12月22日


 …………気がついていた筈の違和感を思い出したのは、さっきになってからだった。


 「……結友ちゃん。」


 終業式が終わって、通知表が配られる。そんな当然の流れで、二学期最後の日は進んでいった。


 「…………凄く、変なことを聞くんだけど。茉耶のこと、みんな、忘れちゃってるの……?」


 美冬と、沙夜香と、帰ろうと教室を出て、ドアを閉めようとした時、また、息を切らせながら目を覚ましていた茉耶を見た。久しぶりに、苦しそうなその姿を見た気がした。何より、彼女が酷い夢に苦しんでいることを忘れていたことに気がついた。夏頃に見た、苦悶に満ちた茉耶の顔を、また、忘れるなんて。

 違和感がさらに募っていった。茉耶と、数えるくらいしか、まともに話した記憶が無い。茉耶が欠席したなんて話、聞いたことが無いのに。あの時も、今も苦しんでいたのだったら。短い時間の間に寝てしまって、悪夢に魘されていたのなら。私は、もっと彼女のその姿を見ていた筈なんだ。今、ようやく思い出すなんて、流石の私でもありえないと思いたい。だったら、信濃茉耶は、ずっと学校に居なくて、それか眠っていて、誰もそれに気が付かなかったのだとしか、思えない。


 「…………………」


 「だって、おかしいもん。茉耶、まだ、苦しいんでしょ?本当は、まだ、酷い夢を見ちゃうんでしょ?あんな苦しそうなの状態なのに、私も、誰も気づかないなんて、変だよ………」


 どうしようもない焦り。全部がおかしいことに気がついた時、私は二人に忘れ物をしたって嘘をついて、教室に急ぎ戻っていた。話した時も、そう。いつの間にか、茉耶は話の焦点から消えて、戻ってこなかった。


 予行の時も、期末の時も。短時間で眠っていたんじゃなくて、ずっと寝ていたことに誰も気がついていなかったのだとしたら。


 「…………もし、違ったら、ごめん。本当に私、何言っているのか分からないよね。思考が纏まらないんだ。でも、おかしいの。おかしいことだけは分かるの。」


 「……………………っ」

 悲しそうに俯く茉耶。迷っているような沈黙。まだ、夢の影響で、息が荒れている。



 「合ってる、よ。誰も気づかないの。わたしが消えちゃってるのも、消えるみたいに、寝ちゃっているのも。」


 ぽつりぽつりと、茉耶は話し始めた。

 「………小さい頃から、わたし、消えちゃう時があるんだ。でも、消えてることに、誰も気が付かないの。わたしは、居ないことになっちゃうみたい。そして、戻ってきても、誰も、わたしが居なくなっていたことに気が付かないの。」


 ………それが、どれくらい辛いことなのかは、私には分からない。でも、自分が居なくなっていたことに誰も気づかない、誰も心配しないのは、悲しいだろうな。


 「消えて、戻ってきた後は、どうしても眠くなるの。…………誰も、それにすら気が付かなかった。こっちの方が、自分が存在する分、堪えるなあ。」


 「茉耶…………」

 目が重くなっているように感じる。それでも、茉耶を見つめようと努力する。


 「前に話した………と言っても、もう半年は前か。でも、結友ちゃんは覚えてそうだね。あの、酷い夢の話。あれってね、わたしが消えちゃった時に行ってた所なの。それを…… 寝ちゃった時の夢にまで見るようになったの。」


 ………思い出せない。いや、多分、詳しい話は聞いていないんだ。でも、幼い子供みたいに泣きそうな茉耶の顔を見ると、本当に酷い目に遭っていることは伝わっていた。そんな所に、夢でまで行くのは……怖い。


 「夢なだけなら良かったんだけど、夢にすら、ならなくなって。もう、ずっと、消えちゃってるんだよ、最近は。あの時のも、さっきのも、眠ってたわけじゃ無いんだ。消えて、戻ってきた後、だったんだよ。」


 「…………苦しく、ない?」


 どうすれば良いのかが分からない。私には、彼女の言葉を否定する資格が無い。どうすれば、茉耶の役に立てるのかが分からない。


 「ずっと苦しかったよ。結友ちゃんは、何回か気づいてくれたよね。基本的に、授業中とかに飛び起きたって、誰も気づかないんだよ?

