第14話

 語尾が震えている。思い出すのも恐ろしいほどの、深い悲壮の念が滲んでいる。そして美希の視線は、しばしの間彷徨ってから泰一の顔へと合わせられた。


「自己犠牲をカッコいいと思ってるわけじゃないんだろうけど……。正直、あたしは耐えられないよ。もうこれ以上はね」


 気絶したままの泰一に語りかける美希。


「ごめん、変な話しちゃった。いつの間にこんな話に――」

「その気持ちは僕にも分かる気がする」

「えっ?」


 ふと海斗が零した言葉に、美希は思わず振り向いていた。だが、海斗はかぶりを振った。


「……何でもない、こっちの話だよ」


 そう言って誤魔化そうとする。それは海斗に自分の過去を語る勇気がなかったからだったし、海斗自身がその不甲斐なさを一番よく理解していた。


 自分は過去を顧みて、『後悔』に押し潰されそうになっている。『責任』があったかどうかは分からない。だが、父親が命を落としたあの日、確かに自分は抱いていたのだ。『嫌な予感』を。それなのに、父親にそれを伝えることをしなかった。


 不慮の事態で父親を亡くしたという共通項はある。そうはいっても、美希と自分の状況は大きく違う。自分には、『嫌な予感』を喚起させるだけの情報は確かにあった。

 しかし、幼い自分が取り縋ったところで、父親はその日の『責任』を放棄しただろうか。それほど弱い人間だっただろうか。


「……そんなわけはないな」

「何? 海斗」

「ん? ああ、美希が語ってくれたお陰で、きっと次の階層に行けるようになるんじゃないか、って思ったんだ」

「ああ、確かにそういう説明をなさってましたわね、SQさん」

「今はSQが帰ってきて、泰一に治癒魔法をかけてくれるのを待とう」


 その海斗の言葉に、二人は頷いた。


         ※


 同時刻、イージス艦『しなの』艦長室にて。


(まあまあ落ち着いてくれたまえよ、池波美香教諭)

「何これ? テレパシー?」

(まあそんなところじゃ。そうそう、この部屋とそこの廊下、人払いの結界を仕掛けておいたから、安心してもらって構わんぞ)

「……」


 今、池波は異様な状態に置かれていた。

 まず、自分がいつの間にか何者かに背後を取られていたこと。誰もこの室内にはいないものと判断していたが……。やはり勘が鈍ったのか。

 次に、目の前にいる謎の存在だ。おとぎ話に出てくる人魚姫のような外見の幼女が、目線を合わせるような高さでぷかぷか浮いている。しかも半透明で、物理的接触は不可能だった。


 ちなみに今、池波は小振りのペーパーナイフを翳しているのだが、幼女を斬りつけた際の感覚は皆無だった。


(我輩を死傷させることはできないということは、既に気づいておろう? そのナイフを仕舞ったらどうじゃ? 別に我輩はどちらでも構わんが)

「お生憎様、私は自分が戦闘体勢にいる時が一番落ち着くの。あなたと話をするなら、ナイフはしばらく持たせてもらう」

(難儀な性格をしとるのう。まあよかろう。あの子供らも、皆が皆何かしらの爆弾を心に抱えておるようじゃったから)


 その言葉に、池波は目を見開いた。


「ちょ、ちょっと! 『あの子供ら』ってまさか……海斗くんたちのこと?」

(左様。我輩は彼らの紛れ込んだ構造物、ダンジョンとでも呼ぼうかのう、それを司っている古代からの霊魂みたいなものじゃ)


 池波の自己認識は大きく揺れた。高校教師としての自分と、かつて『組織』にいた時の自分との間で。

 いけない。冷静でいなければ。そう自分に言い聞かせ、池波は目の前の存在とじっくり目を合わせた。


「あ、あなたは……」

(ん? ああ、呼び方は任せるが、海斗らは我輩をSQと呼んでおったぞ)

「エス・キュー?」

(うむ。いろいろあってな)


 まあ難しい名前ではない。池波もまた彼女をSQと呼ぶことにした。まあ、当のSQにはお気に召していないようだったが。


「今はあなたの言うことを信じる、SQ。だから正直に答えてほしい。海斗くんは無事なの? 泰一君は? 美希さんは? 華凜さんは?」

(全員無事だとも。命に別状はない、という意味ではな)

「そう、か」


 気づかぬうちに、池波はSQの言葉を全面的に信用していた。こんな超常現象じみたことが起こっているのだから、いっそ受け入れてしまった方が後々動揺しなくて済むかもしれない。そう思ったのだ。


(ところでお主、気づいているんじゃな? この船『しなの』に暗い影が宿っていることに)

「ええ。だから艦長室にまで来たのよ。まさかあなたみたいな精霊に……うっ!」

(ほれほれ)


 池波は怯んだ。SQが人差し指をパソコンに突きつけ、真っ白な光を放ったからだ。


「な、何を?」

(まあ御覧遊ばせ、と言ったところかのう)


 池波が振り返ると、そこにはパソコンのディスプレイが相変わらず鎮座していた。ただし、パスワードを解除された状態で。


「こ、これ……!」

(早くバックアップを取って、然るべき筋に提出するがよい。さすれば、四人の救出も容易じゃろうて)

