第23話

 唐突に慌てだした遠山に冷たい視線を注ぎつつ、海斗は僅かに鮮血の付いた長剣を遠山から離した。次にその切っ先を向けたのは、SQを押さえつけていた士官だ。


「彼女を放せ。下手に扱うと、彼女は自衛のために魔法を使わざるを得なくなる。そうしたら、あのドラゴンはすぐさまこの艦を消滅させるぞ」


 この理屈の半分ははったりにすぎなかった。今のSQに、魔法を使って戦えるかどうか分からない。それに魔法を使えたとして、それに反応してドラゴンが攻撃を再開するのか否かも不透明だ。

 しかし、この予想に海斗は自信を持っている。一二〇〇〇年前、ドラゴンたち怪物を封印したのは精霊たるSQたちなのだ。ドラゴンからすれば、倒すべき仇以外の何物でもあるまい。


 海斗の長剣を自分のこめかみに突き付けられた士官は、ゆっくりと上体を起こし、SQから後ずさった。

 本来なら、ここで他の士官たちが拳銃を取り出し、海斗を蜂の巣にすることもできたはず。だが、それは愚行だ。

 

 狭いCICの中で発砲したら、跳弾で互いに負傷する恐れがある。それにこれは結果論だが、自由の身になったSQが、すぐさまCICに集う者たちを眠らせてしまったのだ。海斗と遠山を除いて。


 あわあわと言葉にならない音を喉から絞り出す遠山を無視して、海斗は尋ねた。


「SQ、残り三人に、すぐにワープポイントを使って艦橋へ行くように伝えてくれるかい?」

(承知した……っと、気の早いやつがおるのう)

「ん?」

「この作戦は失敗です、おじ様」


 遠山の肩がぎくり、と上下した。


「お、お前……嶋、華凜……!」


 面と向かって話した方がいいだろう。そう判断した海斗は、くるりと遠山の車椅子を反転させた。そうして華凜の姿を捉えた遠山の目がぎょっと見開かれるのを、海斗ははっきりと見た。


(華凜、今のうちに話してしまうがよい。遠山の目の前で、海斗に対して。もしかしたら、ダンジョン同様にドラゴンも、人の過去――心を開示するという行為に感銘を受けるかもしれん。そうすれば、あやつの怒りもだいぶ収まろう)


 そんなSQの声に、今度は華凜の方がびくり、と背筋を伸ばした。


(ドラゴンの方はだいぶ落ち着きを取り戻したようじゃ。我輩は池波の援護に回る。華凜、くれぐれも説明不足のないようにの)

「分かった、SQ」


 頷いてみせた海斗の横で、華凜はぐっと唾を飲んだ。


         ※


 華凜が遠山に引き取られてから、数日後。

 遠山のセーフハウスで、華凜は家事手伝いをするメイドのような役割を担っていた。

 これも父親の教えに則った行動だ。『働かざる者食うべからず』である。


「おじ様、遠山様!」

「おお、華凜。どうかしたかね?」


 当時の遠山は、今よりずっと若かった。それは、十年以上前なのだから若くて当然と思われるだろう。だが、当時六十代前半だった遠山には活力があり、実に若々しかった。

 そして何より、生活に車椅子を使う必要がなかった。

 

