第6話 日常なんてこんなもの

 朝、眠たい目を擦りながら目を覚ます。まだ眠いと聞き分けの悪い脳みそを顔を洗うことで強制的に叩き起こしてから朝食を食べて歯を磨く。朝の占いを見て寝癖を治して制服に着替えたら自転車に乗って家を出る。

 家からは少しばかり離れた学校に通っていることもあり、通学時間は自転車で行っても10分ほど掛かるので、あまり朝は自堕落でいるわけにもいかない。

 少し飛ばし気味の自転車で学校に着き、駐輪場へ停めてから教室へ向かう。朝の登校を30分ほど前に済ませてしまうような出来た人間ではないので、僕の登校時刻は大体鐘の音の少し前か、それと重なるかぐらいである。遅刻は時々する。

 今日も例に漏れず8時30分、朝のSHRが始まる時刻丁度について遅刻で無いことに安堵しながら席に着く。

 そして学校生活が始まる。

 そこからは早いものだ。一限二限と過ぎてゆき、一人で昼食を食べるという今となっては朝飯前な苦行をこなせば五、六限もすぐに過ぎて行く。


 なんということはない。なんの変哲もない、日常の一節。

 僕はこの一日、誰とも言葉を交わしていない。


 *


 僕はこの一日、誰とも言葉を交わしていない。いや、確か友達同士でふざけ合っていたクラスメイトにぶつかられて謝られたので、一人とは言葉を交わしたのかもしれない。……その言葉にすら僕はうまく反応できずに『暗』と吐き捨てられてしまったのだけど。

 なに、別に寂しいわけではない。

 そりゃあ人と話すという、ある種甘美とまで言える楽しさを僕が知らないというわけでもない。

 ただ、友達がいないだけなのだ。なんだか悲しい様な、虚しいような。

 自覚は常にあるのだけれど、今日はなんだか嫌に気になってしまう。今日の朝に占いで『ラッキーアイテムは友達から貰ったもの』だなんて言われたからだろうか。

 放課後、人もまばらになり始めた教室で僕が人知れず占いに八つ当たりをしていたところ、教室右後ろの扉がガラリと開いた。その扉を開けた人物と目が合う。


「よう」


 赤城だった。さっぱりとした短髪に好青年が薫る端正な顔つきを欠伸で少し崩しながら僕に声をかけながら歩いてくる。

 僕の席は教室左前の窓際一番前なので、教室右後ろから入ってきた赤城は、実質対角で一番遠くの僕の席へ向かってきている。


「ああ、うん」


 なんだか口がもごついて、気の抜けた返答になってしまった。

 果たして僕たちは目が会ったぐらいで言葉を交わすような仲だっただろうかと思いながら、僕は帰宅の準備を進める。


「笹川、良かったじゃんか」


「……良かった?」


 挨拶から継がれた二の句が、全くもって僕には察しのつかないものだったので、おうむ返しになってしまう。

 そんな僕に少し笑いながら、赤城は付け加えるように言う。


「ほら、オペラ。青山の隣でみれただろ」


「え、ああ。そう言うこと」


「そ。あの後に、なんか笹川と青山が楽しげに話してたの、俺見ちゃったんだ」


 少しのからかいが、赤城の声に含まれている。


「え」


 思ったことがそのまま口に出てしまう。やはりあの時に青山を嗜めて会話を交わさずに黙々と鑑賞すべきだったのか、どうすれば良かったのか。

 少し考えを巡らせてから、別に関係が全てばれたわけでもないのだから、特に問題はないと言うことに気付く。今までは青山と僕なんて月とスッポンほどに関わりがないものだったから、少しの反応で過剰になっていたようだ。

 そうだ、ここはあくまで自然に返すのみ。


「ああ、ちゃんと話すの初めてだったけど、いい人だった」


「だよな、あいつはいい奴だ」


 良かった、動揺は悟られていない。自分がこんなにも流れる様に嘘をつけることに少し、驚いていた。

 赤城が自分の言葉を続けて「それに、」と呟くので、僕も「それに?」と返すと、


「めちゃくちゃ可愛い」


 もちろん。それは僕が一番承知の事実であった。青山が可愛いだなんて誰が見てもわかることだし、逆にわからなかったら相当の好事家だ。

 まつ毛が、瞳が、鼻が、口が、耳が、髪が、背丈が声が、匂いが、実は喜怒哀楽のわかりやすい表情が、僕だけにしか見せない表情が、全てが可愛い。


「そうだね、確かに可愛い」


 僕は僕の中で蠢くわずかな独占欲を噛み潰しながらそう答える。変に角は立てない。全くもって会話は疲れる。


「はは、笹川もそういうこと言うのな」


 逆に今まではなんだと思われていたのだろうかと思うが、まあ無口なクラスメイトに対する認識なんてそんなもんなんだろう。僕だっていきなり僕が「ウェイ」とか言い出したらビビる。

 そんなことを思いながら、ひとまず場を繋ぐ言葉を考える。


「そりゃあね、僕だって男だし。僕は逆に、赤城が青山さんみたいな人がタイプなのも意外だったけど」


「い、いや別にタイプってわけでも……」


 なんだか僕の取るに足らない発言に赤城がしどろもどろになってしまっている。

 ひとまず今の赤城の言葉は気にしない様にして、僕は帰りの荷物をまとめ終わったので肩掛けの通学バッグを担ぐ。

 少しばかり嫌な予感も走ってはいたが、この場でそれが確信に変わることはなく、代わりに赤城が気を取り直すように話題を変えた。

 

「て言うか、青山で思い出したんだけどさ」


 赤城はぽん、と手でも叩きそうな顔で続ける。いかにも芝居掛かっている。


「笹川、お前もしかしてウチの班の考察文出してくれた?」


「ああ。それなら僕が出したけど」


 赤城の顔がなんだか輝いている。

 正直ウチの班は誰も出さないだろうと思っていたから、保険と思って書いたものを今日の朝提出しておいたのだ、二百字以上の考察文を。

 まあでも正直に言えば、オペラが思ったよりも面白かったので考察文のほうも思ったよりも筆が乗り、そこまで大変ではなかった。


「まじか! 助かるわーほんとに」


 赤城は顔をくしゃりと笑わせて僕の背中を叩いた。ちょっと痛くて、ちょっと心臓がヒュッとなった。日陰者には刺激が強すぎる。

 でも、それは決して僕の気分を害するものではなかったし、なんだか烏滸がましいけれど赤城と友達のようだなんて思えて、少しだけ嬉しくもあった。


 ただ、そんな僕の気持ちは次に赤城が発した言葉によって一瞬で呆れに変わる。

 それは、赤城への呆れではない。


「いやー良かった。さっき職員室行ったら青山が居残りでそれ書かされててさ」


 青山への呆れだ。

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