第26話

 両腕だけを実体化したSQに背中を叩かれ、海斗と泰一はタグボートに乗り込んだ。


「こちら池波、搭乗完了! 後部注水願います!」


 相模の『了解』という声の後、ざあっ、と海水が流れ込んできた。


「安全運航でいくけど、揺れるよ。二人共何かに掴まって!」


 こうしてホバーバイクは、タグボートを牽引しつつ慎重に発進した。


         ※


 ホバーバイクはまさに海面を斬るようにして猛進した。こんな搭乗体験は、海斗も泰一も初めてだ。安全運航という言葉のうち、どこまでが『安全』なのかよく分からない。

 今は池波の腕前を信じるしかないのだ。


 すると間もなく、海斗たちの頭上を光の矢が飛び始めた。SQの指示に従って、美希が適当に、しかしドラゴンに接触しないように、矢を連射している。


「な、なあSQ!」

(何じゃ、海斗?)


 口に入った海水の飛沫に顔を顰めつつ、海斗は尋ねた。


「美希が使ってる矢は、本数に限りがあるのかい?」

(うむ。じゃが先ほど、お主らの作戦会議中に十分量補充しておいた。心配はいらん)

「わ、分かった!」


 そう言い返す間にも、何本もの矢が海面に没していった。


「美希のやつ、ちゃんと俺たちにも当たらねえように注意してんだろうな?」

「今は彼女を信じるしかないよ、泰一。それに、一番彼女を信用しているのは君だろう?」


 海斗の言葉に、泰一は金槌を肩に載せながらそっぽを向いた。


         ※


 ドラゴンへの接近を開始してから、十五分ばかりが経過した。この距離なら、ドラゴンを目視で確認できる。

 ドラゴンは前足を海面に載せるようにして、上体を起こしていた。SQのバリアのようなものを展開し、そこに体重を預けているのだろうか。


 どこを見ているのかはよく分からない。海斗たちの方へ直接注意が向かないようにするには、やはり美希の弓矢が効果を発揮しているらしい。


「SQ、そろそろ想念をドラゴンに伝えられないか?」

(……)

「SQ?」

(ああもう! 予想以上に場が荒れとるわい! これでは伝わるものも伝えられん!)


 海斗の眼前でぶるぶるとかぶりを振るSQ。


「どう? まだ接近した方がいいの?」

(頼む!)


 池波に答えつつ、SQは両手の指を組み合わせるようにしてじっと目を閉じた。

 そうこうしているうちに、ホバーバイクは怪獣の前足の足元から三十メートルほどの位置にまで到達した。見上げると、ドラゴンの巨大さを否応なしに思い知らされる。

 海斗はSQを急かそうとしたが、彼女の表情は険しい。


「まだ難しいみてえだな……」


 泰一の言葉に、海斗も足先から全身がじりじりと焼かれるような焦燥感に襲われる。


「これ以上は接近できないわよ! どうする?」

「接近……?」


 その池波の言葉に、海斗は思いついた。


「SQ」

(何じゃ!)

「ドラゴンの脳って、やっぱり頭部にあるのかい?」

(決まっておろう! その通りじゃよ!)

「じゃあ、泰一」

「何だ?」

「僕を思いっきり放り投げて、ドラゴンの頭に乗せられるか?」

「お前を投げ上げてドラゴンの――って馬鹿かお前は! いくら何でもそれは無理だ!」

「そうか」


 海斗自身にも、これが馬鹿げた提案だという自覚はあった。しかし、原理的に間違ってはいないはず。

 想念が混沌状態にある中で、SQのテレパシー能力は使えない。だったら、ドラゴンに対して詫びるべきは自分だ。直接ドラゴンの頭部に触れて、自分の過去、仲間たちの過去を想念として送り込む。


 自分にそんなオカルト的なことができるかどうかは分からない。だが、ドラゴンもある程度は知性ある生物だ。交流を図ることができれば、この作戦が成功する可能性はある。


「SQ、僕の足元にバリアを張ってもらえるか?」

(ま、まあそのくらいなら)

「じゃあ頼む。泰一、僕がジャンプするから、バリアを真下から思いっきり金槌で打ちつけてくれ」

「何をする気だ、海斗?」


 海斗は手早く、自分の作戦を皆に話した。バリア越しに金槌で打ちつけてもらえれば、海斗自身が負傷する恐れはない。その運動エネルギーで一機にドラゴンの頭上に出て、それから、それから――。


「私がドラゴンの角を封じる」


 突然響いた声に、全員がタグボートを振り返った。そこにいたのは、


「か、華凜……⁉ いつの間に……」

「こっそりボートに潜り込んでいたのは謝る。でも、この任務は――海斗の役割は私にやらせて。私が逆鱗に短剣を刺したから、ドラゴンは怒りだしたんだ。だったら私が責任を取るべき」


