第4話 二人の馴れ初め

 今、午前3時32分。変な時間に目が覚めてしまったもので、今日はもう眠れそうにないな、と思う。

 ベッドの中で何度か目を瞑ってみたものの、やはり目は冴えていて、どうせ起きるのならと僕は体を起こして部屋を眺めた。

 電気をつけて、眩しいな、なんて呟きながら普段は家でしか掛けない眼鏡を掛けて、部屋を見渡す。

 すると、何故だか自分のスマホの画面が明るいことに気付く。どうやら動画を流しっぱなしにしたまま寝落ちしてしまっていたようだ。そりゃあ変な時間に目が覚めてしまう。

 動画を止めようとスマホを拾い上げてみて、ふとある通知が僕の目に留る。


『この花って、笹川んちにある??』


 他の誰でもない、青山からのLINEだった。

 僕はその一文とともに送られてきた一枚の写真を見てから一言


『確かあったはず。欲しいの?』


 と返した。

 まあ今の時間にはさすがに起きていないだろうから、返信は明日の朝くらいになるのだろう。

 そんなことを思いながらLINEを閉じようとした。

 その時、ふと少し前のことを思い出した。今さっき青山から来たLINEのせいだろう。

 あれはほんの一年くらい前の事だったろうか。僕はベッドの上で壁にもたれながら、懐かしい記憶を辿ることにした。


 *


「あの花って、笹川くんが持ってきたんだね」


 約一年と少し前の5月のある日、僕は突然青山に話しかけられた。僕は机に頬を突いて姿勢悪く窓の外を眺めていて、彼女はマリーゴールドを指差していた。

 その頃も今も変わらず日陰者だった僕は、正直クラスの中心的人物で、華やかなグループに所属していた青山のことをあまり良くは思っていなかった。

 自分とあまりにも掛け離れている人種だから、話しかけられるとも思っていなかったのだ。

 むしろ、積極的に話しかけないでくれとさえ思っていた。僕の平穏な日常にそんな起伏は要らないし、僕と関わったことで青山も変な印象を持たれるかも知れないから。

 だから僕は、わざと突き放すような言い方で受け答えた。


「……うちが花屋で、先生に頼まれた」


 青山は僕の態度に苦笑いしながら言葉を返した。


「家、花屋さんなんだってね。先生に聞いて私初めて知ったよ」


「まあね、用件はなに?」


 青山は再び苦笑いしながら、されどにこやかに言葉を続けてくれた。

 この時の青山からしたら、僕はあまりにも印象の悪い、根暗な奴だったんだろうと思う。


「いや、私もこの花欲しいな〜って思ってさ。ほらもう少しで母の日だし。今日この後、笹川くんち行っていいかなって」


「……別にいいけど、なんで僕に?」


 母の日ならマリーゴルドじゃなくてカーネションだろうと思いつつ、僕は単純な疑問をなげかけた。

 すると彼女は目を丸くしてこう言ったのだった。


「いや、だって、一緒に行くでしょ?」


「え、嫌だけど」


「え」





 結局、その日の僕は帰りのホームルームが終わったあとに、青山に捕まらないようさっさと一人で帰った。

 だが彼女はそんな僕を見逃してはくれず、家に帰り自分の部屋でくつろいでいたタイミングで、僕は突然母さんに呼び出された。

 僕の家は一階が店舗になっていて、2階が住むスペースになっているので、必然的に僕は家に帰ると時々店番をすることもあった。

 今回も例に漏れず、母さんは僕を店番にこき使いたいらしい。


「あんたのクラスメイトの青山さんって子が来てるわよ〜」


 どうやら母さんはこれから夕飯の買い物に行くらしく、僕に店番を任せたいということだった。

 時々ではあるがいつも店番を頼まれてくれる自分の息子なら、クラスメイトなんて朝飯前なのだろうとでも思ったのか。残念ながら僕は地元のおばあちゃんよりもクラスメイトの美少女の方が苦手だ。


