第24話

24 心地良い時間


 部屋にあったのは、カチャカチャという金属が鳴る音と、再び降り出した雨が窓を叩く音のみ。

 その音たちにまぎれるような小さな声で、ロックがふとささやいた。


「悪かったな」


「え?」


「傘をへし折っちまって。気に入ってたんだろ?」


「ああ、そのことですか。それならもう気にしていませんよ。形あるものはいつか壊れますからね

 わたくしのほうこそ、一時の感情で心無いことを言ってしまって申し訳ありませんでした」


「なーに、気にするな。悪口とは、親よりも長い付き合いだからな」


 それは、なぜか心地良い時間だった。

 ワットの手は冷たい金属だというのに、ロックはあたたかみのようなものを感じる。


 この手に触れていると落ち着くというか、ずっと昔からこの手を握っていたような、そんな感覚。

 初めてのはずなのに初めてではない感覚に、ロックはわずかに戸惑う。


 それが顔に表れていたのか、ワットが水を差すように口を開いた。


「ところでひとつ気になっていたことがあるのですが、なぜ、依頼を受けたのですか?」


 ロックは「なに?」と最後のネジを締め戻しながら聞き返す。


「ロックはウイリアムさんからの依頼を断るつもりだったのでしょう?」


「なんだ、バレてたのか。たしかに最初はそのつもりだったさ、でも途中で気が変わっちまってな」


 ロックが依頼を受けると決めたのは、今回の事件が親子にまつわるものだと知ったからである。


 ロックは親子というものに、特別な感情を持っていた。

 クリスマスになると、上流階級の子供たちはイルミネーションに彩られた街中を、両親と手を繋いで歩く。

 スラムに住む子供たちも、フィッシュアンドチップスを盗み食いするのではなく、親子でフライドチキンを食べる。


 高そうなプレゼントも、安っぽいフライドチキンも、ロックはそのどちらも手に入れてみた。

 しかし、親のいる子供たちのような笑顔になれなかった。


 家族というのは、それだけで笑顔になれる絶対敵な絆なのだと思い、強い憧れを抱くようになる。

 だからこそ、子供が母親を殺す、もしくはその逆のことがあるだなんて信じたくはなかったのだ。


 ロックはうつむいたまま語る。


「このゴミだめみてぇな、インベーダーと汚ぇ大人だらけのロンドンでも、信じるに値するものがあると思ってる。

 おれはそれを証明してみたくなったのさ」


 そして「よし、できたぜ」と顔をあげる。

 そこには、春風を感じているような笑みのワットがいた。


「そうですか。拳以外に信じているものが、ロックにもあったんですね。

 またひとつ、意外な一面を知ることができました」


 ロックの相手をする大人の男は、ほとんどが熱風を浴びせられているような顔をする。

 そんな嬉しそうな顔をされるのには慣れなかったので、ロックはなんだか急に照れくさくなった。


「バカ言うな、おれが信じてるのはコイツだけだ」


 ロックは話はこれで終わりとばかりに立ち上がると、伸びをしながら部屋をあとにする。


「あ~あ、もうこんな時間かよ。時代遅れの助手のせいで、寝る時間が減っちまったぜ」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 次の日の朝、ワットはいつもの燕尾服だったが、その手には昨日ロックが折ったのと寸分違わぬ細身の傘があった。

 「お気に入りの傘は1本だけとは言ってませんが何か?」みたいな顔のワット。


 ロックはハニーのセマァフォンを借りて、八つ当たりするようにドストレート警部をどやしつけていた。


「おい、ドストレート! 解剖の結果はどうなった!? なに、まだやってない!?

 裁判所に市民団体が詰めかけてて、申請もできない状態だと!?

 ふざけんなテメェ、昨日のうちにやっとけって言っただろ!

 この役立たずゴリラ! 動物園に送り返すぞ! もういい、テメェには頼まねぇよ!」


 セマァフォンを床に叩きつけようとしたロックを、ハニーは慌てて止める。


「ちょ、やめてロック君! そのセマァフォンはウイリアム様からもらった大切なものなんだよ!

 傷ひとつでも付けたりしたら、出てってもらうからね!」


「うるせぇなぁ、そんなに大切なモンだったらお坊ちゃん銀行にでも預けとけよ。

 んじゃ、おれはもう出かけるから、留守番頼んだぞ」


 ハニーは「べー」と舌を出していたが、途中でなにかを思いだしたように「あっ」となる。


「そういえばロック君ってば、この家に来てからずっとその格好だよね?

 革ジャンとジーンズはともかく、Tシャツくらいは着替えたらどうなの?」


「着替えなんて持ってねぇよ」


「そう言うと思って、Tシャツを買ってきてあるよ、さぁ脱いで脱いで!

 男物を洗濯しなきゃ、花嫁修業にならないでしょ!」


 「ちょ、やめろ!?」と逃げだそうとロックの行く手を阻むワット。


「ロックはずっとその一張羅だったのでしょう? 探偵たるもの身だしなみが大事ですから、着替えてください」


「あ、ワットさんのワイシャツも洗濯するから脱いで脱いで!


「えっ、わたくしもですか? わたくしのはおろしたてですから……」


「もう! Tシャツだけ洗濯してもしょうがないでしょ!

 ウイリアム様は普段はワイシャツなんだから、ワイシャツを洗濯する修行もしないと!」


 結局、ロックは身ぐるみをはがされ、ワットは部屋に置いてあったクリーニング予定のワイシャツをすべて差し出すこととなった。

 朝からさんざんな目に遭ったと、ふたりは逃げるように車に乗り込む。


 一発でエンジンをかけながら、ワットは尋ねた。


「でも、どこに行くつもりなんですか?

 マルコさんの司法解剖が次のよりどころでしたのに、その結果が無いとなると……。

 あ、もしかして、裁判所に行くつもりですか?」


「ちげーよ、おれがそんなまどろっこしいことするかよ。いいから、これからおれの言うところに行け」


 そしてロックが告げた行き先は、さしものワットも目を見開くような場所であった。

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