第25話

25 検死医イグザミナ


 ロックとワットは昨日に引き続き、ウエストミンスターへと来ていた。

 しかしその目的地は、魔法学校でも不良少年たちがたむろするパブでもない。


 テムズ川沿いにあるビッグベンより北、センチュリー・スコットランド・ヤードと呼ばれるロンドン警視庁。

 その隣に併設されているような佇まいの、ホワイトキャップ本部のビルをワットは見上げていた。


「裁判所に殴り込んで司法解剖の申請を通すのではなく、まさか自分の手でマルコさんを解剖するつもりですか?

 マルコさんの遺体はたしかにここに保管されているとは思いますけど、完全に法律違反ですよ?」


 ロックは「おれを誰だと思ってやがるんだ」と肩をそびやかしながら、ホワイトキャップ本部の入口に向かって歩いていく。


「今はホワイトチャペルとベイカー街だけだが、ゆくゆくはこのロンドンを黒一色で塗りつぶす、ギャングのドンのロック様だぜ。

 知りたいことが目の前にあるってのに、警察サツみたいにチンタラやってられっかよ」


「わたくしたちのことはウイリアムさんから連絡が行っているので、遺体の検分くらいはさせてもらえると思いますよ。

 でも司法解剖となると、その場にいる検死医に止められると思いますが」


「そんなのはぶちのめせばいいだけだろうが。医者なんてロクでもねぇ野郎ばっかりだから、ついでにスッキリできるぜ」


「やれやれ、捜査の打ち切りも覚悟しておいたほうがよさそうですね」


 受付でマルコの遺体を検分したいと告げると、ロックとワットはあっさり死体安置所に通される。

 ロックは拳をポキポキ鳴らして検死医の到着を待ったが、現われたのは意外な人物だった。


「あっ!? あなた方はっ……!?」


 そう息を呑んだのは、昨夜、電話ボックスで暴漢に絡まれていたフェッルム族の女性だった。


「あ……あなた方は、探偵さんだったのですねっ!

 私は、ホワイトキャップの検死医のイグザミナといいますぅ!

 昨日は、ちゃんとお礼もできずにすみませんでしたぁ!」


 イグザミナと名乗った彼女は、白衣がめくれあがるほどの勢いでぺこぺこ頭を下げる。

 そしてロックを上目で見つめるその顔は、ホワワンとバラ色に染まっていた。


 なんだコイツと思うロックに、ワットは手のひらで口を遮りながらささやきかける。


「手荒いことをする必要は無くなったのではないですか?

 助けた恩をうまく使えば、もしかしたら……」


「そういうのは嫌だぜ。おれは見返りを期待してコイツを助けたわけじゃねぇからな」


 ロックはそう思っていたが、いざマルコの遺体を検分すると、改めて犯人への怒りがふつふつと湧き上がってきた。


「おい、インベーダー女医! 今すぐマルコの首のあたりを切り開いて調べるんだ!」


 イグザミナは「えええっ!?」と仰天する。

 インベーダー呼ばわりもさることながら、それ以上にロックの要求が常識からかけ離れていたからだ。


「そ、それはできませぇん!

 司法解剖をするためには、検死裁判所に届け出て、検死陪審員を召喚のうえ、立ち会いのもと……!」


 相手が男なら顔面パンチで黙らせているところだが、ロックは基本的には女性には手をあげない。

 たとえ相手が人ならざる者でも、それは変わらなかった。


 しかもイグザミナはガラスのような瞳をうるうるさせ、甘ったるい声で訴えてくるのだ。

 その仕草はなんだか人間以上に少女っぽくて、それがなおさらロックのやる気を萎えさせる。


 迷子の子猫を前にした、野良犬のおまりさんのよう困っているロックの元に、ワットが寄り添った。


「ちょっと、イグザミナさんと話をしていただけますか?」


「おれは女とマーマイトには手を出さねぇ主義なんだ。寝覚めが悪くなるからな


「それはちゃんとしたマーマイトを食べたことがないからですよ。

 ってそうではありません。ロックお得意の拳による対話ではなくて、口で会話をしてほしいのです」


「なんでだよ? 聞きたいことがありゃ、テメェで聞けばいいじゃねぇか」


「そうではなくて、イグザミナさんの注意を反らしてほしいのですよ。

 天気の話でもマーマイトの話でも、なんでもいいですから」


「チッ、しょうがねぇなあ、少しだけだぞ」


 ロックは舌打ちとともに両手を広げると、自分なりに友好的な雰囲気を装った。


「おい、インベーダー女医。じゃなかった、えーっと、テメェなんて名前だっけ?」


「い……イグザミナですぅ。も、もしお嫌でなければ、ミナと呼んでいただければ……」


「そうか、ミナ。テメェはマーマイトは好きか? おれは嫌いだ。アレを食うくらいならテメェらインベーダーの料理を食わされるほうがまだマシだぜ」


「は、はいぃ……」


 ロックの話題はどれも失礼極まりないものだったが、ミナは健気に耳を傾け、こくこく相づちを打つ。

 ワットはその間、マルコの遺体のまわりをぐるぐる回って興味深げに覗き込んでいた。


 しばらくして顔をあげると、


「ミナさん、ありがとうございました。いきなり押しかけて、わたくしどものロックが失礼なことを言って申し訳ありませんでした。

 じゅうぶん検分ができましたので、そろそろ失礼いたします」


「あ、いいえぇ、たいしたおもてなしもできませんで……。

 次にお越しになるときは事前に連絡をいただければぁ、フェッルム族のお料理を……」


 ミナはもじもじしながら、死体安置所の外へと案内する。

 そのあとをついて歩いていたロックは、ワットをヒジで小突いていた。


「テメェ、いったいなにしてたんだよ?」


 ワットは燕尾服の内ポケットから、そっとセマァ袋を見せる。

 透明の小袋のなかには、血のこびりついた小さな電子部品のようなものがあった。


「マルコさんの頚椎の近くにこれがありました」


「テメェ、死体にたかるネズミみてぇにコソコソやってると思ったら、解剖してやがったのか……!」


 ワットは唇に人さし指を当て、「しっ」と歯を鳴らす。


「これで、フェイクロマンシーの線が濃厚になってきました」


「ったく、テメェのほうがよっぽどギャングじゃねぇか」


「もし勝手に司法解剖したことがバレて、ミナさんにご迷惑がかかるようなことがあったら、ちゃんと名乗り出るつもりですよ」


 ミナは後ろにいるのがオオカミたちとは知らず、「私がどうしましたかぁ?」と子鹿のように振り返る。

 「いや、なんでもねぇ」「なんでもありません」と、とっさに誤魔化すオオカミたち。


 ロックの笑顔は不自然極まりなかったが、ワットの笑顔は実に自然だった。

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