「すぐ戻ってくるから、この子だけでいいから対応してあげてね」


 母さんはそういうと颯爽と自転車に乗ってスーパーへと走り出して行った。

 僕はそんな母さんの背中を恨めしく眺めるしか出来ず、結局僕が動いたのは、青山に話しかけられてからだった。


「……あの〜。笹川くん、大丈夫?」


 何も大丈夫では無い。出来れば帰って欲しかった。

 ただ、そんなことを客である彼女にもいえず、僕は嫌々ながら対応することになった。



「薔薇にチューリップにアネモネに。わ〜、色んな花があるねえ」


 しばらく彼女は店内を歩いて、そう呟いた


「そりゃま、花屋だからね」


 どうやら青山はちゃんと花が好きらしく、一々僕に花の説明をしてくれた。

 花屋の息子ではありながらも花にはまるで興味がない僕だったから、知らない知識を教えてくれる彼女は、なんだか眩しく見えた。

 それでもその眩しさは、いつも教室で見かける彼女の眩しさとは違って目に優しく、なんとか僕も目を閉じずに済んだ。


「ところで、お目当ての花は買わなくていいの?」


 しばらく彼女の花解説に付き合ってから、ふと話を振ると、彼女は今それを思い出したらしく、驚いたように口を開いた。


「そうだった! 結構話しちゃってごめんね、退屈だったよね」


「いや、僕花のことあんまり知らなかったから、結構面白かったよ」


 彼女が謝ってきたので、僕は正直な感想を伝えて、彼女の目当ての花を探し始めた。


「え」


 ふと、彼女のそんな声が聞こえて顔を上げると、そこには随分と間抜けな顔をした彼女の顔があった。

 間抜けな顔をしていても、整った顔は美しさを発していて、少しだけ恐ろしくなったことを覚えている。


「え、どうしたの?」


「いや、笹川くんってそういうフォローとかできるんだって」


「フォロー? 別に、本当にそう思っただけだけど」


 再び目を丸くしながら、でも少し嬉しそうな彼女の顔に、僕は花を探しながら続けた。


「ここで花の話をしてる青山さんは、結構親しみやすかったし、良いなって思ったよ」


「ふ、ふうん」


 彼女は僕の正直な感想を聞いてか、少したじろぎながら相槌を打った。何に慌てているのか、「なんかこのお店新しいね」なんて独り言ともわからない様なことを言っている。


「はい、花集めておいたから、レジ行こ」


 そうして僕は彼女をレジへと連れていき、お目当ての花と、少しだけサービスした数種の花々を添えた花束を渡し、会計をした。


「え、これでこんなに安いの?」


「あ、いや。ちょっとだけサービスね。母さんには内緒で」


 彼女が聞いてきたので、僕は少しだけ小さな声でそう言った。今日は色々花について知れたし、クラスメイトだし、まあ別にいいだろうという、気持ちばかりのものだった。

 まあ、残りは僕のポケットマネーから引いておけば母さんにバレても文句はないだろう。


「いや、こんなに良くしてもらっちゃ悪いよ!」


 青山は律儀に値段を払おうとしていたので、僕は少しだけ感心の微笑を漏らしながら言った。


「良いって、別に。まあ青山が気にするんだったら、今後とも花を買うときはうち使ってよ。出来たばかりの店でさ、母さん喜ぶし」


 僕は冗談半分にそんなことを言いながら、その日は青山を店から見送った。




 その時は、これきりだと思っていた青山との関係だったが、何故か青山は律儀にウチをよく訪れるようになった。

 一週間に一度位の頻度でウチの店に来る青山は、何故か毎回必ず僕を店員として呼んだ。(どこからその財力が湧いてくるのか、花でなくとも彼女は毎回何かを買って帰った)

 母さんがフロアにいても、必ず僕を呼んで、対応させる。ほんの、長くても一時間ほどの逢瀬。

 最初の頃は僕だって嫌がったが、段々と拒否しても意味がないことを知って、抵抗しなくなった。それに、花について嬉しそうに語る青山のことは、僕だって悪く思わなかったから。

