第8話 帰り道と
「いやー、やり切ったねー」
僕が少しばかりこだわり過ぎて書き上げるのに一時間を要した考察文を提出し終えてから十数分後、僕たちは珍しく二人で帰路についていた。
「いや、青山は特に何もしてなくない?」
「いやー、誰かさんが張り切ってたからさ、私もなんか気持ち入っちゃって」
「……」
全くもって青山の理論はわからないが、まあ確かに彼女のために張り切ってしまったのは事実なので、それを指摘されると何も言えなくなってしまい、少しばかりの沈黙が広がる。
女子としては背の高い方である青山は、でもやっぱり男子の僕よりは少し背は低い。
青山は歩いて、僕は自転車を押している。二人の足音と、車輪の少し間抜けな唄だけが僕らの間には流れる。
青山はやはり少し、意地悪だ。
「それにしても一緒に帰るとか、いつぶり? ほぼ初めてじゃない?」
青山はそんな僕の様子を見て満足したのか、別の話をし出した。
確かに、二人で帰るというのは僕らにとってはとてつもなく珍しい。今日は帰りが遅いが、部活がある生徒ほど遅くもないという絶妙な時間帯なので、帰り道にも生徒がいない。
これぐらいの環境が揃っていなければ、青山が僕なんかといるところを見られてしまいかねない。そうしたら、なんというか……青山の格が落ちてしまう気がする。
「いや、去年一回だけあった気もする」
なんだか情けない思考を吹き飛ばして、僕は記憶の隅にあった出来事を思い出してそう言った。
「あ、もしかしてクリスマスの日のアレ?」
僕は黙って頷く。青山もあの日の出来事に想いを馳せているようで、なんだか表情が緩んでいる。
懐かしい、もどかしい記憶。
「それにしても、よく覚えてたねえ」
「いや、まあ」
なんと言えば良いのだろうか、正直に言って仕舞えば良いのだろうか。正直に言ってしまおうか。
「忘れるわけないっていうか、なんというか」
僕にとってあの日は少しだけ、印象深い日なのだ。それをきっかけに青山を気になり出したとも言っていい。
なんだか気恥ずかしくて僕が早足になってしまったのか、青山が一瞬だけ立ち止まったのか、あるいはその両方か。僕らの距離が少しだけ離れてしまっていた。
「……青山?」
僕は振り返って彼女を呼んだ。
青山はこの瞬間も息を呑むほどに美しかった。恋慕のような、慈愛のような、もしくはそれら二つをごちゃ混ぜにしたような柔らかい表情で、僕を見つめていた。
時刻は既に五時を回っていたけれど、六月の日は長くまだ陽光は夕日とは呼べなかった。今青山を照らしている光がこの燦々としたものではなく、斜陽であったならどれほど美しかったのだろうかと少し惜しく思っていると、彼女は口を開いた
「……なんでもないっ」
笑みの含まれた、可愛らしい声。今しがたその声の裏に隠された感情を聞いてもみたかったけれど、でもそれはきっと無理をしてでも暴くものではない。
青山がなんでもないと言ったならば、なんでもないのだ。
「そっか」
だから僕はそれだけ呟いて、再び歩き始める。青山が後ろから小走りで駆け寄ってくるのが足音でわかる。
僕たちは再び横並びになる。まだ夕日は遠い。
*
僕の母は花屋を営んでいて、去年の春オープンしたばかりだ。少し奥まった場所にある店は、それでも比較的駅に近いということもあって、ぼちぼちとお客さんも来る。
僕の自宅はその店舗の二階部分にあり、詰まるところ店舗と家が合体している形になっている。
花屋が去年の春にオープンしたばかりということは、詰まるところ僕ら家族がここに引っ越してきたのも去年の春だ。
僕の方が諸事情あり、高校進学と伴って母さんと一緒に越して来た。ちなみに父さんはいない、僕が小さい頃に離婚をして、あまり父親との記憶というものはないけれど、今でも僕らの生活を支えてくれているらしいから、ひとまずは感謝だ。
