第9話 頼み事
「豚ロースと、薄力粉もある、生姜のチューブもあるし生姜焼きか」
母さんにLINEを送ってから三十分ほど勉強をして、僕と青山は料理に取り掛かろうとしていた。
どうやら今日は買い物をしていないらしく、有り合わせの食材でメニューを作るほかないらしい。
ただ正直問題はないだろうと思う。母さんと二人で兄弟もいないという家族構成的に自分で料理をする機会というもの多かったから、料理は苦手ではない。
そして料理が苦手でないという点においては青山も同じで、今回以外にも青山と料理を作ることが幾度かあって、苦手でないどころか手際良く料理を作る彼女の姿には驚いたのを覚えている。
「じゃあ私はサラダ作るねー」
そう言って青山はアボカドときゅうり、それからトマトを冷蔵庫から引っ張り出してきた。
生姜焼きとサラダか……と完成図を想像して、そのアンバランスさに何だかおかしくなってしまうけれど、美味しそうであることに変わりはないのでよしとしよう。
それから僕たちは手際良く料理を作って行った。
僕は豚肉に薄力粉を塗して、調味料を合わせて生姜焼きのタレを作る。
青山はアボカドを器用に切ってキュウリもトマトも同じようにブロック状にしていく。
途中、包丁を扱う青山に「気をつけてね」と言ったり、青山が完成間近の生姜焼きを一枚頬張り「ひゃくへんまんへん(百点満点)」と言ったり。
やがて、全ての料理がさらに守られる。フライパンやボウルも、洗われる。
正直に言ってしまおう。僕たちは調子に乗っていたのかもしれない。
お互いを理解しあっている夫婦のようだ、なんて多分お互いが思っていて、でもそれは僕たちの思い上がりだった。
僕たちは重大なミスを犯していたのだ。でも、それに気づいた時にはもう遅かった。
「ごめんね、閉店作業に手間取っちゃってー。いい匂いがするよ」
六時半を少し超えて、母さんがようやくリビングに戻ってきてそう呟く。そして僕たちが作った料理を眺めてから、こう呟いた。
「あんたたち、ご飯炊かないの?」
自分たちの料理を味見まで済ませ、その出来栄えに誇らしげだった僕らの表情は、一気に
崩れた。その様は随分と滑稽だっただろう。
「あ」
「あ」
僕と青山の声が重なる。
僕たちは、重大なミスを犯していた。
*
「まあとりあえず、頂きます」
母さんのそんな声に釣られて、僕と青山も頂きますを口にする。
キッチンからリビングへと場所を移し、僕らは食卓についていた。
生姜焼きに、サラダ、そしてようやく炊き終わったお米を各々が口にする。
「ごめんなさい……完全にお米の存在を忘れてた」
何だか青山がしおらしく謝っている。
「いやそれは気づかなかった僕も悪いから、とりあえず今ご飯食べられてるんだし、いいじゃん」
珍しく落ち込んでいる青山に僕はそう声をかけて、彼女の作ったサラダを口にした。
「別においしさが変わるわけでもないし」
そう呟くと、彼女は何だか納得していない様子。
「いやでも……」
「でも?」
「笹川がせっかく作ってくれた生姜焼き、冷めちゃったし」
どうやら青山はそんなことで落ち込んでいたらしい。なんとも可愛らしい理由だ。
でも心配御無用、現代には素晴らしい技術があり、僕の生姜焼きをすでに息を吹き返していた。レンジでチンの魔法だ。
「大丈夫だって、また温めたんだし」
「まあ、それもそうなんだけどね」
彼女は少し名残惜しそうにしながらも、それでも一応は踏ん切りがついたらしく生姜焼きに手を伸ばして「美味しい」と呟く。
「あんたたちは本当に仲良いわねー」
そんな僕たちの様子を見ていた母さんがそう言った。呆れ半分、微笑ましさ半分といったところか。
でもそんな第三者視点からの冷静な一言は、僕らにはてきめんだった。なんだか自分がとても恥ずかしいことをしていたように思えて、俯いてしまう。
「あたしも思い出すなー、
篤人さんとは、僕の父さんである。顔は知らないけど。
「母さんそれ何回目だよ」
「佐和子さん、それもう11回目です……」
僕は呆れたように、青山は遠慮がちにそう言った。母さんのこの手の話は長い。まともに聞いてしまえばきっと一時間は持って行かれてしまうだろう。
母さんはころころと笑って言葉を繋げる。
「まあでも、燈と青山ちゃんが仲良いのは事実じゃない」
黙ってしまう。なぜなら事実だから。
どうやらそれは青山も同じなようで、少し気まずそうに僕のことを見ていた。
母さんは、そんな僕らにお構いなしに言葉を繋ぐ。
「ほら、燈は毎週のように青山ちゃんウチに連れ込んでるし、青山ちゃんもそれを受け入れてるし」
何だかひどい誤解を生みそうな発言内容なのでやめて欲しいところなのだけど、それが事実でないのかと言われればそんな事はなく、ただでもやはり誤解を生むような発言は避けるべきだろう。
「言い方悪いって。別に俺と青山は真面目に勉強してるだけだし」
「あらそうなの? まあどっちでもいいんだけどね」
