第16話

「美希!」


 泰一が、二射目を放った美希に振り返った。海斗はそれを目の端で捉えつつ、再び長剣を構える。

 クラゲたちは唐突に飛んできた矢を警戒してか、様子見をしている模様。海斗もまた、耳だけを泰一と美希の会話に向けた。

 ちょうど自分が尋ねたいことを、泰一が美希に問うていたのだ。


「だ、大丈夫か? 地震が起きてるぞ!」

「それより、今危ないのはあのクラゲでしょ。泰一、早くあんたも前線に戻って」

「だけどな……」


 今まで地震が起きる度、美希に引っつかれていた泰一。しかしそんな泰一からすれば、今の美希は別人のように思えたのだろう。

 前後に足を開き、三射目を発しようと弓を引いている。しっかりとした、それこそ指南書に掲載されるような堂々たる立ち姿。

 それだけでも立派な弓道のスタイルだろうが、今ここで展開されている弓道は、武芸としての弓道とは大きな違いがあった。


 それは射る者、つまり美希の目だ。

 自分のトラウマである地震というものを克服できたかどうかは分からない。だが少なくとも今は、そんなことにかかずらわっているほど暇ではない。そんな強い意志が、彼女の眼球に光を与えていた。


 海斗が前方に目を戻すころには、既に四射目が発せられていた。

ダンジョンに入ってから感じていた、身体能力の補正。それと美希の信念、それこそ『責任感』が混ざり合って、精確にクラゲたちを射抜いている。


「あと五射できる。それで援護するから、あんたと海斗で突撃して。華凜も二人の援護を」

「わ、分かった!」

「かしこまりましたわ」

「……」

「ちょっと泰一、返事をして!」

「あ、お、おう」


 泰一が戸惑うのも無理はない。こんなにがたがたと揺れる床面に立ちながら、美希は立派に状況を把握し、指示を出している。

 明確なリーダーのいない四人の中で、今最も頼りになるのは美希だ。それを実感し、泰一はごくりと唾を飲んだ。


「おっかねえ女だな……」

「よし、行くぞ、泰一!」


 海斗の声が響いてくる。泰一は美希に一つ頷いてから踵を返し、クラゲの群れへと突撃した。


         ※


 それから、約十分後。

 

「ふっ!」


 海斗の斬り上げた長剣が、最後のクラゲを真っ二つにした。


「美希、そこからクラゲは見えるか? もし生き残りがいたら」

「いえ、もう大丈夫みたい。お陰で真っ暗ね。だれかペンライトか何か持ってない?」

「あ、わたくし持ってますわ。今まで使う機会なかったから、電池の心配は不要です」

「サンキュ、華凜」


 海斗と泰一が振り返ると、ぼんやりとした白い光が美希と華凜を照らしていた。

 

「おお、ありがてえ」


 大股で歩いていく泰一の背中に、海斗は声をかけた。


「どうやら揺れも収まったみたいだな。SQも直に目を覚ますだろうから、少し休憩だ」

「了解っと」


 ハンマーを肩に担ぎ、先を行く泰一。その背中を見ながら、海斗は脳内をこねくり回していた。

 ダンジョンに入る時、SQは、それぞれが心の結束を強めることでチームワークが強化されると言った。

 今の戦いでは、十分チームワークが取れていたと思う。だが次の階層では、どんな怪物が待ち構えているか分からない。

 そしてそれに対抗できるのは、自分たち個人ではなくパーティとしての自分たちだ。


 海斗は決意を秘めて、ぐっと唇を噛み締めた。


「おーい海斗、お前も来いよ。非常食糧にはまだ余裕が――」

「次は僕の番だと思う」

「は?」


 栄養ドリンクをチューブですすりながら、泰一が間の抜けた声を上げた。


「どうしたんだ? 『僕の番』って?」

「身の上話、って言うのかな。まだ僕は話してなかっただろう?」

「ああ、それもそうだな。じゃあよろしく――いてっ! 何すんだ、美希!」

「大丈夫なの、海斗? あんまり乗り気じゃないみたいだけど」


 泰一にデコピンを食らわせた美希が身を乗り出してくる。華凜も、いつになく真剣な眼差しを寄越していた。

 しかし。いや、だからこそ。

 

 ――ここで話さずに、いつどこで話すというんだ。

 そう自分に言い聞かせ、海斗は『平気だよ』と言って軽く肩を竦めてみせた。


 すっ、と短く息を吸ってから、海斗は語り出した。

 

「僕の父親は市役所の災害広報担当だったんだ。十二年前、僕が五歳の頃に殉職した」


 瞬時に場が固まった。大きく目を見開く美希、微かに眉根に皺をよせる華凜、遅れて咳き込む泰一。

 三人のリアクションをそれぞれ一瞥してから、海斗は話を続けた。


「警官でも自衛官でもないのに『殉職』っていう言い方はおかしいよね。だけど、そうとしか言えないんだ。その日は記録的大雨が降っていて、土石流の被害があちこちで起きていた。僕の父親は、逃げ遅れた住民を車両に乗せようとしていたところで、土石流に巻き込まれたんだそうだ」


 海斗はしばし沈黙し、その日の朝に何があったかを語り出した。


         ※


「じゃ、行ってくるよ」

「ええ……」


 いつも通り出勤しようとする父親。それに対し、母親はやや狼狽えているように見えた。

 実際、『いつも通り』だったのは父親の態度だけで、海斗も母親も心配を隠せてはいない。

 その心配は、胃袋の奥から渦巻いてくる泥のような、澱のような、ずしりと胃を圧迫するような不安感だった。


 もし海斗が今と同じメンタルの持ち主だったら、母親と共に静かに父親を見送っただろう。だが十二年前の、たった五歳の海斗にそんなことはできなかった。


「お父さん!」

「どうした、海斗?」

「今日は危ないよ! こんな酷い雨、僕見たことないもん! お母さんは家でお仕事だし、僕も今日は幼稚園がお休みだけど、どうしてお父さんは出かけなきゃならないの?」


 玄関のカーペットの上でじたばたする海斗を、母親が静かに窘める。


「海斗、お父さんはあなたみたいにお休みを取ることはできないの。お母さんと違って、お家でできるお仕事をしているわけでもないのよ」

「だからって……」

「ちょっと待ってくれ」


 父親は母親の前に手を差し出し、母親の言葉を止めた。しゃがみ込んで、海斗と目線を合わせる。


「いいかい、海斗。お父さんは、今この街で起こってることを、できるだけ多くの人に知らせないといけない。崖や山の近くは土や岩が流れてくる危険があるし、電車が止まったり道路が途切れたりして、困る人がいるかもしれない。お父さんは、そういう人たちにお知らせしなくちゃならないんだよ」

「お知らせ、って何を?」

「命を守る方法をだ」


 その時、海斗の脳内で火花が弾けた。


「じゃあお父さんは死んじゃってもいいの⁉」

「海斗、なんてことを!」


 口より先に手が出てしまったのだろう。母親が海斗の頭を引っ叩いた。

 しかし次の瞬間には、母親の手首はぐっと握り締められていた。父親の手によって。


「あなた……」

「体罰はよせ。罪に問われる」


 海斗は涙で瞳を濡らしながらも、母親へ向けられた父親の眼力に弾き飛ばされそうになった。

 こんな怖い顔をした父親を見たのは初めてだ。


 特別上背があるわけでもなく、腕っぷしが強いわけでもない。むしろ、愛用している分厚い眼鏡のせいで、実際よりも身体が華奢に見える。

 そんな父親が、微かに青筋を立てながら腕を振るわせている。


 青筋を立てているのだから、感情的に昂っているのは事実だろう。だが、本当に海斗が恐怖を感じたのは、圧倒的な『心の強さ』だった。

 

 記憶にある限り、確かに父親の評判は高かった。真面目で誠実だと。

 だが、海斗は初めて父親の『心の強さ』というものを目の当たりにしていた。当時は分からなかったが、その『心』こそが『責任感』なのだと、海斗は徐々に知っていくこととなる。


 母親の腕を放しながら、父親は海斗と再び目線を合わせた。


「お母さんを頼むぞ」


 そう言って笑みを浮かべ、そっと海斗の髪を撫でる。それが、海斗が見た父親の最後の姿だった。


         ※


 薄明るいダンジョン内で、そっと溜息をついたのは誰だっただろうか。

 自分自身かもしれないな、と思いつつ、海斗は続けた。


「父さんは、土砂に埋まりかけた乗用車から出ようとしている人を助けようとして二次災害に遭った。生き埋めになってたんだけど、それから十五分くらいは意識があったそうなんだ。僕や母さんのことを考えていたのかもしれないな、って思うと――」

「待って!」


 聞き慣れない悲鳴に、皆がびくりと肩を震わせた。声の主、華凜以外は。

 突然悲鳴を上げたのだから、どうしたのかと誰かに問われてもおかしくない状況だ。だが、海斗も泰一も美希も、華凜を一瞥しこそすれ、声をかけようとはしなかった。


 きっと華凜にも、そんな過去があるのだろう。

 皆がその考えに到達するのに、大した時間も労力もかからなかった。


「……ごめんなさい、皆さん。今日だけであんまりにもいろんな話を聞きすぎて……。わたくし、ちょっと頭がどうかしたみたい。いっぱいいっぱいになっちゃって」

「そうか、ご、ごめん」


 歯切れ悪く詫びる海斗。

 その直後、ぱっと階層全体が明るくなった。


(いや~、すまんな皆の衆! 我輩としたことが、ついつい爆睡してしまったわい。……どうした? そんなにしんみりして)

「何でもございませんわ、SQ」

(ふむ。では先に進もうかの)


 健気にも、率先して立ち上がって得物を確認する華凜。それを見て、残る三人も腰を上げた。

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