第15話 夏休みの始まり

 夏休みが始まって、もう三日目になるだろうか。

 初日から今日まで、僕はその間ずっと家に引きこもってゲームを……なんてことはなく、僕は今日も学校へ来ていた。

 それは別に、僕が夏休みも学校に来てまで自習に心血を注ぐ律儀な人間だからというわけではない。僕以外も、それなりの生徒が夏休みが始っても五日程は学校に通わなければいけない。

 そう、つまりは夏期講習だ。


 うちの学校は公立でそこまで名が高いわけでもないけれど、一応それなりには教育には力を入れてい流らしく、夏休みには前半に初日から五日間、後半には最終日までの五日間、その午前中に夏期講習と称して特別カリキュラムの授業を実施している。

 この制度に対して文句を言うつもりは僕には特にはなく、前半も後半も別にいつものように学校で授業を受けてまっすぐ帰ってくればいいだけなのだから、特に苦だとも思っていなかった。

 そう、これは去年もあったことで別に変わったことではないのだ。

 だから、今年も適当に五日間をやり過ごせば、自堕落な生活を送れる夏休みが待っているということなのだ。大したものではない。

 ……そのはずだった。


 *


 七月の終わりということはもう夏の盛りはもう僕たちの学校にはたどり着いていて、今日もそれなりに熱い日だった。

 いつも通り朝起きて適当に朝の支度を済ませれば学校に来る。

 教室にはほとんどいつもと変わらないクラスメイトの姿があって、でも時々ちらほらと空席も見える。

 そういう人たちは大体学校の外で塾に通っていて、夏期講習もそっちの方に通っているので学校の夏期講習はとっていないのだ。そして青山もそんな生徒の一人で前半の夏期講習には顔を出さない。実は青山は、それなりに良い家の生まれらしく日頃から塾に通っていたり、幼い頃にはピアノなんかも習っていたりしたらしい。

 つまりそういった特殊なケースの人と、単純に講習を休んでいる愚か者がいないこと以外は、なんの変哲もない学校生活なのだった。


 僕はこの講習期間もいつも通り誰とも話すことはなく──と思っていたのだが。


「おう、おはよう笹川」


「赤城、おはよう」


 爽やか短髪バンドマンこと赤城は、最近やたらと僕に話しかけてくれる。彼そのまま、僕の席の前にあった椅子に座る。

 まあ文化祭のクラス企画で関わることが増えた影響もあるのだろう、僕は正直赤城のことを悪くは思っていなかったし赤城もちょうど良い距離感で僕に接してくれてとても心地よかった。

 多分赤城とここまで話すようになったのは、学校ではあまり青山と話している姿を見せないように努めていたからだろう。野崎さんもかなりの美少女なのでクラスからの非難を買いかねないので、必然的に赤城と話すことが圧倒的に増えたのだ。

 なぜか青山は「なんか悔しい」と赤城に人知れず腹を立てていたが、それに関して全く理解出来ない。


「今日も今日とて、鬼熱い」


「本当にね」


「そういや図工室、昨日修理業者入ってエアコン直ったってよ」


「そうなんだ、それは外装の人たち喜ぶだろうなあ」


「そりゃもうウハウハだろうな、パーティーとかし出すんじゃないか」


「21世紀にもなってエアコン一つでお祭り騒ぎは恥ずかしいって、原始人じゃあるまいし」


 僕の返しに赤城は「確かにな」といって笑ってから、一つ僕に告げた。


「ああそうだ。今日は内装ヘルプらしいから、また残ってくれ」


「……僕らに休みはないのかい」


「お前、やっぱり結構文化祭やる気ないだろ」


「いや、あるかないかでいったらあるけど」


「絶対的にあるかじゃなくて、周りに比べて相対的にやる気が少ないって話だよ」


 赤城は僕の頭をつんと小突いて立ち上がる。


「まあでも笹川はなんだかんだ言って手伝い来てくれるから良い奴で好きだぜ。じゃあまた放課後な」


 赤城はヒラヒラと手を振って去っていく。僕はそのやたらと高い背中を見つめながら考える。

 一日目は外装、二日目はメニュー、三日目は内装。この三日間でそれぞれ違う部門に手伝いに行っている。総務部とは名ばかりのもので、本当に便利屋である。

 正直面倒くさいし、しかも今日は夏休みが始まってから初めて青山がうちに来る日なのでそこまで遅くは残れないし、サボってしまおうかとも考える。

 でもその時に、さっきの赤城の言葉が蘇る。多分、僕と赤城は友達になれたといっても差し支えないのだろうか。僕にかけられた信頼の言葉。

 それを思い返すと……まあ、やる気が湧いてこないわけでもない。


「……行ってみるだけ、行ってみるか」


 *


「内装の仕事、そこまで重くなくてよかったな」


 現在時刻は三時を少し回った頃だ。僕は赤城と共に帰り道を歩いていた。

 総務部が始まってから、こうして僕と赤城が一緒に帰ることは珍しいことではなかった。帰り道の方向も途中まで同じだし、僕が青山と一緒に帰るわけにもいかない。

 必然的に僕と赤城の組み合わせが増え、赤城も僕を邪険に扱うこともなく一緒に帰ってくれていた。


「そうだね、外装の時みたいににならなくてよかった」


 本日の総務部の仕事内容であった内装部門の手伝いは、軽い折り紙飾りをいくつか作る程度のもので、僕と赤城と野崎さんの三人ほどで作業を進めれば小一時間ほどで終わるものだった。

