第18話
※
その頃、件のダンジョン内では、再び海斗が先頭に立って階段を下りていた。
「馬鹿に長いな……。SQ、もし知っていたら教えてほしい。次の階層は特別な仕掛けが設けられているのか?」
(うむ。最下層じゃからな。お主ら風に言うところの『ラスボス』が眠っておるわい)
「ら、ラスボス?」
はっと顔を振り向ける海斗。その先では、SQが腕を組んでこくこくと頷いていた。
ついに来たか、と海斗は緊張感が高まった。
「一体どんな奴なんだ、ラスボスってのは?」
ぐるぐると肩の上で金槌を回しながら、泰一が尋ねる。その眉間には、厳めしく皺が寄っていた。しかし、SQは掌を上に向け、ゆるゆると首を振りながら『よく分からん』と答えた。
「はぁ? お前、このダンジョンの管理者だって言ってたよな? だったら知ってて当然だろうが」
(いやいや。さっきも話したが、我々も必死だったんじゃ。アトランティスの遺産を分割し、ワープさせるのにな。この先にいるのが巨大な獅子なのか、狂暴な怪鳥なのか、はたまた海棲の食人植物なのか、皆目見当がつかん)
ふん、と鼻を鳴らす泰一。これでは仕方ないと割り切ったらしい。
「とにかく、そのラスボスを倒せばワープポイントに到達できるのよね? あたしたちは海の上に戻れる、ってことで間違いないわね?」
(うむ、美希の言う通り。恐らくは、お主らが乗っていた母船の甲板にでも飛ばされるじゃろう)
海面に投げ出されて溺れ死ぬことはないということか。
すると、唐突に視界が開けた。階段が終わり、巨大な観音扉が待ち構えていたのだ。松明は既に灯されており、それでも見上げきれないくらい高い。扉の幅もまた見渡せない。
これほど巨大な空間の先に眠る『何か』。一体どんな怪物なのだろう。これだけ広いスペースに鎮座しているのだから、万が一戦闘になったら一体どれだけ駆け回ることになるのか見当もつかない。
(ここからでは、我輩にも中の状態が掴めん。もし怪物が眠っていたら、大人しく通り抜けること。極力音を立てぬようにな)
先頭にいた海斗が、SQに向かって頷く。泰一と美希もそれに続いた。その時だ。
「ん?」
海斗は違和感を覚えた。華凜だけが、さっと目を逸らしたのだ。腕を組んで、右手の指先で左肘をトントンと叩いている。そのタイミングは不規則だ。短い付き合いではあるが、海斗には違和感を覚えた。彼女にそんな癖があっただろうか?
(海斗、大丈夫か?)
「あ、ああ」
(剣を構えよ。扉を開けるぞ)
SQはふわり、と浮かび上がって、海斗たちの頭上でそっと片手を扉に押し当てた。
微かに水滴と砂塵が降ってくるが、不思議と音は立たなかった。SQの掌には、淡い紫色の光が宿っている。
(今後はこのテレパシーだけでお主らを誘導する。流石にお主らの足音を完全に掻き消すのは困難でな、慎重に進むんじゃ)
海斗は、背後で皆が頷く気配を感じた。華凜がどうしたかまでは察せられなかったが、今はそんなことを気にかけている場合ではない。かぶりを振って、改めて長剣を構えた。
巨大な扉は、すっと滑るように開放された。ふっ、と静かに海斗は空気を飲み込んだ。
扉の向こうの空気は、思いの外清浄だった。静謐さが舞い降りてくるような、不思議な錯覚に囚われる。
(こやつは……)
「どうしたんだ、SQ?」
声を潜めて海斗が尋ねる。
(どうやら、随分と厄介な怪物がラスボスになっておったようじゃのう……)
そう念じるSQの顔は、全身が元々半透明だったにも関わらず青ざめているように見えた。
「それって、一体どんな――」
「わたくし、気になりますわ。どうにかそのラスボスさんのお姿、拝見できないかしら?」
(あっ、待つんじゃ、華凜!)