「あ、あの!」


 池波は再び振り返ったが、そこにSQの姿はなかった。思念だけが脳内に滑り込んでくる。


(すまんな、少々トラブルのようじゃ。我輩は四人の下に戻らねばならん。健闘を祈るぞ、池波美香)

「ちょっと待って! SQ? SQ!」


 全く、自分勝手な連中が自分の周囲に集まってくるのはどうしたものか。

 そう胸中で悪態をつきつつ、池波は超小型の高速USBメモリを取り出し、一瞬で相模のパソコンのデータを入手した。


「これを警視庁と警察庁に提出すれば、今回の防衛省の不審な動きにメスを入れることができる……」

「その前に、四人の生徒の救出が優先課題だったのではないかね? 池波教諭」


 今度ばかりは、池波は自分が失態を犯したことに気づいた。

 SQが去ってしまった今、人払いの結界とやらは効力を失っているのだ。だからこうして、いつの間にか背後を取られ、後頭部に拳銃を突きつけられていても文句は言えない。


「その声、相模修司三等海佐……。いえ、艦長とお呼びしようかしら?」

「任せる。だが、私から話すべきことは特にない」

「えっ?」

「ご同道願おうか、池波教諭。今回の作戦の真の目的と概要について話しておこう」

「……そう」


 相模は拳銃を仕舞い、顎をしゃくった。屈強な警備係の隊員が二人がかりで、池波の身柄を拘束する。

 あまりに身長差があったので、池波は足が浮いてしまっていた。


「ちょっと、私も立派なレディーだってこと、忘れないでよね?」

「もちろん。あなたが元海上保安庁の敏腕隊員だったということもね」


 その相模の言葉に、池波は目を丸くしてから噴き出した。必死に笑いを堪える。


「なあんだ、調査済みだったんですね」

「別にあらかじめ調べていたわけじゃない。あなたが不穏な行動を取っているから、仕方なくデータを取り寄せた。まあ、この電波障害下で入手できたのはこの程度の情報だが」


 にこりともせず言い切った相模の前で、池波は微かに頬を緩めた。


「流石、艦長さんともなると、人の裏事情を調べるのも得意でいらっしゃるのね」


 相変わらず石のような表情のまま、相模は眼球だけを動かして部下に命じた。池波を連行しろ、と。

 本当に面倒なことになったな……。そういう大きな危惧と一抹のスリルを味わいながら、池波は素直に連行されていった。


 しかし、SQが海底にいるという海斗たちの下へ戻ったのは何故だろう? 誰かが大怪我でもしたのだろうか? 

 どうかその誰かが救われることを祈りつつ、池波はゆっくりと、捕縛された宇宙人のごとく連れ出されていった。


         ※


(いやあ待たせた、諸君!)

「あっ、SQ!」


 真っ先にその姿を認めたのは美希だった。慌てて立ち上がり、駆け寄ってSQの肩に手を載せようとする。無論その手はすり抜けてしまったが、その焦燥感はSQにも伝わってきた。


「泰一が! 泰一がぁ!」

(まあ落ち着け、美希。我輩も状況は把握しておる)


 SQは軽く美希に頷いた。横たわる泰一とそばに控える海斗の下へ、ふわりと移動する。


(確かに脳震盪じゃな。骨は異常ない。ただ出血があるのは痛々しいのう……。次もこやつは戦うと言い出すじゃろうから、取り敢えず治癒魔法でもかけておこう)

「ああ、頼むよSQ」


 SQは両手を組み合わせ、瞼を閉じて眉間に皺を寄せた。

 すると、手先を包み込むように真っ白い光球が現れた。蛍光灯やネオンと違う、温もりのある光を放っている。

 そこから手を引き抜いたSQは、今度は光球を外側からそっと包み込んだ。


「ふっ!」


 軽い呼吸音を伴い、両腕を差し出す。すると光球は真っ直ぐに泰一に向かい、その頭部を覆った。

 

(うむ、こんなところじゃな)


 両の掌を打ち合わせるSQに、美希が詰め寄る。


「ねえ、これで泰一は助かるの? 大丈夫なのよね?」

(そのための治癒魔法じゃ、我輩の力を信用しておらんのか?)

「そ、そういうわけじゃ……」


 すると、SQはそっと美希の頭に手を載せるような所作を取った。


(泰一はすぐによくなる。それに、恋する人間は強くなれるもんじゃて。お主も自信を持って戦いに臨むがよい)

「うん……ってちょっと! だっ、誰が恋してる、ですって⁉」

(違うのか?)


 ふふん、と鼻を鳴らすSQを前で、美希は真っ赤になっていた。

 まあ、美希の想いは海斗や華凜にも想像のつく範囲ではあったが。


(ふわ~あ……。魔法を行使したから疲れたわい。我輩もすぐ追いつくから、お主らは次の階層の怪物の相手でもしておれ)


 言うが早いか、SQは立った姿勢のまま寝息を立て始めた。

 泰一が目を覚ましたのは、皆が溜息をついた直後のことだった。

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