第17話


         ※


 イージス艦『しなの』の一角に設けられた、手狭な部屋。


「会議室って言うより、警察署の取調室みたいね……」


 連行されてきた池波は、ぽつりと口にした。

 部屋は五畳ほどの広さで、中央に金属製のテーブルがある。椅子は入り口側とその対面に二脚。決して座り心地がいいとは言えない、固くて味気ない椅子だ。


 テーブル上にはスタンドライトが設けられ、部屋天井の四隅には監視カメラが配されている。これでマジックミラーが使われていたらそれこそまるっきり取調室だと言えるが、流石にそこまでではないらしい。


 入り口の両脇には、先ほど池波を連行してきた屈強な下士官二人が立っている。腰の後ろで手を組み、足を肩幅に開いて直立不動の姿勢。

 二人の目は真正面に向けられていたが、警戒の意識はこちらに向いている。池波にとって、その気配を察知するのは容易だった。


 既に池波は、小型の通信機の所持の是非を身体検査で確かめられている。そんなに自分を警戒しなくてもいいではないか、というのが思うところだ。

 まあ、そんな機材を持ち込んでいたとしても、一定の広さの海域の外にまで通信しようとすればすぐに妨害されてしまうのだが。

『しなの』が苦戦しているのもまさにその点だ。


「了解した。しばしの間、副艦長にこの艦を任せる。CICで何か掴んだら、私にも一報をくれ」

「はッ」


 開けられていた扉の向こうに相模の背中がある。さらにその向こう側では、やや若い士官が敬礼し、踵を返すところだった。

 相模もまた振り返り、池波を一瞥してから下士官の片方に声をかけた。


「私のパソコンから引き抜いた資料を彼女が閲覧した可能性は?」

「はッ、ありません。現在までのところ、池波美香に宛がわれた部屋は封鎖されております。また、彼女が手にしていたUSBメモリも没収しました」

「了解」


 もう一人の下士官が、がらがらと金属製の扉を閉める。屈強な男三人を眺めながら、随分狭苦しくなったなと池波は胸中で呟いた。


「いくつか質問させていただこうか、池波美香教諭」

「……」

「それより驚かされた。あなたが元・海上保安官だったとは」

「そう?」


 曖昧な返答で相手がボロを出すのを狙う池波。しかし、そんな小細工が通じる相手かどうかは分からない。相模がこの場で自分を尋問しているということは、彼がそれなりのメンタルトレーニングを受けてきたということだからだ。侮れない。


「あなたは三年前、突然海上保安官のキャリアを捨て、地方の教育大学に入学、凄まじい速度で教員免許を取得、飛び級で卒業した。目的は?」

「その質問、意味があるのかしら」

「質問に質問で返すのは賢明ではないぞ」

「子供たちの安全確保のためよ」


 やや眼力を強め、池波は呟くように、しかし歯切れよく言った。軽く身を乗り出す。

 下士官の一人が池波を押さえようとしたが、相模は目だけでそれを制した。


「さっきからあなたはそう言ってばかりだな」

「事実ですから」


 ちらりと相模の左手の薬指を見下ろす。既婚者だ。もしかしたらお子さんがいるかも知れない。無礼を覚悟で、今度は池波が相模のプライバシーに踏み込んだ。


「相模三佐、お子さんは?」

「娘が一人。まだ三ヶ月だ」

「三ヶ月? 子宝に恵まれるのに時間がかかったのね」

「そうだ」


 身を引いた池波に向かい、今度は相模が肘をテーブルについた。


「何が言いたい、池波教諭?」

「あなたみたいな一見冷徹な人にも守りたい家族はいる、ってことね。そのことに『責任』を負っている、と」

「それがどうかしたか?」

「惨たらしい人間だと思われるでしょうけど――」


 池波も、また肘から先をテーブルに載せて相模を睨んだ。


「もしあなたの娘さんが、海斗くんたちと同じ潜水艇に乗っていたら? すぐに救助艇を向かわせるでしょう?」

「当然だとも。私には、娘を守る義務がある」


 池波は、ふん、と鼻を鳴らし、身を引いた。


「じゃあ、見ず知らずの少年少女たちの安否はどうでもいいってことなのね」

「勘違いしないでくれ。私の自衛官としての任務と、父親としての責務は違う」

「でしょうね。そうでなければ、今頃海斗くんたちは無事に海上の母艦に向かっているはず。あなたは海斗くんたちに淡々と接しつつ、いざ娘さんと比較したら、彼らを簡単に切り捨てるのよ」


『切り捨てる』――流石にこの言葉は、相模の胸に刺さった。


「何を言うんだ? 自分は国民の生命財産を守るために――」

「少数派を犠牲にして多数派の意見を尊重しなくてはならない。救いの見込みのない者はすぐに見捨てて、見込みのある者を支援しなくてはならない。非常時という時間は残酷よね。でも――」


 会話の主導権を握り返した池波は、じっと相模の目を見つめた。


「既に救助艇は発進準備を完了しています。あなた方自衛隊の許可さえ下りれば、すぐに四人の乗った潜水艇を回収し、確実に死者を出さずにこの難局を乗り切ることができるはず。全員に十分な救いの見込みがあるんです。相模三佐、許可を」


