第9話
ドラゴンフィッシュ。
それが跳んでくる魚の名前だった。本来の体長は十センチほどだが、この階層にいる種類は三十センチもある。真っ黒い身体に、狂暴な宇宙生物を連想させる巨大な口を有している。その牙と真っ白な丸い目玉が、不気味さに拍車をかけていた。
そんな怪物が水槽もどきの中で海斗たちに狙いを定め、次々に跳び出してくるのだった。
「はあっ! ふっ! でやっ!」
海斗は次々にドラゴンフィッシュを斬り捨てていく。だんだん長剣が身体に馴染んできたらしく、その動きにはキレがあった。しかし、とても気を抜ける状態ではない。
「ぬん! ほあっ! でいっ!」
そんな海斗を援護する泰一。だがこちらは、金槌の扱いに不自由していた。
高強度の物体を破壊するのに適している一方、小回りは利かない。その弱点が、今露呈している。
「おい海斗! こいつら、キリがねえぞ!」
「ああ、そうみたいだな!」
既に二人の足元には、斬り捨てられ、あるいは頭部を叩き潰されて絶命したドラゴンフィッシュの死骸が散らばっている。
荒い息をつきながら海斗が前方を見遣ると、こちらに頭部を向けて尾鰭を振っている怪物の姿が目に入った。その数、一匹二匹ではない。
「くっ……」
海斗ががくっと肩を落とした、その時だった。
「ん……?」
頭の中が、急にクリアになった。何が起こっているのか。
そう思うと同時に、足元から力が込み上がってくるのを感じる。全身の節々が軽くなり、『技』のイメージが脳裏に描かれていく。
海斗は直感的に、SQが何某かの力を貸してくれたのだと察した。だが、今の自分に使いこなせるのか? いや、考えている暇はない。今はこの謎の力に従って『技』を繰り出してやるしかない。
「伏せろ、泰一!」
「うおっ⁉」
足を引っかけて泰一を突っ転ばせ、その勢いのままに身体を回転させる。何事かと身構えるドラゴンフィッシュ。しかし知能が高くはないのか、すぐに跳び出してくる。
猛スピードで、前後から海斗を食い散らかそうとする狂暴な顎。しかし、それらが海斗に届くよりずっと手前で、狂った魚たちは三枚おろしにされた。
「うおああああああ!」
海斗は自分の足先を軸に、凄まじい勢いで長剣を振り回していた。水平方向に流されていく剣筋は、どんどんその速度を上げていく。魚たちは最早、跳び出した直後にコマ切れ、否、粉微塵にされていった。
「ああああああああ!」
やがて、長剣の発する衝撃波が水槽もどきに接触した。直後、びしゃり、と派手な音が響き渡った。ちょうど本物の水槽が割られたように、膨大な量の水が降り注ぐ。
他の全員が腕を翳す中で、海斗だけはダンッ、と足を床面についた。強制的に回転を止め、仁王立ちになる。
しかし、すぐさま体勢を崩し、ふらりとその場に倒れ込んでしまった。
「お、おい、大丈夫か、海斗!」
「た、泰一……」
「おいSQ、海斗を治してやってくれ!」
(あーあー、無茶しおるわ。過労じゃな)
「そんなあっさり言わないでくれよ……」
と呟きながらも、泰一はほっと胸を撫で下ろしていた。
「うげっ、全身生臭くなっちまったぜ」
ドラゴンフィッシュのバラバラ死体を振り落としながら、立ち上がる泰一。その時、
「泰一、伏せて!」
「んぐっ!」
美希の悲鳴に、泰一は慌てて振り返った。ドラゴンフィッシュの残党が、鰓で無理やり跳躍しながら迫ってきていたのだ。
しかし、泰一は動けない。自分が避ければ、今度は海斗が餌食にされてしまう。
金槌を掲げる泰一。だが遅い。これでは振り下ろす前に、泰一の腕が食いちぎられてしまう。
「畜生ッ……!」
その時だった。シュン、と空を斬る軽快な音がして、最寄りのドラゴンフィッシュが突き飛ばされた。いや、貫かれてそのまま壁に刺さった、というべきか。
ドラゴンフィッシュの脇腹を貫通しているもの。それは、間違いなく弓矢だった。
「あたしだって……あたしだって戦えるんだから!」
シュン、と音がするたびに、ドラゴンフィッシュが一匹、二匹、多ければ三匹、まとめて串刺しにされていく。