 目を丸くする泰一の横で、海斗は顎に手を遣った。


「短剣はなくしちゃったから、あなたの長剣を借りたい。海斗、それを私に――」

「駄目だ」


 海斗は長剣の鞘を握り直した。


「あのドラゴンは、僕には好意を向けてくれた。だから、僕が行くべきだ。華凜の思いは僕から伝える」

「それじゃ駄目なんだよ!」


 語気を荒げながら、華凜は海斗の両肩を掴み込んだ。


「私からも直に謝らなきゃ……。ドラゴンに申し訳ないことをしたって直接伝えなきゃ、また暴れ出すかもしれない」

「む……。SQ、君はどう思う?」

(そうさのう、確かに傷つけた本人に謝られれば、ドラゴンも落ち着きはするじゃろうが)

「決まりだね。さあ、海斗と私の足元にバリアを」


 海斗から手を離した華凜は、SQの方へと振り返った。

 その横顔を、海斗は見つめる。その意志の強さを映し出したような瞳に、海斗はしばし見惚れていた。


(ではゆくぞ、二人共。泰一も準備はよいか?)

「おう!」


 海斗ははっとして、ドラゴンの方へ向き直った。


(健闘を祈るぞ、海斗、華凜!)

「っしゃあ! ぶっ飛べええええええええ!」


 鐘の音を想起させるような、ごぉん、という音を伴って、海斗と華凜の視界は急激に上って行った。


         ※


 ぐんぐん視界が上がっていく。海面が遠のき、夕日に照らされた入道雲が水平線の彼方に見える。

 だが今集中すべきは、雲よりずっと手前にいるドラゴンをどうするか、という問題だ。

 SQに構築され、泰一に打ち上げられた魔法陣の足場は、見事にドラゴンの頭部に到達した。愛嬌のあるまん丸い瞳がくるり、と回転し、海斗と華凜を捉える。


「お、落ち着け! じゃなくて、ぼ、僕が落ち着かないと……」


 普段なら冷静な華凜も、海斗の言葉にツッコミを挟む余地がないらしい。敵意からなのか興味からなのか、二人はドラゴンからの視線を痛いほどに感じていた。


 海斗はごくり、と唾を飲んでから、そっとドラゴンの頭部、角の間に手を伸ばした。長剣は抜刀していない。そんなことをしたら、ドラゴンの気が変わって一瞬で消し炭にされるかもしれない。


「届いてくれよ、俺たちの思い……」


 魔法陣の上に寝そべり、ゆっくりと手を伸ばしていく海斗。

 その手がドラゴンの額に触れるまで、二十センチ、十五センチ、十センチ――。


「あともう少しで……!」


 しかし、その『もう少し』が達せられることはなかった。バチリッ、という激しい雷光が煌めき、海斗の手を退けたのだ。


「うわあああっ!」

「海斗!」


 慌てて華凜が駆け寄った。が、幸い海斗の負傷は軽度。掌を火傷したくらいだ。

 だが、これでドラゴンの機嫌を少しばかり損ねたのは確かだ。

 子犬の鳴き声のような、しかしそれでいて重低音を含んだ音を発しながら、ドラゴンはずいっと角で足場になっている魔法陣を小突いてきた。


「うわわわっ!」

「海斗!」


 落下しかけた海斗の腕を、華凜が掴む。特殊訓練を受けていたというのは本当らしく、海斗は軽々と引っ張り上げられた。

 しかし、華凜が行ったのはこれだけではなかった。反対側の腕に握られていたのは――。


「あっ、よせ華凜! 長剣でドラゴンを傷つけたら、さっきの二の舞になる! いや、ドラゴンはもっとひどく暴れ出すかもしれない!」

「ドラゴンの弱点は逆鱗だけよ! 角の一本くらい斬り落としても平気!」

「何を言ってるんだ!」

「だってそうしないと、また電撃を喰らうだけじゃない!」


 まさか、ドラゴンの攻撃手段である角を破壊して、それからもう一度零距離テレパシーを決行しようとは。


「許してよね……!」


 そう言うが早いか、華凜は思いっきりドラゴンの角の一本を、袈裟懸けに斬りつけた。ザンッ、という音と共に、角が少しずつずれる。そして、綺麗な切断面を残しながら海面へと落ちていく。


 ドラゴンが痛みを感じなかったのは幸いだった。しかし、今の斬撃を受けて、より興味を惹いてしまったらしい。再び魔法陣が鼻先で突かれた。


「ぐあ⁉ 大丈夫か、華凜!」

「ええ!」


 魔法陣は斜めに傾いている。こうなったら――。


「でやあっ!」

「ちょっ、海斗!」


 海斗は魔法陣を蹴って跳躍、あろうことか、ドラゴンの鼻先に飛び乗った。

 そして無我夢中で、両の掌をドラゴンの額に押し当てた。自らは目を閉じて、今までの自分の実体験と皆から聞いた過去話を、濁流のように脳内に思い浮かべる。

 これがドラゴンの脳にも流れていればいいのだが――。

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