僕が少し強めに否定すると、母さんは揶揄うようにまたころころと笑った。この人は全てを分かった上で僕たちを揶揄っているのだ。
ところで青山がやけに静かだと思って彼女の方を向くと、彼女もなぜかこちらを見ていて目が合った。
「そうなんですよ、私たちそろそろテスト近いし、補修引っかかりたくないなーって……」
何だか急に顔を赤くして否定している。可愛らしい反撃ではあるけれど、そいつは余計に誤解を生みそうな否定の仕方だ。
第一、青山は校内でも毎回テストで十位以内を取るほどの秀才であるから、補修なんて引っかかるわけもないのだし。
でも今の青山はそんな秀才ぶりを一片たりとも感じさせない狼狽具合で言葉を続ける。
「そうそう、補修引っかかると夏休み潰れちゃいますし、それに九月には文化祭もありますし……」
何だか訳のわからないことを言い始めている。いくら補修だからといって九月まで持ち越されるわけがないのだ。
何が引き金となったのかはわからないが、今の青山は相当ポンコツになってしまっている。これが漫画だったなら目をぐるぐると回しているほどに。
「はいはい、分かった分かった青山ちゃん。ご飯おかわりいる?」
母さんがまた、揶揄うように言葉をかけた。
それに釣られて青山のお茶碗をのぞいてみると、確かにもうお米は一粒も残っていない。育ちが良い事で。
おそらく狼狽えついでにパクパクと食べ切ってしまったのだろう。緊張していると水をたくさん飲んでしまうのと同じだ。……同じか?
「えっ。……はっ」
幸い母さんの一言で、青山は冷や水を浴びせられたように冷静な顔つきになって、それから多分今までの言動を振り返って、さらに顔を赤くした。
じっとお茶碗を見つめている。お茶碗の円さがそこまで美しいのだろうか、悟りでも開いたようだ。
少し黙って、青山は口を開いた。恥を忍ぶように。少し大きめな声で。
「……お願いします!」
青山は育ち盛りなのだろうか。僕は一杯で十分だ。
*
結局青山はおかわりしたご飯の二杯目をぺろりと平らげた。今は母さんの隣で一緒に食器を洗ってくれている。綺麗な黒髪を高い位置でゆわっていて、これはこれで印象が変わってとても良い。
あの量を平らげてしまうとは、彼女の細い体のどこからそんな食欲が湧いてくるのか不思議でならないが、これもまた生命の神秘というやつなのだろう。
そんなくだらないことを思っていたら突然、青山が思い出したように声を上げた。
「……あっ、そうだ!」
どうやら、何かを思い出したらしい。
「いきなりどうしたの、青山ちゃん」
母さんが急なことに驚きながら聞き返していた。
ちなみに母さんは青山のことを青山ちゃんと呼ぶ。これにも一応もっともな理由があって、実は青山も僕と同じで自分の名前があまり好きではないらしい。可愛すぎて好みじゃないとかなんとか。
その点に関して僕は青山に親近感を覚えている。さりとて、僕は青山の名前はとても素敵で良いと思うのだけれど。
「いや、実は笹川に聞きたかったことがあったのを思い出して」
どうやら僕に対する要件らしいので、食器洗いのタスクを課されておらず暇だったのもあってあまり面白くもないテレビをすぐに消して、青山の方へと顔を向ける。
「どうしたの?」
「あのさ、笹川ってギター持ってるよね? あの部屋にあるバッグ」
一瞬、怯んだ。母さんにもそれが伝わったのだろうか。僕の方を見ている。
でも大丈夫だ、別に昔のことをいつまでも引きずっているわけでもない。少し心が痛むだけ。
「ああ、あれは壊れてて使えないんだけどね」
できるだけ、なんでもないように答える。
「あれ、そうなの? じゃあ弾けないってこと?」
「いや、中学の時は軽音やってたから、弾けるとは思うよ。しばらく弾いていないだけで」
少しだけ、心臓が速くなるのがわかる。いやな汗が滲んでいる。
「え、あの、じゃあさ」
僕は願う。できれば、最悪の回答が待っていないことを。
「私にさ、ギター教えてくれない?」
幸いなことに、最悪の展開になることはなさそうだった。
青山の話を聞いて、大体のところは分かった。どうやら青山は有志バンドを組んで文化祭で発表するらしい。
バンドメンバーはナイス好青年こと赤城と、同じクラスの女子の野崎さんという女子らしい。紛れもなく教室での中心人物で、はぐれものの僕でさえもその三人が特に仲がいいことは見てとれた。
スリーピースバンド、バンド名は「Vega」。正直バンド名に関しては寒いと思わないわけでもなかったけれど、これは別に僕が加入するわけでもないので関係のないことだ。
僕は青山が伝わりやすいように詳しい話をかいつまんで説明してくれるのを聞いて、そして彼女からの頼み事──ギターを教えてほしいという、その願いを聞き入れた。
僕が青山の願いを無碍にするわけもないのだ。ただ、好きだから。
でも何だか、説明をするときの青山の顔はとても眩しくて、少しだけ遠い存在のような気がした。
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