第8話
「皆、怪我はないか?」
振り返った海斗に向かい、泰一はハンマーを掲げて見せた。華凜は親指を立て、SQもまた腕を組んでしきりに頷いている。よい戦い方だったということか。
海斗は思わず顔を綻ばせたが、泰一の陰になるようにうずくまっている人物を見て、すぐに笑顔を引っ込めた。
「どうしたんだ、美希?」
「……」
「美希?」
「あたし……にも……った」
「え?」
「あたし、何の役にも立たなかった」
なんだ、そんなことを気にしていたのか。海斗は驚くよりも呆気に取られた。
「気にすんなよ、美希。どう戦ったらいいのか、指示を出したのは俺だったんだからさ」
泰一が近寄り、そう声をかける。しかし美希は、視線ごと皆を遠ざけるように思いっきり腕を振るった。その姿に、海斗は心配と同時に違和感を覚える。
対して、泰一はどうにか言葉を繋ごうと必死だ。
「お前がバックアップでいてくれたから、俺も海斗も思いっきり戦えたんだぜ? 美希、お前にはお前にしかできないことを――」
「うっさい! 放っておいてよ!」
がばりと顔を上げる美希。その顔は上気して赤く染まり、それ以上に目が真っ赤だった。まるで、さんざん泣き腫らしたかのように。
美希を宥める泰一に背を向けながら、海斗はSQに問いかけた。
「なあ、SQ」
(なんじゃ?)
「あの美希の様子……。彼女の過去に関係あると思うかい?」
(あれだけではなんとも言えんのう。ただ、あんなに感情を昂らせたのは、怪物の出てくる直前……地震が起こった時のことじゃ。それと無関係ではあるまいて)
「そう、か」
海斗は、どうにか言葉を繋ごうとして硬直している泰一の肩を叩き、かぶりを振った。
美希には、自分の過去を話すのにもうしばらく時間がかかる。待ってやれ。
そんな海斗の意図を汲んだらしく、泰一はおとなしく身を引いた。
「ここは休憩するには不向きだ。場所を移そう」
海斗はそう言って、この通路の最奥部、下層へと続く階段のある方を見遣った。特に危険はないようだ。
何度も振り返り、美希が立ち上がってついて来るのを確認しながら、海斗は歩みを進めた。
※
砂嵐を連想させるような映像と音声が、狭い室内に響き渡っている。
海上で待機中の『しなの』のCICでのことだ。
「これで解像度は最大か?」
「はッ、音響も最高感度です」
溜息をつきながらコーヒーカップに手を伸ばす相模。彼の左手は、寸分の狂いなくカップの把手を掴み込んだ。
思いの外冷え込んでしまった濃い目のコーヒー。それで喉を潤した相模は、中央の座席に座り込んで肘掛を使い、拳を顎に当てた。
あの高校生四人組の搭乗した潜水艇。それが謎の構造物に辿り着いた。そこまでの位置関係と音声は完璧に記録されている。
だが、彼らが――手段は不明だが、恐らくは何らかの力に導かれて――構造物に入った途端、映像も音声も、位置探知システムも不明瞭になってしまった。
「一体どうなってるんだ……」
取り敢えず、こちらの情報受信環境は最高レベルだ。これで向こうの様子が分からないのだとすれば、やはり彼ら自身で工夫してもらうしかない。
正直なところ、相模にも後ろめたさはあった。確かに、あの四人が構造物に立ち入る条件は整っていたのかもしれない。しかし何の危険性も知らせずに、というより自分たち大人でさえどんな危険があるかも分からないのに、彼らを送り込んだ。
自分と自分の娘の十五年後を思い浮かべてみる。親の気持ちになったら、とても容認できまい。
「おっと、溜息をつくと幸せが逃げるというぞ、相模三佐」
その声に弾かれたように、相模は立ち上がった。
「こ、これは、遠山監督……」
「ところで、何を悩んでおられるのかな?」
「それは」
と言いかけて、相模は言葉を飲み込んだ。
高校生たちをあんな得体のしれない構造物に送り込んだことに、良心の呵責を感じている。そんなことを言ったところで、笑い飛ばされるに違いない。
そんな屈辱には耐えられまいと、相模は思ったのだ。
「何でもありません」
「そうは見えなかったぞ」
