5月19日
明日の体育祭の予行も終わって放課後、梅雨入り前とはいえ、少々天気が不安な時節。午前授業が終わってフリーな午後に心弾ませつつ窓の外の曇り空を眺めていたら、軽いうめき声が耳の端に止まった。
「ううん…………」
ちょうど窓際の席に座っている、茉耶の声だった。まだ眠そうに目を擦る仕草は、同性の私でも惚れそうなくらいに愛らしい。
「あ、結友ちゃん………今何時?」
「一時過ぎ。っていつの間に寝てたの?」
予行練習が終わってすぐにある帰りのホームルームから、まだ5分も経っていない。早々に帰った人、帰る前に昼食を食べる人、まだ駄弁っている人と、教室はまだまだ騒がしい。私も、帰る前に昼ごはんを食べるつもりだ。
「分かんない…… 気づいたらよく寝ちゃってるんだよね……… 多分これ現実だ……」
まだ若干、寝ぼけているのだろうか。声がどうも柔らかい。
「予行の時に寝ちゃっても良かったと思うけどなあ。誰かしら起こしてくれるだろうし。」
「予行……、あ、今日そんなのあったんだったね………」
「かなり疲れてない?大丈夫?」
微妙に会話の時間軸が成立している気がしない。休みも遅刻もいなかったし、茉耶も参加していた筈なんだけど。眠っている間の出来事に意識が持っていかれているようだ。
「たぶん疲れてる………」
このままだと、彼女はまた眠ってしまいそうだった。教室の机で寝させてしまったら、疲れも取れないだろう。なんだか、不安になりそうなほどの熟睡をしてしまいそうだった。眠い最中には悪いけど、この感じなら、早く帰った方が良さそうな気がした。
「帰れる?ここで寝ても疲れ取れないよ?」
腕に埋めていた頭が少し下を向いて、それが、まだ帰る気が起きていないことを表しているのだと分かった。
「寝たくはない………… ん、んーっ。」
それでも、寝たい訳では無かったらしい。頭を上げて、目を擦り直して起き上がった茉耶は大きく伸びをして、小さく息をついた。少し憂鬱げに感じるのは、目がまだ帆染まっているからだろうか。
「お茶、飲んだら?」
「ん、そうだね……」
机の端に置かれていたペットボトルのお茶を開けて、ゆっくりとかなりの量を飲んでいる。寝起きって、喉が乾きやすいよね。曇り空の割に暑い今日だと、冷たいお茶も温くなってしまいそう。
「ありがと、起こしてくれて。」
あと二、三口で空になるだろうペットボトルを弄りつつ、大分意識がはっきりしてきていた茉耶が笑う。
「休み時間とかで人を起こして恨まれることはあっても、感謝されるのは珍しい。」
「わたしは起こされたい方かなあ。いつの間にか寝ちゃうことしかないから。」
「そうなんだ?疲れるもんね、学校。あー、そういえば、眠そうだったっけ……」
ちょっと前に見た、眠そうに俯いていた茉耶の姿を思い出す。結局、あの後は寝てしまっていたのだろうか、茉耶がそんな注意を受けていた記憶は無いのだけど。
「うん…… ちょっとした悩みだよ。」
茉耶にしてくっきりとした軽い口調で言っているけれど、本当に「ちょっとした」悩みであるようには見えないような気がしてしまった。少し、言葉に詰まっていると思えた。言葉を選ぼうと、数コンマ言葉が遅れているような。
「結構切実そうだけどなあ。やりたいことやれないし。そういうのって、どうやって治せるのかねえ。」
「うーん、実際、結構面倒だよ。でも、治らないから………治そうとするの、諦めちゃった。」
適応出来てしまうものなのだろうか、でも、それはやりたかったことを棄てることで可能となるようなものなのではないだろうか。
「そっかあ。酷そうなら、病院行ってとかも手だろうけど……」
「多分、無理かなあ。それに、そうするほどじゃあないよ。」
まあ、どうしようもないことでも、問題になってないのなら、大丈夫なんだろう。問題であったとしても、それを私がどうにかすることはないだろうと言い切れるのもある。本人がどうにもする気がないことに対して、私が心配以上の行動を出来るとは、到底思えなかった。
「結友ちゃんはお昼食べるの?それとも帰る?」
「ん、ああ、今から食べるとこ。美冬も沙夜香も部活あるから、結構寂しかったり。」
体育祭の不思議なところは、部活に入っている人達を人員として活用するところだろう。用具だったり、集計だったり。そのためのミーティングに二人は駆り出され、いつもなら号令後に急いで食べて、校門までは一緒に帰るところだった私は一人だったのだ。
「あはは、ちょうど良いね。メロンパンは買ってきてるんだ。」
「クリーム入りのやつだ。」
甘い匂いのコンビニのパンを持った茉耶の向いに座って、私達はコンビニの好きな商品の話題に花を咲かせたのだった。
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