第13話 総務課の皆様

 7月某日、まだ教室には生徒の姿もまばらな放課後。

 黒板には『総務部第一回決起集会』と記されている。一体どんな物騒な組織の集会なのだろう。一体何に対して決起するというのだろう。


「お、笹川も総務部か」


 そう言って爽やかに僕に笑いかける短髪好青年──赤城。


「そうだそうだ、笹川くんだ。よろしくね」


 そんな赤城の言葉を聞いて思い出したらしく、僕の名前を呼びにこやかに挨拶をする美少女──野崎さん。


「なんだか珍しい組み合わせになったね」


 この現状の全ての元凶にして尚それをおくびにも出さずに、教卓の目の前に立って教室前方に集まる僕らの中心に立つ悪魔──青山。


「よ、よろしく〜♪……」


 そして慣れない環境にて緊張のあまりにテンションがおかしく、サムズアップまでしてしまっている愚か者──僕。


 気まずい沈黙が流れる。この集会に関係のない生徒の「うわー、やったよ」という視線が背中に突き刺さるのがわかる。死んでしまいたい。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか……。


 *


 時は、十五分ほど前に遡る。

 その日は7月も残すところ二週間という時期にしては考えられないほどに涼しかった。多くの生徒がその天候に驚きつつも、「過ごしやすいね」と軒並み嬉しそうだった。

 ただ一人、僕を除いて。


「……胃が痛い」


 周りに聞こえないように、独り言を呟く。教室に溶けて消えてゆく。

 別に、涼しいのが嫌いという珍しい人間なわけではない。僕だって過ごしやすいのは好きだ。

 それでもなぜ僕がこんなにも憂鬱な気分なのか。

 担任の教師が帰りのSHRの終了を告げ、僕らは退屈な学校から解放される。それと同時に、よく通る綺麗な声が響いた。


「じゃあ今日は残ってくれる人は文化祭準備ってことでお願いしまーす。各々の部門ごとで集まってください」


 声の主は綺麗な黒髪を靡かせて黒板の前へと進むと、『総務部決起集会』と端正な文字で書き起こして、こう続けた。


「とりあえず、総務部の人は教卓の周りに集まってくれると嬉しいです」


 なるほど、「〜してくれると嬉しい」という文言に従えば、放課後に残るのは強制でないとも捉えられる。ならばと、僕は荷物をまとめて席を立つ。


「笹川〜? 集まってくれると、嬉しいでーす」


 前言撤回。ここでの「〜してくれると嬉しい」はどうやら、それに従わなければ殺されてしまいかねない文言のようだった。

「協調性ねー」とクラスメイトに笑われながら、僕は声の主を情けなく睨みつける。

 僕の彼女──青山は、悪魔なのかもしれない。


 *


 というわけで、今僕は教室の空気を凍り付かせている。ただでさえ涼しかった本日の気候が、今は指先が震えるほどに冷たい。

 周りからの視線には哀れみの情を含んだものも多い。早く誰か僕を殺しれはくれないか。


「ま、まあとりあえず、これからこの四人でやってくって事なんだし、軽く自己紹介しよっか」


 助け舟を出してくれたのは、野崎さんだった。ハーフアップ風にまとめたボブカットの彼女の栗色の髪の毛が、ぱんと手を叩くのと同時に軽く揺れる。

 彼女は確か、青山のバンド『Vega』のベースだったか。

 そう考えるとここにはギターボーカルの青山にドラムの赤城までいて、これはなんとも奇妙な縁だとも思えてきた。そして同時になぜ僕がこんな人たちがいるグループに入ってしまったのかも、奇妙である。

 そもそも、総務部が四人というのも今日になって知ったことで、しかもメンバーがクラスの人気者三人と日陰者の僕一人。異常事態以外の何物でもない。

 考えていたら、野崎さんが「じゃあ私から、」と話し始めた。


「2年3組……って同じクラスだからそれはいいか。野崎薺なずなです。趣味とかは特にないんだけど軽音部に入ってて、一応ベースをやってます。よろしくね」


 少し垂れ目気味で可愛らしく、おっとりとした印象通りの人当たりの良さそうな笑顔で僕たちに笑いかける。青山とは違うタイプだが、この人もだいぶ美少女だなあと思う。

 彼女の自己紹介を僕はなるほどと思いつつ聞いていたが、青山と赤城は彼女の自己紹介には特にこれといった反応は示していない。まあそもそもこの三人は、クラスからあぶれている僕から見ても大分仲がいいということは見てわかるぐらいなので、今更自己紹介をする関係でもないのだろう。

 詰まるところ、僕だけがこの空間では異質。僕がいなければこの自己紹介は無かったことになる。全くもって厄介な部門に入ってしまったものだとひっそりと青山に怨念を送っておいた。


