第22話

『しなの』の船体は大きく揺さぶられた。CIC内部のコンソールも、ほとんどがブラックアウト状態だ。


「急速回頭! 損傷確認急げ!」


 そう叫びながら、相模は大方の機能を失ったCICを出た。艦橋に上がり、自分の目で状況を確かめる。そして、ぶわりと背筋が粟立った。


 ドラゴンの頭上に、真っ黒な霧が立ち込めていたのだ。かぶりを振るドラゴンの角に向かい、霧、いや暗雲から紫電が走る。

 ふと、相模はドラゴンと目が合ったような気がした。そこからは、圧倒的な敵意と憎悪が溢れんばかりに伝わってくる。思わず、相模は一歩後ずさった。


「総員、衝撃に備え!」


 そうマイクに吹き込んだ直後、ドラゴンは第二射を発した。今度は先ほどの倍近い発光現象を伴っている。

 相模は慌てて頭を下げ、両手両足を縮めてうずくまった。しかし守れたのは頭部だけで、ぐらぐらと揺れる艦橋で全身のあちこちをぶつけた。


「……誰か、負傷者はいないか? 重傷者は?」


 そう言いながら、相模はあたりを見渡した。艦橋内の皆は少なからず負傷していたが、致命傷ではないようだ。


 相模は自分の四肢の無事を確認し、再び艦橋の窓からドラゴンを覗こうと試みる。

 しかし、無駄だった。艦橋の窓が大きくひび割れていたからだ。これではドラゴンの姿を目視確認できない。

 が、それは些末な問題だった。改めて状況を確認すると、ドラゴンの遠距離攻撃の第一射が船首を、第二射が船尾を掠めている。第三者は、間違いなく『しなの』の横腹に決定的な打撃を与えるはずだ。


 三度紫電を帯びる、ドラゴンの角。亀裂の入った窓からでも、凄まじい光が発せられるのは察知できた。

 自分の命運もここで尽きるのか。諦念に囚われながら、相模は乗員たちへの責任と、妻子への申し訳なさに思いを馳せた。


 一際光が強くなる。自分たちを一瞬で消滅させてしまうであろう、天誅の光だ。神の鉄槌なのだ。


「……すまなかったな」


 誰にともなく呟き、相模はふっと目を閉じた。


         ※


 その約五分前。

 海斗たちに送り出されたSQは、その実体のない姿を活かし、誰にも見られないように『しなの』に潜入していた。


 ドラゴンの状態はSQも把握している。ドラゴンの帯びた熱意は、間違いなく彼(あるいは彼女)が怒り狂っていることを表している。華凜が誰の差し金で自分の逆鱗を刺したのか、はっきり分かっているのだ。すなわち、その人物がこの艦に乗っていることも。


 SQとて、これほどのエネルギーを内包した生物と意思の疎通を図る手段はない。ではどうするか。


(人間共に反省してもらうしかないのう)


 そう思いつつ、海上に出たのはドラゴンとほぼ同時。ドラゴンの憤りは相変わらずだ。ここで人間側の司令官を説得する暇はないだろう。


(やはり彼女に動いてもらうしかあるまい)


 SQの脳裏にあった人物。それは、先ほど軽く手助けをしてやったあの女性――池波美香だった。


(おおっと、仕損じたか……)


 SQにしては珍しく、眉間に手を遣った。さも人間臭い所作だ。

 今の池波は、大の男二人の隙のない視線の先で為す術もなく座らされている。謎の振動で――ドラゴンの出現によるものに間違いない――、三人の間にも少なからず動揺が走った。

 だが、窓のないこの部屋からは、何が起こっているの分からない。幸か不幸か、三人は平静を保っていた。


(ふむ、これなら術もかけやすいのう)


 SQは小部屋の扉側、男性自衛官二人の背後に回り込んだ。そして腕だけを実体化させ、二人のうなじを勢いよく掴み込んだ。


「うっ⁉」

「何だ⁉」


 しかしSQの存在を確かめる間もなく、二人は意識を失った。一時的に気を失わせる魔法だ。


 さっと顔を上げた池波に向かい、SQは実体化させた腕を引っ込め、全身を半透明にして姿を現した。


「あっ、あんた、さっきの……!」

(いかにも。海上の様子が気になると海斗のやつが言うもんでな、ドラゴンと一緒に上がって来たんじゃ)

「ド、ドラゴン?」

(うむ。海斗たちが攻略中のダンジョンのラスボスじゃよ)

「そんな怪物が、海上に出てきているの?」

(その通り。どうやら人間共はこの時代の兵器で対抗しようとしている様子じゃが、きっと効果はあるまい。むしろ、ドラゴンの怒りを買うばかりじゃ)


 池波は短く唸った。先ほどの振動からして、発射されたのはハープーンだ。海上の要塞ならまだしも、あれを喰らって生存可能な生物の存在など、俄かに信じられないが――。


「それで、ドラゴンは? 生きているの? 反撃は?」

(もちろん生きておるとも。鱗が多少焦げたくらいで、二、三日もすれば生え変わってしまうじゃろう)


 それからSQは手短に解説した。アトランティスの遺産を世界中に拡散させたこと。その結果、偶然にもこのドラゴン――雷撃を司る個体が日本海溝房総沖で眠りについていたこと。


「……」

(どうしたんじゃ、池波?)

