第19話

 一体何が起こっているのか、海斗にはすぐには把握できなかった。

 泰一の金槌、無防備な美希、彼女の首元に短剣を突きつける華凜。


 海斗がどうにか状況を飲み込もうとしている間にも、ドラゴンはその身を大きく揺さぶっていた。この階層が広大な空間で助かった。そうでなければ、壁も天井もドラゴンの巨躯によって破壊されていただろう。


 SQ曰く、このドラゴンは人間の心が読めるらしい。それが暴れているということは、今この階層で、悪意ある何らかの事態が発生しているということだ。

 この期に及んで、ようやく海斗は華凜が悪意に満ちた顔をしていることに気づいた。無表情に見えるが、それが余計に得体のしれない不気味さを醸し出している。


 華凜が美希を傷つけようとしているから、ドラゴンは暴れ始めたのだ。華凜に狙いをつけられないでいるのは、長い眠りから覚醒したばかりで感覚が鈍っているからかもしれない。


「華凜、何のつもりだ?」


 華凜らしからぬ無言と、鋭い眼力。海斗の足は無意識に止まってしまった。


 壁際で動きを止める四人。ギリッと泰一が奥歯を噛み締め、対する華凜は悪意を剥き出しにした無表情を貫く。


「君は一体何者なんだ? 何の狙いがあってここまで来たんだ?」


 今までの戦いからするに、華凜は明らかにこういう事態に慣れている。特殊な訓練でも受けていたのだろうか。

 そんなことを海斗が考えている一方で、唐突に華凜は顔を歪めた。笑みではない。酷く不愉快な感覚を他者にも自身にも感じさせるように、眉間に皺を寄せたのだ。


「このデカブツ、まだここで暴れまわる気か……。仕方ない」

「きゃっ!」


 人質にしていた美希の背中を蹴り飛ばし、華凜はもう一本の短剣を取り出した。そして、ドラゴンへ向けて投擲。

 無造作に見える所作だったが、海斗にははっきりと見えた。鱗が逆向きについている部分、いわゆる逆鱗に、その短刀が突き刺さるのが。


 ぴたり、とドラゴンの動きが止まった。ぐぅん、と重機のような唸り声を立てて、ゆっくりとその身を横たえていく。ズズン、という鈍い音と共に砂煙が立ち上り、ドラゴンはぴくりとも動かなくなった。


 海斗は開いた口を塞ぐこともできず、呆気に取られていた。

 ドラゴンは死んでしまったのだろうか? これだけの巨体を誇りながら、あんな短剣一本で? いやしかし、逆鱗はドラゴンの弱点だとはよく聞く話だし、もし本当に逆鱗への刺突が致命傷たり得るだったとしたら……。


 もし華凜が余計な真似をせずにドラゴンを倒してくれていたら、海斗は彼女を称賛していただろう。何せ、ワープポイントの直前に鎮座していたラスボスを倒してくれたのだから。


 しかし、そんな考えは浮かんでこない。

 何故華凜は美希を人質に取った? ワープポイントを前にして、一体何をしていた? それに、あの豹変ぶりは何だ? しかも――これは自分だけの感覚だったのかもしれないけれど――ドラゴンとは意志疎通ができる可能性もあったのに、何故ドラゴンを殺めてしまったのか?


「華凜……」


 ただただ名前を呟くだけの海斗。泰一は背後に美希を庇い、金槌を華凜に向けている。華凜はもう一本の短刀を翳し、泰一を見つめながら無表情。


 その時だった。ヴン、と奇妙な音がした。ダンジョンには不似合いな、近未来的な音だ。


「うわっ!」


 咄嗟に皆が腕で目を覆う。凄まじい発光現象が、華凜のそばで起こったのだ。

 海斗が腕を下ろすと、華凜がバックステップで泰一から距離を取るところだった。


「チッ!」


 華凜は泰一に剣先を向けながら、発光現象が起こった床面を見つめている。よく見れば、そこに魔法陣のようなものが描かれているのが分かった。直径二メートルほどの円だ。


(あれがワープポイントじゃ。場所は分かったが、機能不全を起こした。次はお主の番じゃぞ、華凜。自分の胸中を明かすのは)


 そう呟いたのは、今まで事態を静観していたSQだった。


(既に知っておろうが……。このダンジョンは、人間の心に反応して地形やトラップの形状が変わる。そして人間の心というものは、その人物の送ってきた人生によって大きく左右される。華凜、お主は只者ではなかろう? 今は武器を置いて、お主の話を聞かせてはくれんか?)