「ああうん、よろしく」


 特に面白い反応も返せず、そんな反応しかできない僕に野崎さんはそれでも優しく頷いてくれた。

 しかし僕の記憶違いでなければ、青山のバンドの件のオリジナル曲を作ったのは彼女と聞く。自己紹介では作曲について言及していなかったが、ベースをやっていると言っていたからほぼ間違いないと思うのだけど、おっとりとした印象からは想像できないほどロックな曲を書く人だ。欲求不満なのだろうか。


「じゃあ次は俺か。つっても、笹川とは最近少し喋ってるから今更感あるけど。赤城晴翔はると、部活は薺と同じく軽音部! 趣味はドラムと音楽鑑賞だ、よろしくな」


 まあ確かに赤城とは最近、教室で一対一で顔を合わせる機会があれば二、三言言葉を交わすぐらいの中にはなっていたが、それでも知らない情報はいくつかあった。でも大丈夫だ赤城、僕に自己紹介がもっと今更すぎるやつが、君の目の前にいる。

 青山がそんな僕の視線に気づいたのか、軽く首を傾げる。

 その仕草が可愛らしくて……ではなく、僕らの関係がばれかねないので、僕は一つ咳払いをして話す。


「よろしく。て言うか赤城、軽音部なんだ。てっきり運動部かと」


「まあなー。一年の最初はサッカー部入ってたけど、すぐに転部したんだ。前からドラムには興味あったし、運動部は中学の時でこりごりだったしな」


 赤城が肩を竦めるように戯ける。中学の時は厳しい部活にでもいたのだろうか。

 そう考えてから、次の自己紹介が時計回り順的に僕だと言うことに気がついて、慌てて言葉を紡ぐ。


「あ、えーと。笹川です、帰宅部です。趣味は……音楽鑑賞とか、です」


 何とも歯切れの悪い自己紹介になっってしまったが、仕方がない。日陰者はこう言うのには向いていない。

 それと燈という名前は、なんとなく隠した。別に同じクラスだからもう知られているかもしれないが、なんというかやはり人前で口にするのははずかしい。


「お、笹川も音楽好きなのか! なんか笹川とは趣味合いそうな気ぃするんだよなー」


「あとで好きな音楽、教えてよ」


 僕がなんとか絞り出した趣味を、逃すことなく拾ってくれる二人のクラスの人気者。

 なんとも心優しい二人に僕は涙が出そうになる。やはりこの世には悪い人間はいないのだ……。


「う、うん。よろしく」


 僕はなんとか二人の厚意を無下にしないようにせめて笑顔でそう返す。実際に、嬉しいのもあった。


「青山。私も部活入ってなくて、趣味は最近はギター、あとカラオケ。それと……私も音楽は結構好き。よろしく」


 よく通る声で、僕の自己紹介が終わるのが早いか、割と間がなく青山の自己紹介が聞こえてくる。そして当然のことながら全部知っているが、一応「よろしく」と返しておく。

 それにしても、人当たりの悪くない方であろう青山にしてみればやけに簡素でやっつけな自己紹介だ。こういうのは苦手なのだろうか、それともただ単純に機嫌が良くないか。

 他愛のないことを考えていると、青山が場を纏めるように声を上げた。


「じゃあ、総務部初仕事ってことで。今日は店名を考えようかなって」


 今の声に先ほどの冷たさはもうない、どうやら機嫌が悪いというわけではなさそうだ。


「すまん、その前にトイレ行ってもいいか?」


「ごめん、私も行ってくるね」


 赤城と野崎さんがそう告げて、教室を後にする。僕はその姿を見届けてから、一つ息を吐く。

 紆余曲折はあったがどうやら僕は総務部として、今の四人でやっていくらしい。少し気疲れしてしまうかもな、という思いもあるが、でも青山を含めて三人のメンバーは優しいのでありがたくもある。

 もしかしたら、うまくやっていけるかもしれない。そんな思いが胸に湧いた。


 くい、と突然腕が引っ張られる。教卓を挟んで青山が僕の袖を掴んでいた。

 それから、まるで秘密の話をするみたいに少しだけ近寄って、僕に囁いた。


「私に先に聴かせて。その……好きな音楽の話」


 確かに青山に僕の好きな音楽の話はしたことがなかったかもしれないと思いながら、僕は気付く。

 ついさっき、青山の調子が何かおかしかった、その理由に。

 僕はなんだか嬉しいような恥ずかしいような、愛しいような気分になってしまって彼女をじっと見つめる。

 つまりはそういうことだろう。やきもちだ。


「なんだよぉ」


 いつもの頭突きの代わりに今日は、拳が小さく僕の腕を叩いた。

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