 青山がうちに来るのは確か四時ごろと言っていたので、それに間に合わないような時間が掛かるなら先に帰らせてもらうつもりだったのだけど、それも杞憂に終わり、今こうして赤城と二人家路についている。


「それにしても、笹川って本当器用なのな」


「それは僕にも意外な発見だった」


「はは。去年から文化祭の準備参加してたら、もうちょい早く気付けてたかもな」


 赤城が茶化すように僕に笑いかける。その言葉に僕は「残念ながら、この器用さは今年いっぱいしか発揮しない予定なんだ」と返して、僕らはまた少し笑う。


「笹川は中々の逸材だから、それは困る。総務部だってお前がいなきゃ、どうなってたことやら……」


 僕よりもだいぶ背が高い赤城の視線が僕から外され、どこか遠い場所を見るようにして彼は呟く。

 僕は曽於の言葉で、彼が何を言わんとしているのかがわかる。

 おそらく、青山のことを言っているのだろうと思っていたら、どうやらその予想は外れていなかったらしい。


「あいつ頭はいいのに、変な所で不器用なんだよなあ」


 その言葉には、僕も同意する他ない。

 確かに青山は学年でも頭のいい方なのに、やたらとガサツだったり、文章を書くのに手間取ったりと、おかしな所で不器用さを発揮している。

 青山は基本的に何でもできる要領のいい人間だと思っていたけど、どうやらそうでは無いのかも知れない。


「まあ確かに、青山の不器用さの皺寄せが二人に行くのは、だいぶ重労働だね」


 赤城はそれに同意するように頷く。

 どうでもいいことだが、総務部に入ってから僕は青山からの熱烈な要望により学校での彼女の呼び方を『青山さん』から『青山』へと変えている。

 僕としては呼び捨ての方が自然でこの変更はありがたいのだけど、周りにどう思われるのだろうと心配だった。しかし世間は僕が思っているほど僕に興味がないようで、僕のちっぽけな勇気はまるで最初からそうであったように日常へ馴染んでいった。

 どうでもいいことを考えていると、赤城がふと足を止めて呟いた。


「この花火大会……ってもうそんな時期か」


 その言葉に僕も足を止めて彼が見つめているポスターに目を向ける。

 確かにそこには、過去のものであろう花火の背景に重ねて隣町で花火大会を行う旨が記されていた。


「この花火大会に、なんか思い入れあるの?」


「ああいや、昔は薺と毎年行ってたから懐かしくてな」


 彼はなんでもないことのように言って頭を掻いた。

 これも総務部での日々で分かったことだが、赤城と薺──野崎さんは幼馴染であり、僕は密かに彼らは付き合っているのではないかと思っている。聞いたことはないけれど。

 赤城と一緒にポスターを見つめる僕に向かって、彼は少し悔しそうに言葉を続ける。


「でも今年は家族旅行ともろ被りしちまって行けなくなってな」


 それは何とも。気の毒というか、恋人同士(真偽不明)が夏の一大イベントである花火大会を一緒に過ごせないというのは、確かに悔しいものなのかも知れない。それが幼い頃からの思い出のものなら、尚更。


「それは残念だね」


「今年は一緒に行きたいやつ誘おうと思ってたんだけどなぁ、まあ仕方ねえけど」


 何だか妙なはぐらし方をするなと思いつつも僕はそれに適当に相槌を打つ。赤城的には野崎さんとの恋人関係(真偽不明)はあまり大っぴらに言いふらすものではないのかも知れない。


「笹川も誰か誘っていってみたらどうだ? 例えば……彼女とかどうだ」


 赤城が僕を揶揄うように笑いかけてくる。彼は僕にそんな相手がいないと思ってそう揶揄っていて、僕もそれに応えるように冷たい視線を作って彼に送った。

 赤城の揶揄い方には不思議と不快感はなく、むしろあっけらかんとして好ましくもある。

 僕と青山の関係はまだ赤城には話していないけれど、彼にはいつか話していいと思えるほどに、そして今のように軽いやり取りができるほどに僕と赤城の距離は縮まっていた。


「いい性格してるよ、本当に」


 赤城は欲しかった反応が返ってきたという風に楽しげに笑う。

 僕はそんな赤城を、本当の意味でだと思っているし、もしかするとこのまま文化祭が終わった後もいい友人になれるのかも知れない。そんな予感が走った。

 そしてこの時の僕には、もう一つ思っていることがあった。


 ……確かに、青山と夏祭りというのは楽しいかも知れない。

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