第21話 青山

 夜空に満開の花弁が咲いては散っていく。開花時期は夏の一夜のほんの一瞬、その一瞬に彼らはの世界で一番の輝きを放つ。

 ──私も、そうでありたいと思う。


「すごいね、花火」


 私の横で無邪気な顔をして話しかけてくれる可愛い彼氏──笹川は、どうやらもう先ほどの頬へのキスのことなんて花火への興奮で忘れてしまったらしく、それは少し残念だと感じる。

 でも、それでいいのかもしれない。


 彼は今日、もしかすると許されざることをしたのかもしれない。世間的に見れば褒められることでも、恋人関係の二人の間ではあってはいけないことをしたのかもしれない。

 彼のした行いのせいで、私たちは花火を見始めるのが三十分も遅れてしまった。

 それでも、私は彼に強い言葉で非難を浴びせることはできなかった。

 悪いことをしたわけではない、寧ろ褒められるべきことをしたのだ。そう言って彼には誤魔化したけれど、本当のところはそんな単純な話ではない。

 私はどうしようもなく彼のことが好きなのだ。彼の顔を見ないでいた間にほんの一瞬感じた怒りなんて、彼と面を向かって口にして仕舞えばそれだけで幸せへと昇華されて、まるで最初から負の感情はなかったかのようにされる。

 笹川も大概、私のことが好きだと思うが、おそらく私からの笹川への愛は笹川の想像の範疇を超えている。当の私でさえ、その感情の大きさには手間取るほどなのだ。

 人生を十六年生きてきて、これほどまでに他人に愛を感じることなんて今までなかった。本当に不思議なものだと思う。

 どうしようもなく笹川のことが好きで、そしてどうしようもなく不安になる。


「……」


 何かを話しかけようと思って隣に座る笹川を見上げても、言葉は出てこない。

 彼の目は花火を超えて、何か遠い星を見つめているようで、その行き先がわからなくて不安になる。

 ──自分の知らない間に、笹川がどこか遠いところへ行ってしまうのではないか。

 今日、少女──かえでちゃんのサンダルを探しに行った笹川の背中を見ながら、そんなことを考えた。思わず「帰ってきてね」と言葉に出してしまった。これは彼に届いていないといいな、口に出した後に後悔した。

 あのままどこか遠くまで行って、帰ってきてはくれないかもしれないと笹川のいない僅か三十分の間に幾度となく考えた。

 おそらく笹川には勘違いされている節があると思うのだけど、残念ながら私はそんなに強い人間ではない。彼の前だから余裕ぶった女の子を演じているだけで、本当は私だってドギマギするし不安もある。彼に対する引け目もある。

 私は強い人間ではない。肉体的にも強くないし、おそらく学校での影響力だって笹川が考えているほど強くない、自分の意思だって強くない。


 私に言わせてみれば、本当に強いのは笹川の方だ。


 彼は肉体的にも、学校での影響力も確かに強いとは言えないかもしれないけれど、確かに強いを持っている。

 困っている人がいればどれほど時間がかかっても助けてしまうし、一度助けると決めれば見捨てることはない。私には、その強さが眩しい。

 今日だって、不安で仕方がなかった。彼が戻ってこないはずはないと頭ではわかっているのに、何か強い力が働いて彼はかえでちゃんを救うことに一生涯を賭してしまうのではないかと、そんな気がした。

 ありえないことに、不安を感じてしまう。

 笹川は私という人間のことがとんでもなく好きで好きでたまらない。だから私を裏切ることはないとわかっている。

 それでも、彼の持つ意志の強さならば、もしかすると私は何かの犠牲となって彼を失うことになるのかもしれないと、そう思ってしまう。

 笹川が、いつか私の前からいなくなってしまうのではないか。不安に駆られる。


「……青山」


 愛すべき彼が、花火と花火の間の沈黙を破る。


「ん?」


 今まで考えてきた不安を悟られまいと、できるだけ余裕な表情を構えて、私は返事をする。


「その……浴衣、似合ってるし、可愛い……と思う」


 時間が止まる。そんな錯覚が起きる。

 全てが幸福に満たされる。血流が速くなる。彼から視線を背ける。


「……あは、今更だねえ」


 私の不安なんて、もうどうでもいいのだ。

 今日はこの言葉だけで良い。そうとまで思えるほどの多幸感に包まれながら、私は彼の方に体を預けた。

 彼の言葉が私の心を強く抱きしめるように、先刻の頬への口付けが、彼の心を強く縛りつけてれば良いなと、強く願った。

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