6月30日
期末試験の二日目も無傷とは言わずとも無事に終わり、疲れを抱えた私達三人は、さっさと帰ってしまおうと言う結論に至っていた。
「明日歴史あるのかあ……… だる……」
「結友、暗記得意でしょうに。」
「やりたくはないんだよ。私だって寝たい。」
そう言う美冬だって暗記するだけなら得意な方の筈だし、私には眠い数学が得意な沙夜香だって羨ましい限りだ。
「寝とけ寝とけ。そして私の順位を上げろ。」
「え、やだ………」
授業を聞いているのか聞いていないのかよく分からない沙夜香に言われるのはかなり癪だ。寝るけど。
三階からの階段を降り、正面玄関へと進む。他のクラス、他の学年の人も多くて、一つの行列みたいになっている。校門から出て、帰る方向が違う私は美冬達と別れ歩きだした。音楽を聴こうとイアホンをスカートから取り出す。
「ん………あれ、スマホ忘れた。」
試験中は電源を切り、バックに入れるだけだといざという時が怖いので校則通り真面目にロッカーに入れたら、そのまま忘れてしまったようだ。
Uターンして、道の端を急ぎ戻る。校門を出てすぐ気付いたから、そこまで戻る必要は無い。強いて言うのなら、三階まで階段を登ることが面倒な程度だ。
「ひっさしぶりにやらかしたなあ……」
まだ続いている帰宅行列を横目に校舎に入り、階段を登る。この時間、もう試験中のクラスは無いからか、いつも通りの騒がしさを玄関そばの階段は持っていた。
教室に入ると、三、四人のクラスメイトがまだ残り、早めの昼食をたべながらはなしこんでいた。話している内容はよく分からないあたり、私は流行に遅れている。
「あれ、結友どうしたの?」
「スマホ忘れたー。」
「あるある。」
ちなみに、人並みには話せる。人並み以上には話せないけど。ロッカーを開けて覗くと、しっかりスマホが安置されていた。
「これでよしっと。」
特に用事も無いし、さっさと帰ることにしよう。ロッカーのドアを閉じ、鍵をかけ、立ち上がった時だった。
「っ……はぁ、はぁ……………」
久しぶりに聞いた気がする声質。近くにいた私にしか聞こえなかったくらいの小さな、でも緊迫していた声に驚き、思わず振り向いた。
「だ、大丈夫?」
肩で息をする背中が茉耶が気分が悪そうな顔でこちらに振り向いた。出席番号順に座ると、茉耶は丁度、ロッカーに近い一番後ろの席になるのだ。
「結友ちゃん………」
「茉耶?…………大丈夫?」
一眼見て心配する程度には、顔色が悪かった。全身に汗をかいていたし、息が微妙に荒いようだった。タチの悪い風邪を引いて、それなのに雨の中を歩いたかのような状態だ。
「う、うん…… 魘されてただけ。」
その言葉で漸く、茉耶がいつの間にか眠ってしまう、と言う話をしていたことを思い出す。話を聞いてから一、二ヶ月。その話を思い出すのに、少々の時間をかけてしまった。
「そっか………」
「少し、酷くなってきてるみたいなの。気がついたら眠りに落ちていて………いつも、酷い夢を見るんだ。今日、何があったのかも思い出せないくらい。」
茉耶の前に座って、茉耶の目を覗く。色素が薄めの整っていて、愛らしい瞳が錯乱しているように見える。
「それは、辛いね…… どんな夢見るの?」
「………気がついたら、暗いところにいて。離れなきゃ、って思うんだけど…………っ、ごめん。」
「無理して言わないでいいよ、こっちこそごめん。」
泣きそうな赤い顔。身体が震えている。本当に酷い目に遭っていたようだ。
「…………いつから、その夢を見るようになったの?」
前に聞いた時は、ここまで酷くなかった筈だった。実際に眠っていた茉耶を見た記憶はそんなに無いし、こんなに憔悴している彼女を見るのは初めての筈だ。家で一人、無制御に眠ってしまうことの方が多いのだとしたら、起きた瞬間、目の前に人がいたら縋ってしまうものなのかもしれない。私に出来ることは無いけれど、少しだけ分析をしてみる。
「二、三週間前から、かな……」
「それは、よく寝れないね。」
ほぼ一ヶ月も、いつ来るか分からない悪夢に魘されるのは辛いだろう。どんなタイミングでも、安心して生活が出来ないのだから。
「うん……… ごめん、少し、そばに居てくれる?」
あまりに弱々しくて、苦しそうな彼女は、自分と同い年であるようには見えなかった。机の上に組んでいた私の手を彼女の手が握る。赤白く震える彼女の手は強張っていて、まだ治っていない呼吸と同じく、熱を持っていた。
「言われなくても、そのつもりだよ。」
右手を茉耶の手の中から抜き取って、私の左手を両手で握った茉耶の手を覆う。
「結友ちゃんは、本物だよね………?」
不安そうに呟く茉耶。彼女に籠る手の熱は徐々に中和していき、同じように彼女も落ち着きを取り戻している。それでも、彼女が受け取るべき安心には程足りない。
「勿論、本物だよ。私なんかが、茉耶の夢に登場できる筈無いでしょう?」
これは、本心だった。誰かの夢に登場できるほど、私は誰とも関われないのだ。人間関係の維持に対する気力なんて、どうやったら備わると言うのだろう。美冬も沙夜香も、私のことを大事だとは思っていないのだろう考えてしまう気持ちは拭えない。まあ、それが普通なんだと思うけれど。
「………そんなこと、ないよ。」
「あ、もしかして私、出てきたりした?……それは、ごめん。」
「なんで謝るの。…………でも、うん。結友ちゃんが出てきたのも、嫌な夢の中、だった。でも、それは結友ちゃんの所為じゃないよ。」
「まあ、そうかもしれないけど。でも、ちょっと申し訳なくてさ。」
だって、不安そうに聞くほど、嫌な夢だったんでしょ?
そう言いかけて、でも、少し笑ってくれた彼女にまた、辛そうに話すだろう話題を振りたく無くて、黙ってしまった。
「…………そろそろ、帰ろうかな。みんな帰っちゃったぽいし。」
「そうだね。茉耶も、元気が戻ったぽくてよかったよ。」
手の熱が私の方に大分移っていた。思っていたよりも時間の流れが早かったようで、私達しかいない教室の外からのみ喧騒が聞こえる。私の手を離した茉耶は、深呼吸して、帰る準備を始めた。
「結友ちゃんは準備大丈夫なの?」
「ああ…… 元々、スマホ忘れて戻ってきただけなんだ。いつでも帰れるよ。」
「そっかあ。引き止めちゃったね。」
立ち上がった茉耶がまだ少し赤い目で私を見つめる。誰かに、こんなふうに見つめられるなんて、いつぶりなのだろう。
「結友ちゃん、ありがとう。」
「いえいえ。当然のことをしただけだよ。」
「………そっか。それでもだよ。」
やっぱり、私と茉耶も帰り道は反対方向で、校門から出たら、彼女とは離れてしまった。結局私は一人、いつも通り音楽を聴きながら帰ることになったのだった。
「なんで、希望を、混ぜちゃうの………?」
少女の、分かり切ったような希望への否定を吐き出した声は、帰宅した瞬間に彼女を覆いつくした眠気に沈んでいく。
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