第21話【第五章】

【第五章】


 イージス艦『しなの』CIC。


「構造物上部に動体反応!」


 ついに来たか。相模はぐっと顎を引き、制帽を被り直した。そばには遠山がいて、じっとディスプレイを見つめている。


「深度八〇〇〇より急速浮上中! 前方約六十キロに現出と思われます!」

「動体反応に変動はないか?」

「はッ、時速約〇・五キロの速度で、直上へ上昇中!」

「どうやら水圧の変化にはお構いなしであるようだのう」


 呑気な遠山の口調に、微かに拳を握り締める相模。この男は、この作戦を演習の延長とでも考えているのだろうか? 

 それはさておくとしても、今は航空自衛隊からの支援が受けられない状況だ。動体――間違いなく殲滅目標になるだろうが――に対し、『しなの』のみで対処しなくてはならない。


「目標、海上に現出! 光学映像を出します!」


 単純計算で十六秒、これでは海中にいる間に迎撃しろという方が無茶な話だ。今更だが、アスロックは使えまい。


「これより、海底より急速浮上した動体を攻撃目標とする。敵戦力は未知数だが、凄まじい水圧差に耐え得る強靭な身体を有していることを忘れるな。全艦、第一種戦闘体勢! 対水上戦闘用意! ハープーン、トマホーク発射準備! VLS展開!」


 少し焦ったか。相模は軽く額の汗を拭った。しかし、これは立派な戦闘行為なのだ。早口にはなってしまったが、眼前の脅威排除のための士気向上にはなったはず。


 前方六十キロといえば、『しなの』に搭載されている遠距離火器を以てすれば目と鼻の先だ。全ての火力をぶつけられる。一定範囲外への通信妨害によって空自と連携が取れない今、この動体――怪物は駆逐してしまわねばならない。


         ※


 三ヶ月前、東京都内のある料亭にて。春も盛りの過ごしやすい夜だった。

 だが、それは自衛隊などの特殊な職種に就いていない、一般人にとって感覚だ。


 着慣れない紺色のスーツを纏い、相模は背筋を伸ばしたまま正座していた。目の前には既に高級懐石料理が所狭しと並べられている。しかし、それらを堪能するよりもずっと重要なことを、相模は考えていた。


 何故自分がこんなところに招かれたのか。

 日本海溝房総沖で、一般には公表できない何らかの作戦が決行されるらしい。それは知っている。だが、まさか自分にその任が与えられようとしているのではないか?  確かに、自分が艦長を務めることとなるイージス艦が付近を航行する予定はあるが、それでも何故?


 思索に耽っていると、するりと襖が開き、黒服にサングラスの『いかにも』な男性が入ってきた。それでも相模は何も言わないし、何も尋ねない。要件は、その男性が運んできたノートパソコンから告げられると察したからだ。


 ディスプレイをこちらに向け、さっさと退室する黒服男性。彼が襖を閉めて数秒後、唐突にディスプレイが光を投げかけてきた。そこに映っていたのは――。


《初めましてかね、相模修司・三等海佐。わしは遠山睦。今回の作戦の監督役じゃ》


 相模はこれがライブ映像だと判断し、口を開いた。


「今回の作戦、とは?」

《海底に眠る巨大生物の捕縛じゃよ》

「……は?」


 これには思わず、相模も開いた口が塞がらなかった。


「きょ、巨大生物?」

《うむ》


 何だ? 説明はそれだけか? 相模がやっと口を閉じると、ようやく遠山が説明を再開した。


《まあ、巨大生物云々というのは俄かに信じがたいじゃろう。説明の機会はまた別に取らせてもらう。それよりも相模三佐、君はこう考えているのではないかね? 何故自分がこの任務に抜擢されたのかと》

「……」

《単純なことじゃ。君は先日、インド洋西部の海賊対策で護衛艦を指揮し、素晴らしい功績を上げた。近接戦闘火器の使用もやむを得ん状態だったとは、きちんと報告を受けている》


 相模は正座している足を組み替えた。動揺を隠すためだ。

 近年の海賊は装備が充実しており、それに対処すべく相模は近接戦闘火器の使用を決断したのだ。威嚇射撃ではあったが、無論、それは公にはされていない。


《君のその柔軟な判断力。それを買ったのだよ、わしは》

「それで私に、その怪獣だか怪物だかを駆逐しろと?」

《うむ。生け捕りにできればいいが、そう上手くいくとも限らん。いざという時は殲滅しなければ。君の艦には海上と上空との中継を頼みたい。物騒な話は、それらが全て失敗してからのことじゃ》