いつの間にか華凜も参戦し、短刀でドラゴンフィッシュを手早くさばいている。上手く間合いに入れたのだろう。
「美希、そのまま矢を射続けろ! 華凜、そっちは任せた!」
「言われなくとも!」
「了解ですわ!」
主戦力たる海斗が戦えない今、皆が一致団結し、泰一の指示に従っていた。
それをぼんやり眺めながら、海斗は思う。
ああ、泰一がこの場にいてくれて本当に良かったと。
※
イージス艦『しなの』の艦橋に、相模が上がってきた。肩をそびやかしているが、何も威張り散らしているわけではない。単純に焦っていたのだ。
「本当か? 『ベル』から連絡があったというのは?」
「はッ! 現在、構造物の海底第七階層、魚類らしき小型の敵性生物と交戦中……いえ、終了! やはり彼らは特別です、死者を出さずに階層をどんどん下っていきます!」
「そうか、凄いものだな……」
相模にも信じられなかった。コードネーム『ベル』を含めたあの四人組が、こうまで巧みに戦い抜いて最下層に向かっているとは。
いや、実際に自分が怪物の相手をしたわけではないから、相模にも測りかねる部分はあったのだが。
「ベル、聞こえるか? 相模三佐だ」
《……》
何も聞こえてこない。いや、違う。これはモールス信号だ。ベルが指先を駆使して微かな音を立て、その振動を増幅させて相模の耳に届けているのだ。
「なるほど。それで?」
《……》
「了解。作戦続行」
《……》
相模は手渡されていたヘッドフォンを外し、通信係に返した。
「上手くやってくれよ、四人共……」
そしてどうか生きて帰ってくれ。そう念じて、相模は潜水艇の沈んでいった海域の一点をじっと見つめ続けた。
※
「絶対におかしいわ、この臨海学校の実習……。どうして海斗くんたちの潜水艇だけ帰ってこないわけ? それも、着底した場所は分かってるのに、救助艇さえ出さないなんて……」
『しなの』艦内に用意された、池波美香の自室。といっても、無理やり乗り込んできたために私物は一切ない。ベッドもデスクもなく、椅子が二、三脚あるだけだ。
階段がそばにあるせいで、天井は三角形に切り取られ、狭苦しいことこの上ない。
実際、海斗たちの身を案じて室内を行き来すること数十回、額を天井にぶつけた回数はとても数えきれない。
どうして救助艇を出さないのか。自衛官としての職務怠慢だと理由をつけて、相模に詰め寄ろうと何度も思った。というより、そうすべく廊下に通じるドアに向かっている。
しかし、ドアノブに手をかけて考えた。
「あの四人にしかできない、何かがあるのかしら……?」
だから相模たちは、わざと救助艇を出さずに状況査定を試みているのだろうか。
そういえば、先ほど廊下から興奮気味の相模の声が聞こえてきた。やはり、海斗たちを巡る何某かの策謀があるらしい。
そう思えば、確かに救助艇を使わない理由は半分程度なら理解できる。
だが、残り半分の疑問の余地は、高校教諭としての義務感に塗りつぶされてしまった。
どんな理由があれ、生徒たちを危険な目に遭わせるわけにはいかない!
「うっし!」
池波は片方の拳をもう片方の掌に当て、気合いを入れた。
相模の鼻を明かしてやる。そのためには、今行われている実習、否、作戦が、生徒たち四人に危険を強いる違法なものである、という証拠を掴まねばならない。
「今に見てなさいよ、あたしだって、ただの教師じゃないんだから……!」
そう呟く池波。着用しているショートパンツの背中側には、密かに持ち込んだ武器がある。
「迅速に立ちまわらなくちゃね」
そう言って、池波は一つ深呼吸。まず必要なのは艦内図だ。だったらトイレの場所を聞きまわっていればだんだん把握できてくるだろう。
CICの守りは固いが、相模の自室くらいになら入れるかもしれない。
「よし!」
自らの頬をぱちんと叩いて、池波は行動を開始した。
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