第2話 グアム島🇬🇺

 グアム島は、マリアナ諸島およびミクロネシア最大の島で、その南西端に位置する。海底火山によって造られた。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部は火山の丘陵地帯である。最高所はラムラム山で標高406m。


 グアム島に人類が住み着いたのは紀元前3000年~2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられる。そのことはラッテストーンと呼ばれる古代チャモロ遺跡が残存していることでわかる。


 1521年にポルトガルの探検家マゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達。1565年にレガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、フィリピンのマニラとメキシコのアカプルコを結ぶ航路が1568年に開かれ、スペインの大型船ガレオン船が太平洋を行き来するようになり、1年に1度6月ごろロタやグアム周辺に現れ、チャモロと物々交換を行った。 1668年にスペインのカトリック教会使節サン・ビトレスを中心としたイエズス会がカトリック教会の布教活動のため訪れるようになった。先住民はチャモロであるが、サイパンを含む北マリアナ諸島から移住させられたチャモロが多数いた。


 しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れた。キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗はなくキリスト教文化が定着するようになったといわれている。


 1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲され、植民地支配下におかれた。アメリカはスペイン同様に現地の文化や風習を無視してグアムのアメリカ化を進めるなど、植民地支配を推し進めた。


 1941年12月8日、太平洋戦争が勃発。大日本帝国海軍は真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)に、グアムへの航空攻撃を開始し、2日後に日本軍がアメリカ軍を放逐し、島名を「大宮島」と改名して大日本帝国領土とし、その後2年7か月にわたり占領した。


 1944年7月、グアムの戦いでアメリカ軍が奪還した。以後アメリカ軍は日本軍が使用していた基地を拡張し、戦争終結までの間日本列島への爆撃拠点として使用した。


 1950年にアメリカ合衆国議会により「グアム自治基本法」によって主権に制限を受け、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 」という政治的地位となり、カールトン・スキナーが初の民間人知事となった。


 第二次世界大戦の終戦後も、現在に至るまでアメリカ軍の太平洋戦略上重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、ベトナム戦争の際も北爆に向かう爆撃機の拠点として使用され、アメリカ軍が経済に与える影響も大きい。


 1960年代後半以降は、日本からの観光客を中心とした観光地およびリゾート地として発展を遂げ、ホテルやレストラン、免税店などが立ち並ぶ。1990年代以降日本からの観光客は減ったが、2000年代以降は大韓民国や中華民国からの観光客が増加し、現在は経済面では日本などの海外からの外国人観光客による収入が重要な位置を占めている。


 髄天がグアムに来たのは旅行が目的じゃなかった。ゾンビが現れたというのだ。髄天は怪物を倒すことの出来る聖なる剣を手にしていた。

 星子が友人とグアムに旅行に出かけたきり戻って来ない。彼女を助けなくちゃ!





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