 ………でも、結友ちゃんなら慰めてくれる、起こしてくれるって思っても、やっぱり、全然気づいてはくれなかった。結友ちゃんに頼ろうとしても、結友ちゃんの方が気づいてくれることは滅多に無かったんだ。」


 「…………ごめんなさい。私、偉いことなんか一つも言えないね。」


 「結友ちゃんがまた気づいてくれたって思ったことが何回かあったの。寝ちゃってただけの時期に、気づいてくれたみたいにね。

 ………全部、夢、だったよ。あの一回以外。あっちの方で見た、夢だった。おでこに手を当てて、熱を心配してくれてた。でも………起こされたの。首を締められて、叩かれて。」


 ………私は、茉耶を苦しめてばかりじゃないか。期待させて、その期待を地に叩きつけてしまったんだ。何度も、何度も……!ごめんなさい。ただ、そればかりが胸に湧き上がる。どうしたら、償えるのだろう、どうしたら、茉耶を救えるのだろう。


 「ま……や………… ごめ、ん……」

 「ううん、良いよ。嬉しかったんだよ?気づいてくれて、慰めてくれて。それが、一回だけだったとしてもさ。それに、こうして、変だと思ってくれたことも、本当に嬉しいんだよ。」

 俯いた茉耶の言葉が、本当に悲しくて。私は何もできていないのに、嬉しかった、って言ってくれる彼女に、胸が痛くなる。


 「でも……… もう、手遅れなんだ。足りないの。結友ちゃんに全部話したって、もう何も意味がないんだ。わたし、もう…………」


 「………………っ」


 私じゃ、茉耶がまた消えたとしても、それに気づくことが出来るのかが分からない。だって、半年の間、一度も気づけなかったのだから。………断片的にでも、知っていた筈なのに。


 「ごめんね、でも、結友ちゃんは、何も出来ない。」


 その通りだ。今だって、自分の至らなさに胸を締め付けられているのに、解決策を考えようとしていない。茉耶に、考えなくて良いって言われたことに身を委ねてしまっている。



 「助けて、欲しかった…………」


 彼女が、ずっと言えずに、抑えておくつもりだった言葉が零れ落ちる。悲痛で、悲しくて、何も出来なかった私達に対する全てが語られていた。目を瞑る。彼女を直視することが出来ない。どうして、彼女を救えない私なんかが彼女の前に立っているんだ。



 「…………帰ろっかな。結友ちゃんも、みんな待たせちゃってるんじゃないの?」


 ………茉耶は、本当に何も、私に求めてないんだ。帰ったら、私はもう茉耶とまともに会えないのに。


 「ううん。どうせすぐ別れるから、先に帰ってもらったんだ。だから、さ…………

 少しだけ、そばに居させて、よ。」

 このまま、帰ってしまうのは、気持ちがやりきれなかった。校門前の別れ道で、全部無かったことになるんだとしても。少しでも、その時間を遅らせたい。



 「…………うん。」


 肌寒い季節、今にも雨が降りそうな曇天が窓の外に広がっている。雨が降っていたら、もう少し言い訳も出来たのかな。綺麗な夕陽だったのなら、彼女を笑顔にすることも出来たかもしれないのに。

 茉耶の隣に、虚になって立っていた。この時間がずっと続いていて欲しい。そんな気持ち以外が上手く思考出来ないでいる。



 ………どのくらい、ただそばにいたのかも、どうやって帰ったのかも、分からない。ただ、茉耶が、帰るよ、と静かに言って、うん、と頷いた。


 階段を降りて、正面玄関を潜る。どんな会話をしたのか、無言だったのかも分からない。


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