「いや……。ハープーンを受け付けないような怪物が相手で、しかも遠距離攻撃の手段を有しているとしたら、間違いなくこの艦は沈む。私も乗員も海斗くんたちも、きっと生きては帰れないわ」

(なーにを弱気になっておるか、池波! もし海斗たちが諦めていたら、我輩を海上偵察に出したりはせんわ!)


 SQはふわり、と漂って池波の背後に回り、片手だけを実体化して引っ叩いた。


「いたっ! 何すんのよ!」

(その反応性の高さがあれば、我輩と共にこの艦内を駆け抜けて悪党をとっちめられるのではないか? ほら、相模とかいう艦長と、遠山という監督役じゃよ)

「確かに今回の作戦のツートップはその二人だろうけど……。でも、イージス艦は広いし、構造も複雑なのよ? どうやって二人の場所を? 艦橋? CIC?」

(おお、池波よ! 其方、できる女ではないか! 今その二カ所の気配を探ってみたが、相模は艦橋に、遠山はCICにいるようじゃ)


 池波はふむ、と鼻を鳴らして顎に手を遣った。


「じゃあ、途中までは一緒に隊員たちを気絶させながら行きましょう。私が囮になるから、SQ、あなたは適当に実体化して魔術を仕掛けて。くれぐれも殺さないでよ」

(承知しておるわ、そのくらい! しかしお主――)

「何?」


『お主にも過去があるのか?』――そう言いかけて、SQはかぶりを振った。


(いや、何でもない。では参ろうかの)


 池波はパキポキと指を鳴らし、大きく頷いて見せた。


         ※


 こうして事態は現在へと至る。すまなかったと相模が呟いた直後、ドラゴンの頭上の発光現象が急速に収まったのだ。


 代わりに、艦橋に現れたのは池波だ。ドラゴンの圧倒的な力の前に、士気は著しく低下している。頭をぶつけて意識が朦朧としている隊員から拳銃を拝借し、反応の遅れた部下たちをまとめて蹴り飛ばし、池波は相模の眉間に銃口を押し当てた。


「相模修司・三等海佐、すぐに攻撃の中止命令を出して――いえ、攻撃の意志をご自分の脳内から放棄してください。もう打つ手がないのはご承知でしょう?」

「……」

「黙っていては何にもなりません。早く全艦の武装解除を――」

《それは無理じゃよ、池波さん》


 池波ははっとした。油断なく相模から銃口をずらさずに、耳に注意を傾ける。


「その声……監督役の遠山睦氏ですね」

《いかにも。幸い人質を取れたのでね、しばらくドラゴンも攻撃を仕掛けては来るまい》


 人質? まさか。


《すまない池波、不覚を取った。実体化した瞬間に、スタンガン、というのか? それで動きを封じられてしまった……》


 SQは心底意気消沈した具合でそう言った。

 しかし、待てよと池波は黙考する。先ほど聞かされたところでは、SQのような精霊は、怪物の暴走を防ぎ、殲滅するのが任務だったはず。

 その怪物の一種であるドラゴンから、敵対勢力と見做されてもおかしくないのではないか。SQの存在は、人質ではなくとんでもない爆弾なのではないだろうか。


 きっとドラゴンは、唐突に自らの天敵である精霊が現れたことで、目の前の敵をどう捌くべきか迷っているのだ。


         ※


 ところ変わって、CIC。その機能を果たさなくなった部屋でも、海斗たちには役割があった。遠山に、ドラゴンに対して反省、謝罪をさせることで、状況を打開するというものだ。


 もちろん、そのためにワープポイントは使用した。初めはどこにワープしたのか分からなかったが、扉一枚隔てたところで遠山の声が耳に入った。


「この爺さんが黒幕か」


 そう認識するや否や、無計画のまま長剣と共に殴り込みをかけたのだ。その切っ先は、遠山のうなじに当てられている。


(か、海斗……)

「SQ、動けるようになるまで待て。僕がこいつらの戦意を削ぐから」

「ほほう、威勢のいいことじゃ」


 振り返らずとも、遠山が楽しげであることは察せられた。


「わしは十分に生きた。この国の安全保障に仕えて五十年、最早悔いはない。さあ少年、わしを殺すがいい。そして、反省の意思表明ができないままに、ドラゴンの雷撃でこの艦諸共消滅し――」


 聞き飽きたとでも言わんばかりに、海斗は長剣をすっと引いた。


「う、うあぁああ⁉ わしの首! 首があぁあ⁉」

「どうせ僕のような子供に、殺傷行為なんてできないと思ったんだろう? ふざけるな。遠山さん、あんたがどんな人生を送ってきたかなんて、僕に興味はない。それに、高齢者に暴力を振るうのは我ながら気分が悪い。でも、あのドラゴンを放っておいたら、この海域一帯は酷いことになる。それを防ぐためなら、首の皮一枚斬るくらい、何とも思わないさ」

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