第13話

 海斗と同じ予感は、美希も思い当たるところだった。

 もしこのダンジョンが完全に脱出不可能な場所だったとしたら、どうして武器が用意されていたのか? それもご丁寧に、近距離武器と遠距離武器とバランスよく。


 やはり、弓矢が本領を発揮すべき怪物がこのダンジョンには潜んでいるのだ。長剣には長剣で、金槌には金槌で戦いやすい相手がいるように。


「よし……」


 美希は唇を湿らせながら、背負っていた筒から矢を取り出した。数えたわけではないが、本数には十分余裕がある。だがきっと有限のはずだ。慎重に使わなければ。

 いや、それは後で考えよう。今自分の為すべきことは、ウミウシと戦っている二人、とりわけ泰一を援護することだ。


 その時、美希はとくん、と胸の鼓動が高鳴るのを感じた。そう言えば、さっきから時折こんなことが起きる。このダンジョンでの戦いを経る中で、泰一に心惹かれている――。


 いやいや、そんなことはないと、美希はかぶりを振った。

 これはいわゆる『吊り橋効果』というやつだ。緊張感に伴う鼓動の高まりを、そばにいる異性への好意が生まれたせいだと勘違いしてしまう。そんな誤認にすぎない。


 何故そうやって泰一への想いに素直になれないのか、自分でもよく分からない。単なる気恥ずかしさだろうか? だが、それを吟味している暇がないことは、誰がどう見ても明らかだった。


「美希、早く援護してくれ! このままじゃ俺がドロドロに溶かされちまう!」


 はっと意識を鮮明にさせた美希は、転がるような体勢で泰一のそばに控えた。その間に弓につがえてあった矢を、勢いよく引き放つ。すると、泰一の遥か前方でウミウシが四散した。床面がジュッ、という音と白煙を上げるが、泰一には全く及ばない。


「その調子だ、美希! 射続けてくれ!」

「ええ!」


 泰一が勢いよく金槌を振り回し、ウミウシたちを薙ぎ払う。それに先んじて、美希の放った矢が奥にいるウミウシたちを駆逐していく。

 一気に駆逐する効率が上がり、無言で戦い続けること約五分。

 泰一と美希が向き合っていた水槽もどきからは、ウミウシの姿が消えていた。


「こっちはもう大丈夫だ! 海斗、そっちは?」

「もうじきですわ」


 海斗に代わって答えたのは、華凜だった。

 いつの間にか、華凜の短刀投擲による『ブーメラン戦法』は、その技術力を大きく向上させていた。短刀二本を投げては取り、投げては取りという所作を繰り返して、華凜は美希にも劣らない活躍をしていたのだ。華凜を待機させておく必要はなかったらしい。


 やがて、最後のウミウシが縦に真っ二つにされた。

 戻ってきた短刀の柄を、華凜が見事に掴み込む。すると、ドラゴンフィッシュの時のように水槽もどきが崩壊した。ただし、前回とは大きく異なる点がある。


「あれ?」

「お、おい、この水……」


 莫大な量の水が、引いていかないのだ。びしゃびしゃと、海斗たちに向かって波立っている。

 このままではマズい。そう察した直後、ドウッ、という唸りを上げて前後から凄まじい水流が迫ってきた。

 通路中央の四人に向かって押し寄せる、強烈な水圧。


「これって……! せっかく怪物を倒したのに、あたしたち溺れ死にするの?」


 美希がぽつりと呟く、しかし、すぐさま反論の声が上がった。泰一のものだ。


「させるかよ。海斗! そっちは任せられるか?」

「ああ、問題ない!」


 へたり込んでいた美希は、そばに立つ泰一を見上げた。


「何をするつもり?」

「まあ見てろ」


 金槌を高々と掲げる泰一。背中合わせに、海斗もまた長剣を頭上に掲げている。

 二人が得物を振り下ろしたのは、まさに同時だった。

 怒涛の如く迫ってきていた水流が、左右の壁際に分かれた。否、斬り裂かれたのだ。


「皆、僕に続いて走れ!」


 海斗が叫ぶ。走りながら視線を上下左右に飛ばす。どこかに何か、この状況を脱する手段があるはずだ。

 そんな海斗の目に飛び込んできた光景。それは、天井がゴロゴロと音を立てて展開し、上り階段が形造られていく過程だった。


「泰一、こっちだ! こっちに避難できる!」

「おう! 大丈夫か、美希?」

「え、ええ」

「手を伸ばせ!」


 状況の把握はままならない。それでも美希はゆるゆると泰一に手を差し伸べた。その手を取ろうとした瞬間、逆に手首を握り込まれた。そのまま引っ張り立たされる。


「きゃっ!」

「変な声出すな! 海斗に続け!」


 海斗、華凜、泰一、美希の順に、一気に階段を駆け上る。海斗の思った通り、緊急避難に使えるようだ。

 しかし、ほっとしたのも束の間だった。天井が不吉な振動を始めたのだ。最初に気づいたのは華凜だった。


「皆、頭上注意!」


 見上げた瞬間、美希は背筋が凍る思いがした。天井を形成していた直方体の岩石が降ってきたのだ。


「きゃっ、うあ⁉」

「美希っ!」


 頭頂部に鈍い衝撃が走ると同時に、美希は意識を失った。


         ※


「泰一、おい、大丈夫か?」

「泰一くん、亡くなられてはいけませんわ!」

「んん……」


 甲高い華凜の叫びに、美希はゆっくりと目を見開いた。固い床の上に寝かされている。

 状況を把握しようと、ゆっくり上半身を起こそうとすると、


「あいてっ……」


 後頭部に鈍痛。何があったのか? 

