第17話
17 スラム街へ
精神病院を出たロックとワットは、公園沿いにあるパブで少し遅めの昼食をとる。
ロックはハンバーガーを、ワットはローストビーフを注文。
ロックは大口で肉を噛みちぎり、欲張りなリスのように頬を膨らませながら、ずっとプリプリ怒っていた。
「ったく、ガキは親を殺そうとするし、大人はガキをヤク漬けにしようとするし、このロンドンはどうしちまったってんだよ!?」
「ロンドン社会への不満もいいですが、いまはもっと言うべきことがあるでしょう?
院長を殴っても、手掛かりになりそうなことは聞き出せなかったんですか?」
「ああ、アイツの頭ん中には、金とヤクのことばっかりだった!」
「そうですか。となるとこの線は、これで途絶えてしまったようですね」
ふとワットは、ロックが神妙な顔つきをしているのに気付いた。
「どうしたんですか? ハニーさんの手料理を食べたみたいな顔をして」
「テメェ、なんでわかったんだ?
なんであのクソ医者が、パブのガキどもにドラッグをくれてやってるってのがわかったんだよ?
そんなこと、ガキどもは一言も言ってなかっただろう?」
「そんなことですか、初歩的なことですよ。
パブにあったパイプを調べてみたら、高純度のリエライトフェタンとルノフェルペンが入っていましたから。
あれほどの純度のものは、このロンドンでは医療関係者、しかも上流階級を相手とする医者しか手に入りません。
それに、あのパブのたまり場にはセントポールズ魔法学校の生徒さんもいたのですよ。
セントポールズは、あのパブからだいぶ離れた場所にありますし、セントポールズにも同じようなパブがあるはずです。
それなのに、わざわざウエストミンスターのパブまでやって来るということは、なにか特別な目的があるのかと思いまして。
それらをわたくしなりに結び付けて、カマをかけてみたんですよ」
「ってことはクソ医者が、ドラッグの作り方をガキどもに教えてたってのも……?」
「はい、ただのハッタリです。院長はなんらかの方法で、不良少年たちに製法を教えていたのは間違いないと思いましたから」
手品の種を知ったように、むっつりとするロック。
「ようは、全部ウソだったってことかよ。汚ぇマネしやがって、それじゃああのクソ医者とたいして変わらねぇじゃねぇか」
「でもそうでもしないと、あの鉄格子は破れなかったでしょう?」
「バカ言うな、おれのパンチにかかりゃ、あんな鉄格子なんてハムスターの檻同然だぜ!
どうにもスッキリしねぇと思ったが、テメェに任せたのがそもそもの間違いだったようだ!
今からあのクソ医者のところに戻って、もう何発か……」
「もう十分でしょう。あの様子だと、しばらくは流動食でしょうから。
そんなことより、これからどうするんですか?」
ロックは腕組みをして目を閉じ、うーん、と考える素振りを見せる。
それはもっとも彼らしくない姿だと、ワットは思った。
「残った線を辿ってみるというのはいかがでしょう?
行方不明になったジェロムさんを探すか、ネクロマンシーを探ってみるんです」
ロックはパッと目を開く。
「そっか、まだそっちが残ってたか」
「はい。でも指名手配されても見つかっていないジェロムさんを、わたくしたちふたりだけで探すのは大変です。
ですので、もうひとつのネクロマンシーのほうを当たってみましょう」
ネクロマンシーというのは、死にまつわる魔法のこと。
死体をゾンビのように操ったり、死者の魂を呼び出して声を聞いたりする。
古代ロンドンでは禁忌とされており、失われつつあった魔法のひとつ。
しかしセマァリンによってネクロマンシーの能力を持つものが現われ、まさにゾンビのごとく近代に蘇ったのだ。
ロックは先ほど以上に深刻な表情で唸っていた。
「う~ん、ソッチのほうはちょっと気が進まねぇが……。まぁ、しょうがねぇか」
「おや?
「こ……このおれに怖いものなんてあるかよ! オバケってやつは殴れねぇから嫌いなだけだ!」
声を張り上げて言い訳するロックを「そういうことにしておきましょう」とあしらうワット。
「わたくしの古い知り合いのネクロマンサーが、ブリクストンのほうにいます。
裏社会について造詣が深く、おそらく警察からもノーマークでしょうから、なにか有益な情報が得られるかもしれません」
車は一路、ロンドンからテムズ川を挟んだ南にある、ブリクストンへと向かう。
今までより少し長めの移動となったので、ロックは車の心地良い振動についウトウトし、助手席で眠ってしまった。
しかしいきなり顔に水をぶっかけられ、夢の国から引きずり戻される。
「うわっぷ!? な、なんだ!?」
飛び起きると、車のダッシュボードのあたりから水鉄砲のような勢いで水が飛び出し、ロックの顔を濡らしていた。
「着きましたよ」とワット。
「なんだこれ!? テメェの仕業か!? へんなもの仕掛けやがって!」
「捜査の途中に寝てしまうロックが悪いんですよ。
それにわたくしの主なら、やさしく起こしてもさしあげますが、ロックにはあいにくその義理はありませんので」
「だからって、普通に起こせばいいだけだろうが……!」
ロックはブツブツ言いながら車を降りたが、その文句はすぐに消し飛んだ。
ブリクストンはロンドンでも治安の悪い地区のひとつで、街のイメージとしてはホワイトチャペルに近い。
古代ロンドンより、アフロ・カリビアンと呼ばれる、アフリカやカリブ海の移民が多く住んでいる。
同じレンガの街並みでも露天が多く、原色でサイケデリックな雑貨が雑多に積み上げられていた。
行き交う人々の格好は、撫でつけたオールバックにスーツではなく、アフロヘアとTシャツ。
壁に走る猥雑な落書きの前に、火のくべられ始めたドラム缶、たむろする目つきの悪い男たち。
ロックは大喜びで彼らにガンを飛ばしまくる。
今日は朝から上流階級たちの街を行き来し、その上品さにウンザリしていたロックにとっては、このピリッとしたストリートの雰囲気は何よりものごちそうとなった。
「マスタードのきいたピッカリリみてぇな空気、いいじゃねぇか。
ずっとカゴの中の鳥だったが、ようやく羽根を伸ばせそうだぜ」
「わたくしは砂漠の魚になった気分ですよ」
「テメェみたいに身なりのいいヤツは、あっという前にケツの毛まで毟られるかもな」
からかうようにそう言って、ロックはワットのまわりを、散歩に行くのが嬉しくてたまらない犬のようにグルグル回る。
どっからでもかかってこいとばかりに周囲を挑発していたが、逆にそれが不気味だったのか、誰もチョッカイをかけてくることはなかった。
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