベッドには自分から入っていくンゴ!

 熱い手のひら返し! いかんでしょ、そんなの!」


 身悶える少女。頭上のディスプレイに、流星群のようにセマァグッドのマークが飛び交ってる。


「おい、コイツはT1000なんかよりずっと強烈じゃねぇか。溶鉱炉が無くたって溶けちまうぜ」


 未知の生命体に合ったかのようなロックに、苦笑いのワット。


「ペドロさんは『オタク』、わかりやすい言葉で表すとギークとかナードと呼ばれる人種です。ハッカーには多いんですよ」


「アイルビーバッグ! ほら、見てないでこっち来るンゴ!

 ワイの趣味ではないけど、さっきバラ撒いたふたりのビデオは大人気ンゴ! ファイル交換ツールで、欲しかったお宝映像がガッポガッポ入ってきてるンゴ!

 ああっ、転送プロトコルが大変なことになっちゃってるンゴ! ネットに強い弁護士を呼ぶンゴ!

 おとなしくしないと、バラ撒くぞこの野郎!」


 ペドロと呼ばれた少女は、星をつかむように虚空に浮かぶディスプレイを操っている。

 何がどうなっているのか、いったい何をしているのか、ロックはさっぱりわからなかった。


「これなら、ヤク中を相手にしてるほうがまだマシだぜ」


 ロックは熱が出たように頭を押え、「後は任せた」と引き下がる。

 ワットは懐からセマァ袋を取りだすと、ペドロの視界の隅に入るようにチラつかせた。

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