 相模は奥歯を噛み締めたのが、池波にもはっきり見えた。

 自分だってすぐに救助艇を送りたい。そう思って葛藤しているに違いない。その時、


《相模三佐にその権限はないよ。残念だったのう、お嬢さん》


 小部屋に取りつけられたインターホンから声がした。しわがれた、しかし深みのある声だ。


「遠山監督、いらしたのですか?」


 相模は立ち上がって扉に向き直る。しかし、


《ああ、そのままそのまま。わしが入っても余計狭苦しくなるだけじゃろう。それより相模三佐。わしは今、君に説明するために来たのだが》

「私に説明?」

《うむ。ちょうどここにいると聞いたものでな。せっかくだから池波くん、君も聞くかね?》

「ちょっと、遠山監督!」

《構いやせんよ。池波くんはわしを気の狂った老いぼれとでも思うだろうが、今起こっていることを伝えずにいるのもフェアではない。信じるか否かは彼女に任せて、わしは『ひとまず』相模三佐に話をしようと思う》


 コホン、と空咳をして、遠山は言葉を続けた。


《はっきり言うと、あの四人――海斗くん、泰一くん、美希さん、華凜さん、彼らの潜水艇が水深八〇〇〇メートルで着底させられたのは偶然ではない。そこにある構造物、若者風に言えばダンジョンに招かれたのだ》

「……は?」


 ダンジョン? 池波は脳内でこの言葉を反芻した。聞き覚えのある言葉ではあるが、若者同士の会話でしか耳にしたことがない。それはさておき『招かれた』とはどういう意味だ?

 池波の疑問を先取りしたかのように、遠山は言葉を続けた。


《あのダンジョンの存在は、三十年ほど前から把握されていた。何隻もの潜水艦や深海調査隊が既に赴いている。しかし、レーダーで捕捉されているはずの海域にどうしても到達できん。接近すればするほど乗員たちがどんどん体調を崩し、意識を失い、気づけば艦船ごと海上に浮かんでいる。そんなことが今まで、何十回も繰り返されてきた》

「そんなことが、本当に?」

《うむ》


 受け答えをしているのは相模だ。池波に言わせれば、そんな話は冗談だろうと一蹴するのは容易なこと。しかし、遠山と呼ばれた監督役の言葉には、妙な重苦しさがある。簡単にあしらうことはできない。


《まあ、ダンジョンからして彼らは招かれざる者だったということじゃな》

「ということは、『招かれた』というのはあの四人に何か他人とは異なる特性があった、と?」

《そういうことじゃ》


 コホン、と再び空咳を挟む遠山。


《これは十年ほど前になるな。このダンジョンの入り口と思しき箇所から、謎の波が発せられていることが判明した》

「謎の、波?」

《左様。電波でもなければ、ましてや物理的振動でもない。強いて言えば『心理的波』とでも表現すべきかの》


 そんな馬鹿な。あまりの突拍子のなさに、池波は呆れてしまった。

『心理的波』などといったら、テレパシーのようなものではないか。そんなものが実在する? おとぎ話ではあるまいに。


《まあそう怪訝そうな顔をせんでくれ、池波教諭》


 そうだ、こちらは四方向から撮影されているのだ。自分の感情を露骨に表すのは得策ではあるまい。


《我々の組織は、その『心理的波』を数値化することに成功した。そして、その波長が人間の脳波に酷似していることが判明した》

「それとあの子たちに何の関係があるんです?」

《あの四人の脳波は、ダンジョンの発する『心理的波』と一致している。いや、奇跡的なほど酷似している、という表現にとどめようかの》

「だからダンジョンに潜入できた……いえ、『招かれた』?」

《その通り。だからこそ、我々はあの四人を調査団として送り込んだんじゃ》


 その言い方に、池波の胸中でカチン、と何かが弾けた。

 怒りを顔の皮一枚で隠し、しかし声の震えを抑えきることができない。


「何が脳波よ! 何が調査団よ! そのダンジョンには、どんな危険があるかも分からないのに! それを年端もゆかない子供たちに……!」

《この海域付近で臨海学校が催される予定だったのは僥倖じゃった》


 遠山は声音を変えず、眉一つ動かさなかった。


《お陰で、総勢二十名の高校生たちの脳波測定を行い、適任者を四人も挙げることができた。大まかな脳波の形状が似ていた人間の判別は事前に済ませておいたがの。いずれにしても、網にかかったのはいずれも十代後半の少年少女たちだった。だからこそ、大人をこの調査に派遣するわけにはいかなかったのじゃよ。池波教諭、あなたは子供たちの身を案じているようじゃが、『招かれた』存在である以上、それほど危険はないものと思うが?》


 池波は開いた口が塞がらなかった。それで安全と言い切れると思っているのか?

 海斗たちの身に何かあった時、責任を取れるとでも?


 しばしの間、小会議室は静まり返った。相模もまた、遠山の説明した事項を飲み込もうとしているのだろう。遠山は、とっくに自室にでも戻ってしまっているだろうが。


「さて、池波教諭。遠山監督の話はこれで終わりだ。あなたにはしばらく、ここでおとなしくしていてもらう」


 そんな相模の言葉は、しかし池波の頭には入ってこなかった。

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