 

「あっ!」


 そうだ。自分はダンジョンの上り階段に足をかけた際、天井の崩落に巻き込まれて――。


「そうだ、泰一!」


 美希は今度こそ、頭痛を無視して起き上がった。

 立ち上がり、壁に手をつきながら人影に近づく。目に入ったのは、背中をこちらに向けた海斗と華凜、それにその向こうで横たえられている泰一。


「ああ、美希さん! いけませんわ、まだ横になっていないと!」

「あたしは平気よ、それより、泰一は⁉」

「命に別状はないよ」


 落ち着いた声を響かせたのは、海斗だった。


「脈拍は安定しているし、瞳孔もまともに反応している。恐らくは脳震盪でも起こしたんだな」

「のう……しんとう……」


 命に別状はない。そう言われても、泰一の意識がないという事実は、美希の心にじわり、と冷たいものを与えた。

 死体と違うのは、呼吸に合わせて泰一の胸が上下していることくらい。海斗と華凜のものと思しきハンカチが後頭部に当てられているが、僅かに血が滲んでいる。


 SQが『出張中』である今現在、治癒魔法(まだ一度も見たことはないが)は使ってもらえない。まともな医療キットもない。これでは、不安が募る一方だ。

 だが、美希の胸中を占めていたのは『泰一が命を落とすかもしれない』という未来の不安以外にもあった。それは、『かつて自分が見た光景だ』ということだ。

 それが、現在になっても自分の心を汚染し、侵食し、脆弱なものにさせていることを、美希はずっと前から自覚していた。


 あたりを見回すと、そこは小部屋だった。十畳ほどの広さがあり、ダンジョン階層と同じ素材で造られている。本来、このダンジョンは下っていくものだから、やはり緊急避難用のスペースなのだろう。松明が点いていたため、明るく暖かい。


 この場でなら、落ち着いて打ち明けられるだろうか。自分の過去を、泰一やSQのように。

 ここまできて――泰一に命を救ってもらっておいてまでして、過去を隠したままでいるのは卑怯に思われた。

 肝心の泰一は絶賛気絶中。だが、残る二人の耳に入れておくだけでも意味はあるだろう。


「あ、あのさ、海斗、華凜」

「何だい?」

「どうかなさったの?」

「……あたしの過去話、聞いてもらえるかな」


 上目遣いにそう尋ねてきた美希。彼女を前に、海斗と華凜は顔を見合わせてから頷いた。


         ※


 十年前、初冬。

 その日、美希と両親は夕食の席についていた。


「おお、今日は鍋か! 身体が温まるな!」

「ええ、最近めっきり寒くなったもの。美希もお鍋、好きよね?」

「うん!」


 満面の笑みで頷く、小学生時代の美希。


「さて、お父さんはお肉からもらっちゃおうかな!」

「あーっ! お父さん早い! ずるいよ!」

「ほら、美希。お前に取ってやったんだ」

「なあんだ! ありがとう、お父さん!」


 と、言い切ったまさにその時だった。


「あら、地震かしら?」


 母親が顔を上げた。部屋中央の蛍光灯の紐が揺れている。確かに床が揺れているな、と美希も感じた。

 その直後、ドン、と地中から大きなバチで叩かれたかのように、フローリングが揺さぶられた。


「二人共、テーブルの下に入るんだ」


 父親は淡々と指示を出す。しかし、それで振動が収まるわけがない。それどころか、ごごごごっ、という音を伴い、揺れは大きくなっていく。


「大きいぞ、頭を守れ!」


 というが早いか、父親は美希の小さな背中を守るように覆いかぶさってきた。

 食器の割れる音、家の骨格が歪む音、地面そのものが咆哮を上げるかのような重低音。


 誰のものとも分からない悲鳴と絶叫が渦巻く中で、美希の記憶は途切れた。


         ※


「寒さで意識を取り戻したの。あたしもお父さんもお母さんも、身動きが取れなかった。でも、なんとか手を握ることはできたのよ。お母さんとあたしはね。お母さんの手がまだ温かかったのが、あたしにとっては救いだった。でも……」


 美希はぐっと息を飲んで、ゆっくりとこう言った。


「お父さんは反応してくれなかった。当然よね、あたしを庇って亡くなってたんだもの」

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