 それから、青山は学校でも話し掛けようとしてきたのだが、それはやめて欲しいと僕が言うと、彼女は渋々頷きながら、挨拶程度なら良いだろうと強引に僕を納得(?)させて話は落ち着いた。


 そして、そんな生活が一年程続いただろうか。僕たちが高二に上がって間もない、五月のある日、彼女は店で季節の花を数輪買った後に、ふと口を開いた。

その日も、店にはマリーゴールドが置いてあった。


「ちょっとこの後さ、付き合ってくれない?」


 

 どうやら彼女は行きたい場所があるらしく、ただそれに僕が着いていく必要性があるかとは思ったのだが、その頃には別にもうそんなことを言うような間柄でもなくなってきていたので、僕は素直に頷いて彼女と共に道を歩いた。

 僕の家は学校からかなり離れていて、自転車で通学しているのだけれど、確か青山は歩いて登校していたはずだから、いつもかなりの距離を歩いているんだな、なんて話をしながら歩いていた気がする。そこに関しては素直に尊敬して、彼女の花に対する愛に少し驚いた。


「ねえ笹川、わかる? 今私たち二人っきりで歩いてるんだよ」


 半年もこの生活を続けていて、青山もさすがに僕のことをくん付けでは呼ばなくなっていた。僕は未だに『青山さん』と読んでいたけれど。


「うん、いや、まあね」


 僕はなんで今更そんなことを言うのだろう、と思いながら言葉を返した。

 夕日のせいか、青山の頬が少し赤くなっていたのを覚えている。あれはおそらく照れだったのだろう。

 唐突に、青山が口を開いた。


「私さ、笹川がすき」


「……」


 僕はいきなりの言葉に少し黙った。そしてよく考えて、先程の言葉を噛み砕く。


「……え?」


 一瞬、世界の全てが止まったように感じた。一陣の風に吹かれた青山の綺麗な髪の影が、夕陽に照らされてやけにはっきりと見えたのを覚えている。

 好き、というのはどういう意味の言葉だっただろうか。と言うか、青山はこれを言うために僕を連れ出したのか? 行きたい場所があったと言うのは……。

 僕の頭は大混乱。僕の方は正直、彼女のことを気になっているきらいはあっったかもしれないが、まさかクラスの中心人物である青山の方から、僕のことを好きだと伝えられるなんて、考えもしなかったのだ。


「あはは、まあそうだよねえ」


 青山はにへらと笑うと、言葉を続けた。


「まあいいよ、しばらく考えてればいいよ。私の事だけでずーっと悩めば。この鈍感男めが」


 青山はそう呟くと、一人で走り出した。

 じゃあね、と口にしながら振り返った彼女の顔が、夕日では誤魔化しきれないほど真っ赤に染っていたことを覚えている。



 それから一週間後、青山は再びウチへとやってきた。

 その頃にはもう、僕は彼女の策略にまんまと嵌められて、ずーっと、ずーっと、学校にいても家にいても、風呂に入っていようとベッドの中でさえも青山のことしか考えられなくなっていた。

 ここで僕は初めて気付いたのだった。

 自分が、青山のことをどうしようもない程に好きになっていたことを。


 そうしてその日、僕は彼女に告白し、無事にこの恋は実ったのだった。


 *


 ふと目を覚ますと、空はもう明るくなっていて、カーテンからは朝の光が差し込んでいた。

 どうやら懐かしいことを思い出しながら眠ってしまっていたらしい。

 眠い体をおこしながら、身体を伸ばし、ふとスマホを手に取る。


『おーけ! じゃあ今日の放課後向かいます!』


 僕と、彼女の花屋での時間は、まだ続いている。まあ専らは僕の部屋での雑談になってしまって、実際に担保に行く頻度は減ってしまったが。

 それでも思う、なんて幸せなことなのだろうか、と。

 僕はそんなことを思いながら、スマホを閉じてベッドから降りる。

 いつもより少し上機嫌に、今日を目覚めた。

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