 それから会合を重ねるごとに、相模は状況を理解していった。数十年前から確認されていた、地下構造物の存在。そこに秘められた高エネルギー反応。そのエネルギーの波長は人間の脳波と酷似していること。

 そして結論として、脳波の測定にあたって抜擢された四人の若者を地下構造物に派遣することになったということ。


『抜擢』『派遣』と言えば聞こえはいい。だが、無論これらはその若者たち四人の意志とは無関係だ。理不尽にも程がある。


 そんな思いを募らせつつも、相模は自分が追い詰められていることを察していた。遠山は毎回ディスプレイ越しに相模の経歴を列挙して見せたが、何より恐ろしかったのは家族構成がバレているということだ。


 いや、何と言うことはない。調べは簡単につく。それでも、妻子の名前と生年月日を告げられた時には、相模は寒気を催した。これでは、連中は二人を人質にしようと思えば好きにできるということではないか。


 改めて『組織』というものに脅威を感じた相模は、不本意ながらこの任務を引き受けることにした。


         ※


「目標現出!」


 その声に、相模は瞬時に回想から意識を戻した。


「光学カメラ、目標を拡大表示。コンソールに映せ」


 そう言って振り返り、壁際の画面を覗き込む。そこに映されていたのは、ぬうっ、と頭部をもたげた巨大なドラゴンだった。海斗たちがダンジョンで見たものと同じだが、相模や『しなの』の乗員たちが知るところではない。


 その優美さ、するりとした体躯は、乗員たちの目を一瞬にして奪った。


「こやつか。電波障害を引き起こした『目標』は」


 遠山の声に、全員がはっと正気に戻った。相模が隣のコンソールを覗き込むと、ドラゴンを、正確にはその頭部を中心に、強烈な妨害電波が発せられていた。

 改めて光学映像を見ると、ドラゴンの角の間に雷撃が走っている。


「火器管制室に通達、ハープーンにて目標頭部を破壊する。二発同時に発射しろ。一発目は直進、二発目は上方から垂直に狙え」


 これで倒せなければ、事実上この艦にドラゴンを防ぐ術はない。火器弾薬はあるが、効かないものをいくら叩き込んでも状況は変わらない。

 追い払うことはできるかもしれないが、自分たちが今助かっても、次にこの海域を航行する船舶に危険が及ぶ。自分たちが仕留めるしかない。


 まるで怪獣映画だな――。

 頭の片隅でそう思いつつ、相模は腕を組んで振り返り、バッジシステムの表示されたディスプレイに見入った。


《火器管制室よりCIC、ハープーン一番二番、発射用意よし!》

「了解。目標を捕捉し次第、随時発射せよ」

《了解。一番、二番、てえええええええっ!》


 軽い振動がCICを揺らす。それらはすぐに収まり、一部の管制官以外は光学映像に見入った。

 着弾まで、カウントダウンする間もない。ゆったりとこちらを見つめていたドラゴンの頭部は爆音と共に紅蓮の炎に包まれ、ぶわりと広がった黒煙に呑み込まれた。


「ふむ。勝負あったようじゃな」


 遠山だけが涼しい顔で、手に顎を載せている。

 聞こえなかったふりをして、相模はCICの反対側の管制官の肩に手を置いた。


「どうだ?」

「現在、爆炎の鎮静化待ちです。目標の状況確認まで、あと十五秒」


 しかし、実際は十五秒もかからなかった。黒煙はさらり、と空を撫でるように消え去ったのだ。代わりにそこにあったのは、


「そんな……! ハープーン二発が着弾したのに……!」


 情けない声を上げたのは管制官だが、相模も心境は同じだった。

 ドラゴンはふるふるとかぶりを振り、海面から顔を出している。まるで何もなかったかのように。


 いや、しかしこれには語弊がある。表情というものを察せられないドラゴンが相手ではあるが、相模たちは感じていた。猛烈な怒りを。ディスプレイ越しであるにもかかわらずだ。


 するとたちまち、網膜を焼くような凄まじい雷光が走った。ドラゴンの頭部、角の間にだ。

 真っ赤だった光は徐々に青白く変わり、高熱を帯びていく。ドラゴンの体温が上昇しているのか、周辺が今度は白い霧に覆われていく。


 やがてその霧を裂いて、一筋の光が海面を走った。ちょうど『しなの』の艦首を掠めるように。

 直後、海が割れた。文字通り切り裂かれた。ドラゴンが角から発した、一筋の光によって。

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