海斗を追い抜き、華凜が前に出た。影に塗りつぶされた怪物の正面へと。
すると微かにその足元から、ごとん、と音がする。
「ばっ、馬鹿! 戻れ華凜!」
そう泰一が声をかける頃には、この階層全体の松明が一斉に灯るところだった。そういう仕掛けの床板を、華凜は踏んでしまったのだ。
咄嗟に全員が得物を構える。この明るさの中では、怪物が目覚める可能性は高い。いつ襲いかかられるとも限らないのだ。
しかし、そこに漂っていたのは実に温和な雰囲気だった。
「あれ? 意外と……可愛い?」
そう呟いたのは美希だ。そして、それは他の三人も思うことだった。
分類すれば巨大なドラゴン、ということになるのだろうか。蛇のようにすらりとした体型で、とぐろを巻いている。胴体の直径だけでもビルの一階分くらいの太さがある。短い前足と後ろ足を床面につき、ぐったりと頭部を下ろしている。
その頭部には、丸々とした真っ白い球体が二つ付いている。眼球だ。今は瞼を閉じた状態であるらしい。その後方には二又に分かれた角が二本、金色の輝きを放っている。
人懐っこさを覚える鼻先には、小さな穴が二つ。呼吸孔だろう。
特徴的なのは、その顔に口と思しき器官が存在しないということだ。当然ながらドラゴンらしい牙もなく、火を噴く気配もなさそうだ。
その頭部から尾の先までを見れば、もしかすると全長百メートルくらいはあるかもしれない。
すると、ごずり、と鈍い音を立ててドラゴンの尾が床面を擦った。微かに削られた床面の砂塵が舞う。白い瞼が上から下に見開かれ、黒い眼が露わになる。
「お、おい、目を覚ましたみたいだぞ……?」
流石にこれほどの巨大な怪物を前にしては、泰一も恐怖心を隠し切れない様子。美希も及び腰で、弓を構える余裕もないようだ。
しかし、ここで突飛な行動に出た人物が一人。
「ちょっと! 海斗!」
美希の悲鳴じみた声を無視して、ドラゴンの頭部に近づく海斗。その歩みはゆっくりとしているが、緊張感を伴ったものではない。ドラゴンの方にも敵意はないらしい。それはSQが海斗を引き留めないことからも明らかだ。
一二〇〇〇年の眠りから目覚めたドラゴンは、すーーーっ、と息を吸い込み、緩やかに吐き出した。
大きな鱗の一枚一枚が波打ち、コバルトブルーの体表が穏やかに松明の光を反射する。
「僕がこいつの気を惹く。皆はSQに従って海上に戻るんだ。僕もすぐ追いつく」
「わ、分かった」
泰一と美希がわきを通り過ぎていくのを目の端で捉えながら、海斗はSQに問いかけた。
「なあ、SQ。どうしてこいつは僕を襲ってこないんだろう? いや、僕自身、こいつに殺されるような気は全然しないんだけど」
(ふむ……。我輩の断片的記憶によれば、こやつは人間の心が読めるんじゃ)
「SQみたいに?」
(我輩以上に)
それには思わず、海斗も振り返った。
すると、その隙を狙っていたかのように、ドラゴンはずいっとその顔を海斗に寄せてきた。
流石にこれには、海斗もごくりと唾を飲んだ。が、それは驚きからであり、やはり緊張や恐怖心は湧いてこなかった。
「人間の心が読めるってことは、もしかして僕の過去も?」
(うむ。既に把握している可能性が高いのう、このドラゴンは)
するとドラゴンは、図体に合わない甲高い声で鳴いた。それは、産まれた直後の哺乳類の赤ちゃんを連想させる、愛想のあるものだった。
そんな声を上げながら、ゆっくりと鼻先を海斗に近づけていく。それに応じるように、海斗もまた、そっとドラゴンの鼻の頭に触れてみた。
感情の読めない、真っ黒い球体の瞳。だが、それでもこのドラゴンに攻撃の意志がないことは察せられる。
(こやつは……ああ、そうか)
「どうしたんだ?」
(このドラゴンには、人間に対する共感能力があるのじゃ。だから、心に傷を負っているお主や泰一、美希に危害を加えようとしなかったんじゃろう)
「そう、なのか。それなら安心――」
(うわああああああああ!)
突然脳みそに捻じ込まれた絶叫に、海斗は耳を押さえた。もちろん意味はないのだが。
「どうしたんだ、SQ?」
(こやつは人間の思考が読める。お主らには、自発的にではなく外部からの圧力でここまで来たという気配がある。お主ら自身に害はないにしても、海上にいる連中が何を企んでいるか、分かったもんではないわ!)
「海上って……イージス艦で何かが行われている、っていう話?」
(左様。こやつには、それを察知される前に、再び眠りに就いてもらうしか――)
しかし、SQのテレパシーはそこで強制的にぶった切られた。
突然、ドラゴンが暴れ出したのだ。頭部を引っ込め、かと思えば上方に振り上げ、かぶりを振るような動作をする。
「お、おい、どうしたんだよ?」
「海斗!」
泰一の叫び声に、海斗は壁際に視線を走らせた。そこにいたのは、金槌を振り上げた泰一、それに、美希と華凜だ。
だが、そこにあるのは剣呑な雰囲気。
無理もない、何せ華凜が美希の背後から彼女を羽交い絞めにし、首元に短剣を翳していたのだから。
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