 華凜の視線には油断がなかった。魔法陣、泰一、そしてSQ。


「放し終わったら私を殺す気なんだろう? だったら今すぐやってよ。SQ、あんたが作った魔弾だったら、私一人を消し飛ばすくらい簡単なはずでしょ」

(……聞かせてはくれんのか、お主の話)

「私は任務に失敗した。どうやったらワープポイントが復活して海上に戻れるのか、見当もつかない。どうせ皆ここで死ぬ。だったら――」


 その言葉は、唐突にぶった切られた。げしっ、という鈍い打撃音が響く。


「あんたの都合なんてどうでもいいわよ! 何でもいいからさっさと話して!」

「う、うわ……」


 泰一が引くのも無理はない。さっきまで人質だったはずの美希が、華凜の横っ面にハイキックを叩き込んだのだ。

 華凜は悲鳴こそ上げなかったものの、唇を切ったのか、僅かに出血している。


「止めろよ美希! また人質に取られたら……!」

「うっさい! 泰一は引っ込んでなさいよ! 華凜の正体がはっきりすれば、あたしたちが帰還できる可能性はまだあるのよ! 躊躇っていられるわけないじゃない!」


 ぎゃあぎゃあと喚く二人の喧騒を破ったのは、華凜の自嘲だった。


「ふっ……。参ったな。こうまでされては話す外ない、か。いいよ。私は私の過去を話す。嘘はつかない。皆と同じようにね」


         ※

 

 華凜が物心ついた頃、母親はいなかった。何故自分に母親がいないのかと尋ねた時、父親はすぐさま病死だと答えた。虚弱体質だった、とも。そこには一片の感情も見受けられず、華凜は父親の言葉をそのまま受け入れるしかなかった。


 父親の言葉は事実だったし、華凜も疑ったことはなかった。ただ一つ問題だったのは、男手一つで育てられたがゆえに、華凜の胸中にある善悪の観念、正義と悪の概念の整理がつかず、偏向してしまったこと。


 華凜の父親は筋金入りの刑事であり、実戦よりも厳しい事態を想定して自らを叱咤しながら生きていた。その表情や態度は常に厳しく、かつ高圧的。実際のところ、まだ幼かった華凜には厳しすぎた。


 そんな父親が、華凜の骨の髄にまで叩き込んだ価値観。それは、『多数の人々の利益のために、僅かな犠牲を気にかけてはならない』というもの。


 近年の日本人からはやや遠い思考ではあったが、華凜にとってそんなことは関係ない。父親の在り様、生き様こそが、華凜にとっての正義だった。

 彼女がそれを自分なりに解釈して数日後、父親は殉職した。暴力団の事務所に突入した際、銃撃を受けたとのこと。それでも、自分が食らった銃弾の数よりも多くの不届き者たちを行動不能にしたという噂は、華凜も聞かされた。


 問題は、華凜に身寄りがなかったこと。そして、父親の行き過ぎた正義感が彼女の心を占めてしまっていたことだ。


 案の定というべきか、華凜は孤児院よりも警察機関に属することを望んだ。父親は不愛想、というより鉄壁のような人物だったが、人望がなかったわけではない。

 だからこそ、華凜はその伝手を頼った。否、利用した。自分の意志、そして父親の遺志に従うように、剣道や柔道、空手の達人と呼ばれる刑事たちの家に居候するようになったのだ。


 刑事たちも殉職した同僚の娘の意志を無下にはできず、彼らは華凜に厳しい訓練を課しながら戦い方を教えた。その中には、元SATの隊員や元自衛官さえいた。


 厳しい状態に陥れば陥るほど、華凜に最も影響を与えた父親の影は色濃く付きまとった。

 華凜はそれが『正義』であり、自分の『責任』だと信じてやまなかった。


         ※


「その頃に出会ったある男性が、私のどこへ向ければいいか分からないような『責任感』を活用する道を用意してくれた」

「それで、君がこのチームに選ばれたのか? ダンジョンを攻略するために?」


 海斗の問いに、華凜は大きく頷いた。


「ここに巨大生物が眠っていることは分かっていた。それに、私の脳波はこのダンジョンに立ち入るのに適していたらしい。これは偶然だろうけど」

「目的は何だ?」


 鋭く泰一が切り返す。つと華凜が顔を上げた、その時だった。

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