第24話


         ※


「う、うぁ……」

「海斗、もうじき傷は塞がるからな、お前もSQを信じろよ」


 背後で処置を受ける海斗を庇いながら、泰一は金槌を振り上げて遠山を威嚇し続けていた。既に遠山の車椅子は転倒しており、武器になるものがないことは確認済みだ。

 今は頑丈なロープで、元々CICにあった椅子に縛りつけられている。


 そんな様子を、華凜はぼんやりと眺めていた。

 もし海斗や泰一、美希がいなかったら、彼女はすぐに遠山の救出を最優先にしたはずだ。しかし、現実は違う。

 遠山を慕う気持ちがあまりに強かったがために、反動もまた大きかった。遠山は自分を靡かせているだけで、利用する目的で育ててきたのだという海斗の言葉が、脳内で反響する。


 言われた直後は、それがどうしたことかと思った。自分と遠山の間の『相手のためなら自分は何を強いられても構わない』という気概が、確かにあった。

 だが、その気概にもひびが入りつつあった。


 自分は一体何がしたいのか? 何を為すべきなのか? 

 そんな疑問が『遠山を救うべし』という意志の固さを、根底から揺さぶっている。

 

 遠山を救うには、今は絶好のチャンスだった。SQは海斗の治療中にかかりっきりだし、泰一一人くらいなら体格差を無視して格闘戦に持ち込むことも可能だ。


 だが、それが本当に正しいことなのか? 自分は遠山に――もしそれが事実なのであれば、だが――今回の事件の首謀者として、罪を償ってほしいと思っているのではないか?


 すると唐突に、華凜の脳内でとある日の記憶がフラッシュバックした。遠山が車椅子生活を余儀なくされた、あの日のことだ。


         ※


 三年前の八月上旬。

 地域の夏祭りに、遠山と華凜は揃って出向いた。国防省の首領と目されている遠山にも心を休める機会は必要だし、それは身分を偽って学校に通っている華凜にとっても同じことだった。


 一緒に行こうと誘ってくれた友人たちには申し訳ない。だが自分にとっては、遠山のそばにいることが一番の安らぎであり、遠山との時間の共有こそが価値ある物事の全てだった。


「おじ様、林檎飴があります! 綿菓子も! かき氷も!」

「そうか、華凜は写真や映像でしか見たことがなかったんじゃな。好きなものを買っておいで」


 そう言って、一万円札を差し出す遠山。華凜ははっとした。


「こ、こんなにたくさんの資金は頂けません! 私は、この中のどれか一つでも頂戴できればそれで……」

「そう水臭いことを言うものではないぞ、華凜。君はまだまだ若い盛りじゃ。好きなだけ買うがいい」


 目を弓なりに細める遠山。その笑みと一万円札の肖像画を見比べ、華凜は思いっきり口角を上げて頷いた。

 たたたっ、と屋台の間を駆けていく華凜。しかし数秒後、彼女は背後から勢いよく突き飛ばされることになる。


「くっ!」


 敵襲か? そう思った時には、華凜はうつ伏せに押し倒されていた。


「華凜、無事か?」

「お、おじ様……」


 身を捻ると、周囲は炎に取り巻かれていた。どうやら焼きそばや焼き鳥などを売る屋台のガスボンベに、何かが引火爆発したらしい。

 では一体何が? 華凜には簡単に見当がついた。周囲に漂っているのは、危険な化学薬品の臭いだ。人体に影響はないが、可燃性は極めて高いものだったはず。


 そこまで考えるに至り、華凜ははっとした。自分を庇ってくれた遠山の半身から自身の足を引っ張り出す。


「おじ様! ご無事ですか!」

「ああ……君は、大丈夫かね、華凜……?」

「はい、おじ様もご無事で――」


 と言いかけて、華凜は口に手を遣った。

 遠山の足は、両方共傷だらけだったのだ。品のいいスラックスにはガラス片が無数に刺さり、関節はあらぬ方向に曲がっている。骨が露出している部分もあった。もちろん出血量も、ただの負傷ではあり得ないほど。


 それから数分後。

 消防隊や病院の対応は実にスムーズだった。この爆発事故――華凜は爆破テロだと未だに疑っているが――は、死者三名、重傷者七名という大惨事をもたらした。

 その三名と七名の間に自分が巻き込まれずに済んだのは、紛れもなく遠山のお陰だ。


 そして、華凜は決めたのだ。何があっても、とは言えない。しかし、自分にできることならできる限り遠山のために力を尽くそうと。


 だが、今の遠山がやろうとしていることは間違っている。理由は判然としないが、これはきっとよくない行いなのだ。自分は一体、どうしたらいい――?


         ※


(のう、華凜)

「……」

(華凜、返事くらいせんか。我輩たちは敵同士だというのに、何をぼんやりしておる?)

「そ、その、私、は……」


 華凜は急に高まった鼓動を押さえようと、胸に両手を当てた。それは無意識のうちに、自分がSQたちに対して攻撃の意志がないことを表してもいる。逆に、自分がひどく狼狽していることを赤裸々にしていた。


 しかし、そんな華凜に告げられたSQの想念は、全く意外なものだった。


(すまない、華凜)

「どういう、こと?」

(我輩のテレパシーを応用して、お主の心の内を察知していたんじゃ。海斗の介抱をするふりをしてな。そしてその間のお主の思いを、ドラゴンに想念として送っておいた)


 華凜ははっと驚くと同時に、腹の底から熱いものが込み上げてくるのを感じた。


「私の心を覗き見したの? 確かに私たちは敵同士だけど、それは卑怯な――」

(今も敵同士か?)

「えっ……」


 SQは振り返り、やれやれと溜息をついた。こちらに振り向き、半眼で腰に手を当てる。


(いやはや、危ないところじゃったわい。お主が遠山とやらの過去に思いを馳せ、こやつの『善』なる部分を読み取れるようにしてくれなければ、ドラゴンは迷いを捨ててこの艦に第三射の攻撃を仕掛けていたに違いない。この作戦の監督役はその男なのじゃろう?)

「そう、だけど」

(ふむ)


 一つ頷き、SQは遠山に向き直った。


(お主、ずっと黙っておったな。華凜の邪魔をせず、過去と本音を語って皆に聞かせるのを)

「わしが邪魔したところでどうなる。こんな老いぼれに構う暇など、若者たちにあるはずが――」


『馬鹿者!』という強烈な想念と共に、SQは掌だけを具現化して遠山を引っ叩いた。


(確かにお主は老いを急ぎすぎた。欲に目が眩んでおったんじゃ。が、今は違う。この艦にいる若者たちには、お主を受け入れ、過ちを正すことを望む者たちがおる。さもなくば、ドラゴンの気が変わって第三射を発するやもしれん。すべてはお主の、大人としての『責任』にかかっておるのじゃ。少しはしゃっきりせんか!)

「ま、待ってくれ、SQ」


 やや掠れた声でSQに呼びかけたのは、脇腹を押さえた海斗だった。


「お、おい海斗、傷の方は……?」

「ああ、大丈夫だよ。心配かけたね、泰一」

「え? ああ、いやあ……」

(して海斗、お主、何を言おうとしているんじゃ?)

「ここにいる四人の高校生とSQの力が必要だ。いや、操船を担当する乗員たちや、池波先生の力も」

(だから一体何を――)

「ドラゴンを、無傷でダンジョンへ送り返す」


 その言葉に込められた気迫に、全員が沈黙した。

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