第18話
18 ネクロマンサーのクスクス
着いたのは、裏路地にある古びたカウンシルフラット。
カウンシルフラットというのは公営マンションのことで、家賃が格安なので低所得者やホームレス同然の者たちが入居している。
今ではすっかり荒れ果て、壁は朽ち果て入口の扉すらも無く、ゴミだらけで限界集落の様相を呈している。
床に転がっている注射器は、ヨソ者が入れば命の保証がないことを警告しているようだった。
しかしロックは「いいとこ住んでるじゃねぇか」とお構いなしに入っていく。
ワットの顔見知りというネクロマンサーは、マンションの4階にある奥まった角部屋に住んでいた。
その一角だけはさらに異質で、壁は呪詛のようなペイントが施され、天井からはブードゥー教を思わせる呪い人形や、干した動物の頭蓋などがぶら下げられていた。
ロックはシカの頭をのれんのように押しのけ、「邪魔するぜ」と部屋に足を踏み入れる。
室内はロウソクの光のみで薄暗く、へんな匂いのする煙に満たされていた。
煙をかきわけ廊下を進んでいくと、広い部屋に出る。
奥のテーブルにはドレッドヘアの黒人がいて、鼻をほじりながら空中に投影されたビデオを眺めていた。
彼はロックに気付いたあと、視線をロックの肩越しにやり、ドレッドをバネのように弾ませ立ち上がる。
「て……テメェはワット!? 生きてやがったのか!?」
「ご無沙汰しております、クスクスさん」とワットが挨拶を返すと同時に、クスクスと呼ばれた男は派手な上着に手を突っ込む。
のたうつ蛇のような魔法の杖を取り出すと、魔法陣が描かれている部屋の壁に向けた。
「リビンタス、目覚めよ!」と唱えると、杖の先から人魂のような青い火の玉が生まれ、壁に吸い込まれていく。
間を置かずに壁が爆散し、奥からぶよぶよの巨躯がぬぅと現われた。
「行けっ、バイオゾンビ! ソイツらをやっちまえ!」
バイオゾンビというのは、太ったプロレスラーのようなゾンビであった。
身長が2メートルほどもあり、全身はヘドロのような緑色をしている。
その見目は腐ったアマガエルのようで、ぬめぬめと濡れ光っているのがことさら不気味だった。
クスクスはテーブルの後ろにあった窓を乗り越え、ベランダへと飛び出していく。
「俺のターミネーターと遊んでけよ!」と舌を出し、窓をピシャリと締めた。
ロックは「なんなんだ?」呆気に取られていたが、バイオゾンビのズンという床板を踏み抜く音で我に返る。
「なんだかよくわかんねぇけど、テメェの知り合いにはロクなのがいねぇってのがわかったぜ」
「はい。その筆頭が目の前にいますからね」
「コイツはいい知り合いじゃねぇか、おれは一度、ゾンビをぶちのめしてみたいと思ってたんだ」
「ゾンビは知り合いとは言いませんけど、まあいいでしょう。
あ、ご存じだとは思いますが、彼は痛みを感じないので、パンチは効きませんよ。
だからここはわたくしに任せて……」
「テメェに任せたらロクなことにならねぇんだよっ! うぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」
ロックは床板の穴をもうひとつ増やす勢いで、バイオゾンビに飛びかかっていく。
しかし革ジャンの襟首に、ガッとなにかが引っかかり、強い力で引きずり戻されてしまった。
そこには、傘の柄の部分をフックがわりにして、クールな瞳でロックを見つめるワットがいた。
「なにしやがる!?」と抗議するロック。
「ロック、人の話は最後まで聞いてください。
バイオゾンビはパンチが効かないだけでなく、多くの病原菌を持っているんです。
素手で殴ったりしたら……」
「ならその病気ごと、ブッ飛ばしてやらぁぁぁーーーーっ!!」
ロックは解説と制止を振り切って、またしても殴り掛かっていく。
今度こそとバイオゾンビめがけて跳躍するが、しかし足首をガッと引っかけられ、バランスを崩してびたんと床に叩きつけられていた。
うつぶせのまま、ズルズルと引きずり戻されるロック。
「なにしやがんだ!?」と起き上がると、そこにはよりいっそう冷たい瞳のワットが。
「もう殴るなとは言いませんから、せめてこの手袋を着けてください。耐菌性がありますから」
「めんどくせぇなぁ!」
「感染症にでもなったらもっと面倒なことになりますよ。
ゾンビは太古より、その戦闘力よりも病原菌が脅威とされていたんです」
ロックは「くそっ!」と、ワットから差し出された真新しい白手袋をひったくり、もどかしそうに手にはめる。
「あと、わたくしが後ろから射撃しますから、邪魔にならないように戦ってくださいね」
「そこまでは知るかよっ!」
ロックは利き手にだけ手袋をはめ、もう片方は口に咥えたまま走り出す。
その様はなにがなんでも一等を目指す、パン食い競争の走者のようであった。
ワットは極寒の瞳でその後ろ姿を見送りながらも、燕尾服の懐から拳銃を取り出す。
古めかしいデザインの、中折れ式のリボルバーであった。
それを文句を垂れながら構えるワット。
「これさえあれば手を汚すことなく、楽に排除できるというのに、ロックときたら……」
しかしそれは大きな間違いであった。
なぜかワットが狙いをつけた射線の先に、必ずロックの身体が来てしまうのだ。
ロックは水の入ったサンドバッグを叩くボクサーのように、フットワークを使って戦っていた。
その体さばきが奇跡的な偶然によって、ワットの狙う先とピッタリ一致。
これにはさすがのワットも、苦虫を噛んだように顔をしかめる。
「まったく……ふだんはまったく息が合ってないのに、こんなことだけ揃うだなんて、皮肉にもほどがありますね」
しかしこのままではいつまでたってもラチが明かず、クスクスに逃げられてしまう。
ワットは強引にロックから狙いを外し、バイオゾンビの頭部に狙いを定める。
「もらいました」と引き金を引き絞ろうとした瞬間、バイオゾンビにはたかれたロックの身体が勢いよく飛んできて、ワットにぶつかった。
ふたりは折り重なるようにして倒れてしまう。
「テメェ、なんでそんなところに突っ立ってんだよ!? 邪魔だっ!」
「相感じるものがありますが、ロックのほうこそ邪魔をしないでください」
とうとう言い争いを始めるふたり。
窓の外で見ていたクスクスは、わざわざ締めた窓を再び開いて爆笑していた。
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