 そんな遠山を自分の保護者、初めて出会った庇護者と認識していた華凜が、彼に甘えようとするのは無理もないことだった。

 傍から見れば、仲のいい祖父と孫娘の姿と映っただろう。


 だが、遠山はただの『人のいい老人』ではなかった。この国の、取り分け防衛戦略において、強大な権力を握っていたのだ。もちろん黒幕として、ではあるが。


「またお散歩しましょ、おじ様!」

「ああ、すまないな、華凜。私はこれから仕事でね」

「そうですか……分かりました。どうぞお気をつけて」

「うむ」


 普通の子供なら駄々をこねるところだろうが、そんなことをしても何ともならない。それもまた、華凜が実の父親から学んでいたことだ。

 大人の外出というものは、間違いなく重要な『責任』を背負ってのこと。そう華凜は自分の心に叩き込んでいた。


 まさかその遠山が、海底ダンジョンに眠る怪物を呼び起こし、生物兵器として活用しようとしていたとは、夢にも思わなかったが。


         ※


「もう一度言うが、この老人、遠山睦は、私にとってかけがえのない人物だ。むざむざ殺傷されるのを見過ごすわけにはいかない」

「だ、だけど! 華凜、君は利用されたんだ! 本当に彼が君を実の家族のように慕っていたとしたら、どうしてこんな危険な仕事を……!」

「私は構わない」


 真っ直ぐな視線に射貫かれ、海斗は背筋が凍る思いがした。


「おじ様は、私にこの作戦の全容を話してくださった。その上で私は、この任務に赴くと決めたんだ。誰かに無理強いされたわけじゃない」


『たまたま私に適性があった、それだけだ』――そうバッサリと持論を斬り捨てられ、海斗にはもう為す術がなかった。


 精々自分にできることは、自分の家庭環境と華凜のそれを比較してみることだけだ。

 自分の父親は、自然災害というどうしようもない力によって命を落とした。父親の死によって悲嘆に暮れることはあれ、誰かや何かを恨むことはなかった。


 だが、華凜の場合はどうだ? 彼女の父親は、どんな組織に属していたのかは分からない。しかしながら、彼には明確な『敵』がいて、『悪意』によって殺されたのだ。

 その無念たるや、海斗に想像できたものではない。増してや、華凜には母親がいなかったのだ。

 そんな状況で、優しく接してくれる大人がいれば、すぐに懐いてしまうのも無理からぬことだろう。


「それを……」

「ちょ、ちょっと海斗?」

「そんな華凜の気持ちを裏切ったんだ、貴様は!」


 呆然とする華凜の前で、海斗は遠山の胸倉を掴んで引っ張り上げた。


「おい、何をするんだ海斗! その人は私の……!」

「違う! それは違うよ、華凜! 君を利用するためだけに君の心を靡かせただけの、薄汚い大人だ! そのせいで、この艦に乗っている多くの人たちが殺されかかっているのが分からないのか? ドラゴンの攻撃力は、君だって分かっているだろう!」


 その時、海斗ははっとした。華凜は短剣を所持していて、その扱いは自分の長剣さばきよりずっと巧みだ。この場で殺されても仕方ないのは自分の方ではないのか。


「……」


 音のない溜息をついて、海斗はゆっくりと目を閉じた。華凜はあの超人的な機動力を以て、すぐさま僕の首を刎ねるだろうな、と考えながら。


 ドラゴンの雷撃、自衛官の拳銃、華凜の短剣。

 危険なものはここにいくらでもある。しかし、海斗の背中を貫いたのは、思いがけない攻撃だった。


「ぐ、あ……」

「海斗くん!」


 肺から息が漏れ出し、脇腹を掠めるようにじっとりとシャツがへばりつく。

 それを確認した後で、ようやく痛みが神経を伝って脳みそを揺さぶった。


 海斗はがっくりと膝をつき、右腰に手を当てた。ぬるり、と不快な感覚が掌に染みる。


「おじ様! あなたは一体何を……!」


 硝煙が上がっている。そこから、車椅子の肘掛けに仕込まれた単発式の銃口が垣間見えた。


「教えたはずじゃぞ、華凜。敵性勢力が隙を見せたら、すぐに仕掛けろと」

「て、敵……?」

「そうとも。泉崎海斗はわしの首を刎ねようとしたではないか」

「あれは脅しです! 彼が殺人を犯すなんて……!」

「脅し? 分からんぞ。彼は若すぎるし、そもそも脅し方だって雑なものだった。何の手違いでわしを殺していたか、分かったものではあるまい」


 華凜はぐっと奥歯を噛み締めた。

 海斗は床に這いつくばりながら、ゆっくりと華凜に近づこうとしている。


「か、華凜……。君は悲しみを背負いすぎたんだ……。それに負けて、遠山に利用されたんだ……。目を、覚ましてくれ」

「……ッ」

「さあ華凜、そこに転がっている拳銃で、この少年に止めを刺すんじゃ。正当防衛だったということは、わしが『責任』を以て証明して――」

「そいつは間違ってるぜ、クソジジイ」


 唐突に、天井から罵声が降ってきた。続けて声の主、泰一も。

『しなの』の天井をすり抜けるようにして下りてきた泰一は、遠山の前で思いっきり金槌を振るった。


「ひっ! ひぃいいい! や、止めてくれ! 助けて!」

「殺しやしねえよ。あんたにはキッチリ反省してもらわねえとな」


 遠山に正面から向き直った泰一は、思いっきり指を弾いてデコピンを繰り出した。

 がちゃん、と派手な音を立てて倒れる車椅子。


「お、おじ様!」


 そちらに駆け寄る華凜を無視して、泰一は海斗の下へ。


「しっかりしろ、海斗。息はできるか? ああいや、喋るな。SQ! 海斗が負傷した!」

(うむ、承知しておる! すぐに治癒魔法をかけるから、泰一は海斗に声をかけ続けるんじゃ!)

「わ、分かった!」


 同時刻、『しなの』艦橋にて。


「何かあったの?」

(うむ。海斗の負傷の度合いが思いの外酷いのじゃよ、美希。すぐに治癒魔法をかけてやらねばならん。ここはお主と池波に任せる)


 すると、SQはテレパシーの伝達先を美希と池波だけに絞り、こう告げた。


(くれぐれもここの連中を傷つけぬようにな。自棄を起こして暴力沙汰になれば、ドラゴンがそれに反応して再び攻撃を仕掛けてくるやもしれん)

「わ、分かった!」


 一つ頷くと、SQは先ほどの泰一同様、するりと床面を抜けてCICへ下りていった。

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