と、そんなことを青山に話したこともあったなあと思いながら歩いていたら、すぐに僕の家へと辿り着く。
「わーお。やっぱり可愛いよね、笹川んち」
「それ、もう何回も聞いたって」
なぜ
先程、二人でしばらく歩いた後に、帰りが遅くなってしまったから今日は各々の家へと帰るのかと思い込んでいた僕を裏切る言葉を、青山は発した。
『え? 普通についてくけど?』
いや別に、嫌だとかそういうわけでもなく、むしろ嬉しさが勝つということもあるのだけれど、今日は赤城と話したこともあったし、文章も書いたしで少しばかり疲れていたのだ。
しかし、そんな僕の気持ちを青山は見透かしておきながらもあえて汲むことはせずに、こうして一週間ぶりの僕の家へと足を向けていた。
「あー、やっぱ笹川のベッドは落ち着くね」
ドワー、とでも言いそうな勢いで青山は僕のベッドへと沈んでいく。あまりに無防備にその白く長い足が投げ出されているのが見えて少しドギマギしてしまう。襲ってやろうか。
店の間口として空いている正面からではなく、少し裏手に回ったところにある玄関口から家に入り、そのまま僕の部屋へと直行してから青山は、間髪入れずに僕のベッドへとダイブした。
「あんまり汚さないでよ」
僕は半ば呆れつつ、できるだけ意識してその曝け出された素足を眺めるようなことはせずに、そう言ってから僕の部屋を出て何かお菓子と飲み物はないかと一階へ向かった。
一応一軒家ほどの大きさはあるのでうちは狭くない。もう引っ越してきてから一年少々経つというのに、僕はなんだかこの家に慣れておらず、今でもリビングに行こうとすると一階へ向かっている。
リビングは本当は二階にあり、階を降りる必要はないのだ。前に住んでいた家のせいだろうか。三つ子の魂百までというのは本当なのだな、と少し恐ろしくなる。
「あー」
またやった、と僕は声を漏らしながら再び階段を登ろうとする。
そんな僕に声がかけられる。
「あ、
母さんだった。名前は
なんというか、人を惹きつける人だ。多分僕は父親似なのだろう。
この店も母さんの人柄によってお客を獲得していると言っても過言ではない部分があるので、正直なところ尊敬している。
ちなみに燈とは僕の名前で、これだけは僕が母さんに貰ったものの中で唯一あまり納得していないものだ。女子っぽくて、正直好みではない。
「うん、ただいま。青山も来てるけど、どうしたの?」
今日は金曜日ということもあり、わりかし繁盛していて母さんは忙しいとおもっていたが、さすがは母と言ったところか。帰ってきたことも青山がきているのにも気付いていたらしい。
どうやら母さんは何か包装のための物をとりに階段近くの棚に来ていただけのようで、奥の店の方からは「すみませーん」と母さんを呼ぶ声がする。
「夕飯、今日は食べてくかって聞いといて」
店の奥に元気よく返事を返しながら、僕にそうとだけ伝えて母さんは店舗へと戻っていった。
なるほど、そういうことか。
*
「今日は夕飯食べてくのかって母さんが」
数分後、チョコ菓子と緑茶を手にして部屋へと戻った僕が、なんだかベッドの上で気持ちの悪い表情をしている青山にそう聞くと、青山は目を輝かせた。
「え、いいの!! 食べる!」
全く遠慮が感じられないが、まあそういうことならば話が早い。僕は母さんにLINEを送る。
『青山、食べるって。勉強終わったら先作っとくね』
既読はつかないけれど、大丈夫だろう。母さんが店を閉めるのは六時三十分で、今は五時三十分だ。それまでには気づくだろうし、僕たちが軽く勉強を終えて夕飯を作る時間にも十分な時間がある。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます