第15話【第四章】

【第四章】


「うおっ!」


 泰一の意識は一瞬で覚醒した。がばりと上半身を起こすと、慌てて身を引く海斗と美希の姿がある。そして、泰一はすぐさま目の焦点を美希に合わせた。


「ああ、美希!」


 ぐいっと腕を伸ばし、美希の両肩に掌を載せる。


「なっ、ななな何⁉」

「お前、怪我は? 大丈夫か? さっき瓦礫が降ってきて――」

「あ、あたしは平気。あんたはどうなの、泰一?」

「俺? 俺がどうかしたのか? どこも痛くないぞ」

「SQが治癒魔法をかけてくれたんだ」

「そうなのか、海斗?」

「うん。お陰でSQは睡眠状態に入っちゃったけど」

「そうか……」


 海斗の背後で、SQは穏やかな顔ですぅすぅ寝息を立てている。それを見て、泰一は膝を着いて立ち上がった。


「じゃあ、SQが起きるまで待つか? 時間はあるんだろう?」

「そうでもないみたいですわよ」


 相変わらず間延びした口調で華凜が告げる。いつの間にか、この小部屋と繋がっている階段のあたりで様子を窺っていたらしい。海斗は華凜と目を合わせた。


「どういう意味だい、華凜?」

「さっきから、下の階層の水が引き始めたんですの」

「なら問題ないじゃないか。今ならこの階段を下りて、通路の奥まで行けるんだろう?」

「まあ、いつでもそうならいいんですけれどね」


 海斗は顔を顰めた。やや憂いを帯びた華凜の口ぶり。まさか、再び通路が水没してしまう可能性があるとでも言うのだろうか。泰一がそれを尋ねると、華凜は大きく頷いた。


「よくよく見てみたんですけれど、どうやらこの階層を造ってる素材が、今までの階層と違うみたいなんです」

「どう違うの?」

「ええとですね、美希さん。水が壁と床に染み込んでるみたいなんですわ。ちょっと衝撃が加わると、一気に水が湧き出してくるかも」

「つまり、さっさと次の階層に避難した方がいい、ってことか?」

「そうそう。泰一くんの仰る通り」


 それを聞いて、海斗は癖になった顎に手を当てる姿勢で言った。


「じゃあ、迅速かつ慎重に動かないといけないわけか。次の階層でも、SQの攻撃魔法の援護は望めないね」

「そうと分かれば、さっさと行きませんと。泰一くんも気がつかれましたし、SQも目覚めたら直に追いついてくれるはずですわ」

「そうだね、華凜」


 と言いながら、海斗は違和感を覚えた。華凜がどこか、生き急いでいるような気がしたのだ。

 まあ、誰しもこんなところに長居はしたくないよな。そう考えて、海斗は立ち上がった。


         ※


『しなの』CICで、相模は部下から報告を受けていた。


「艦長、『ベル』から通信です」

「何と言っている?」

「我々の提供した地下構造物の情報が確かならば、もうじき最下層に到達するようです」

「死傷者は出ているか?」

「いえ。全員無事で士気は旺盛だとのことです」

「了解した」


 相模は部下の前にあるコンソールから振り返った。CICの中央にあるアクリル板のような極薄ディスプレイ。そこには現在、ダンジョンを真横から見た図が表示されている。

 その上に赤い光点が輝いていた。これは『ベル』から連絡があった場所を示しており、そばにはその連絡が寄越された時点での時刻が表示されている。


「順調のようだな」

「はッ」


 相模の言葉に、そばにいた下士官が律儀に応じる。


「わしも満足しとるよ、相模三佐。このままだと、あとどのくらいで最下層に到達しそうかね?」


 反対側から尋ねてきたのは、ちゃっかりCICに居ついた遠山だった。さっきまで『邪魔にならないように』などと宣っていたはずだが……。やはり好奇心を抑えきれなかったか。


「この構造物――ダンジョンには、人智の及ばない怪物の出現報告が寄せられています。明確な到達予想時刻の割り出しは困難です」

「ご自慢の内偵『ベル』の力を以てしても、かね?」

「左様です。やはり『あんなもの』が眠っているのですから、いかなる事態への対応を迫られているとみた方がいいでしょう。いつ最下層につくかは、断言しかねます」

「ふむ。そう言われてみると奇妙なもんじゃな。わしも年甲斐もなく、わくわくしておるわい」


 相模には、遠山が『わくわく』という言葉を使ったのが意外だった。そちらに振り向くと、しかし遠山の目は笑っていない。目標達成のためには手段を問わない、そんな冷徹さがあった。


「ところで相模三佐。先ほど君の部屋に侵入者があったそうじゃな」

「はッ。面目次第もございません」

「いかなる事態も起こり得ると言ったのは君だ。何も気に病むことはない。だが、彼女に真相は話したのかね? あの若者たちがどうやって選抜されたのか。そして我々の目的は何なのか」

「情報漏洩の危険があります」


 そう言うと、遠山はかかか、と乾いた笑い声を上げた。


「なあに、気にする必要はない。このダンジョンや『あんなもの』の存在証拠はどうとでも料理できる。いっそ話してみたら、我々の側についてくれるかもしれんぞ?」

「……」


 相模はしばし黙考してから、CICの指揮を士官たちに任せ、すたすたと退室した。向かう先は、独房代わりに使用することにした小会議室だ。


 何故だろうか。あの池波という人物を前にすると、妙に疲れが溜まる。

 彼女が子供たちの生命を案じているのに対し、自分はそんな子供たちに危険を負わせている。


「それを自覚できてしまうからか」


 ふと浮かんできた娘の笑顔を、相模はかぶりを振って脳裏から追い出した。


         ※


「よし、皆、そーっとだぞ」

「言われなくても分かってるわよ」

「泰一、美希、念のため静かに」

「もうちょっとスピードアップしてもいいのではなくて?」


 ダンジョン内の四人は、一斉に深呼吸をして足元を確かめた。


「華凜、焦って水浸しにされたら堪ったもんじゃない。今はこのまま進もう」

「まあ、海斗くんがそう仰るなら」


 今四人は、ウミウシを駆逐した階層から続く下り階段へ向かっていた。

 抜き足差し足で進んでいく。シューズの裏からは、じとっと水気がしみ込んでくる気配がして非常に不快だった。


 しかし、今までも怪物相手に何度も命の遣り取りをしてきたのだ。それに比べれば、足元の不快感など些細な問題だ。それに、ここで呆気なく溺れ死んだとなっては馬鹿らしい。


 先頭を行く海斗は、どうやら自分たちがじめじめの階層から抜け出したらしいことを悟った。階段の床面が、硬質になったように感じられたのだ。


「皆、もう水がしみ出してくる心配はないみたいだよ」


 頷き返す三人を見遣り、海斗は再び長剣を握り直した。階段下に怪物の気配がないか、確かめながら慎重に下りていく。


 その時、ごろごろという鈍い音が頭上から降ってきた。


「うおっ!」

「泰一、何があった? 大丈夫?」


 再び振り返ると、泰一が胸に手を当てていた。


「階段の入り口が閉まったんだ。あぶねえ、首を挟まれるところだったぜ……」


 ウミウシのいた階層が水没する際に、階段の上部の床がせり出して封鎖される仕組みになっているらしい。

 考えてみれば当然だ。上の階層のトラップは、ウミウシと大量の水。その水が次の階層にまで流れてしまったら、侵入者を溺れ死にさせることができなくなる。

 ごわん、という轟音が頭上を文字通り流れていく。きっと封鎖された天井の向こう側では、水流が目まぐるしく荒れ狂っているのだろう。


 さて、新たな問題は――。

 

「真っ暗になったな」

「そう落ち着いた口調でいうなよ、海斗……。SQはまだ復活してねえし、灯りを点ける手段がねえな。どうする? 今度こそ待機――」


 待機するか、と泰一が提案を試みた、まさに次の瞬間。再び地震が発生した。


「またこのパターンか」


 今度はどんな怪物が出てくるのかと、身構える海斗たち。しかし、この暗さでは戦いようがないことも事実だ。

 しかも、今回は地震が止む気配がない。


「美希、大丈夫か?」

「あ、うん……」


 泰一の問いに、小声で答える美希。

 地震に対する恐怖心が払拭できたわけではない。しかし、自分も戦わねば、という使命感、それこそ『責任感』が美希の原動力になっていた。


 しかし、次に現れた怪物は、地震とは無関係な代物だった。


「おい、何か光ったぞ!」

「僕にも見えた。美希、華凜、君たちは?」


 微かに頷く気配がする。水中ではないにもかかわらず、何かがぷかぷかと浮いている。ネオンのような光を発しながら。


 深海クラゲの類か。そう海斗が見当をつける頃には、その数は数十にも及んでいた。

 まずは怪物の強さ、戦法を把握しなければ。そう思った海斗が一歩踏み出すのと、最寄りのクラゲが海斗に飛びかかるのは同時だった。


「うっ⁉」


 なんとか斬り払う海斗。しかし、その剣筋はやや乱れていた。地面が安定しない。

 縦揺れが止んだと思ったら、次は激しい横揺れに見舞われる。とてもクラゲとの戦闘に集中できる状況ではなかった。


 急速に軌道を変え、海斗に襲いかかるクラゲの群れ。


「海斗ッ!」


 なんとか海斗を援護しようと、泰一が金槌を掲げた直後のことだ。

 一筋の光線が、クラゲたちをまとめて一掃した。


 はっとして振り返ると、そこには弓矢を握り締め、背中から次の矢を取り出す美希の姿があった。

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