電動車椅子を駆使して、くるりと相模の前に回り込む遠山。そこには無邪気であるような、それにしては妖しい光を帯びた瞳がある。
「まあ、根掘り葉掘りは訊くまい。だが、苦悩したり後悔したりするのは、実戦の後でいくらでも時間がある。それを忘れんことだ」
「は、はッ……」
遠山はCIC全体をざっと見渡した。
「うむ、士気は良好じゃな。早速だが、わしは艦橋に戻らせてもらうよ。これでは邪魔になるじゃろうて」
相模の返答も待たずに、遠山はするすると器用に車椅子を走らせ、スライドドアの向こうへ消えた。
※
ダンジョン内の四人は、味気ない携帯食料で簡単な食事を摂っていた。ダイダラボッチの死骸が異臭を放っていたが、通路の反対側まで行くとそれもだいぶ和らいだ。
「にしても、味がしねえな、このクッキー」
口をもごもごさせながら、泰一が呟く。海斗はそれを口に運ぶ手を止めて、かじりつく前にじっと携帯食料を見つめた。スマホは圏外だったが時計機能は生きており、昼食を摂ろうということになったのだ。
栄養価は高いそうなのだが、泰一の言うように味気ないとすれば、心までは満たされまい。
海斗は元来、食事の内容に頓着しない性質だ。だが、生きるか死ぬかという現場で食すならば、美味いものを食べたかった。
一応、野外用のキャンピングセットがあるにはるが、まさかこれでダイダラボッチを焼いて食おうという気にはなれない。
「あのー、美希さん? 今のうちに食べておかないと、体力が持ちませんわよ?」
「おい、やめとけ華凜」
美希の肩を揺する華凜に、鋭い声を飛ばす泰一。華凜は口をすぼめ、つまらなそうな顔をしてクッキーを咀嚼した。
現在までのところ、泰一と華凜が美希の過去を聞き出そうとして失敗している。
では、自分ならば? ……絶対に無理だろうな、と海斗は諦念を抱いていた。
美希の方を見遣りながら手を伸ばすと、しかしそこには空になったアルミ製のパックがあるだけだった。どうやら、自分の非常食は食べきってしまったらしい。
「皆、食べ終わったか?」
「ああ、とっくに」
さして腹が膨れた様子でもなく、泰一が答える。
「美希、少しは食べておいた方がいいよ」
「構わないでよ、海斗。皆揃ってウザいんだよ」
美希の整った、美麗と言ってもいい口元から暴言が吐かれるのを聞いて、流石に海斗も説得を諦めた。それほど拒絶反応を起こす何かが、美希の過去には秘められているのか。
「華凜は? もう動けるかい?」
「いつでも大丈夫ですわ!」
華凜は二本の短剣を、ひゅんひゅんと弄んで見せた。昔の香港映画の主人公がヌンチャクを振り回す様を、海斗は思い出す。
「よし、行こう。怪物の配置はランダムらしいけど、だんだん強くなってきているような気がする。皆、油断しないように」
まともに頷いてくれたのは泰一だけ。まあ、仕方ない。
海斗はそう割り切って、下り階段へと足をかけた。
※
階段を下りきり、SQが松明に火を灯す。そこには、不思議な空間が広がっていた。
「何だ、これ……」
海斗は我知らず呟いていた。
そこにあったのは、通路を完全に塞ぐように設置された水槽だった。いや、違う。壁がない。微かな水飛沫が、向こうから跳ねてくる。
(ふむ。どうやらこの階層には、水流を操作する魔法がかけられているらしいのう)
「だから壁がなくても、ある程度水の壁は形を保っていられる、と?」
(そういうことじゃ、海斗)
固体なんだか液体なんだか分からない、不可思議な水中空間。だが、そんな呑気に構えてはいられなかった。
唐突に、ざばっ、と勢いよく魚が飛び出してきたのだ。それも、大きな顎に強靭な牙を持ち合わせている。
「ぐあっ!」
「泰一! 大丈夫か!」
泰一の肩はシャツが破られ、血が滲んでいた。致命傷ではないようだが、危ないところだった。
はっとして海斗が振り返ると、なんとそこにも同じような『水槽もどき』があった。あの魚は反対側の水槽もどきに飛び込む勢いで、泰一に噛みつこうとしたのだ。
何故、一本の通路でいつのまにか四人が挟まれているのか。
理由は簡単で、彼らが下りてきた階段の順路と反対側に、二つ目の水槽もどきがあったからだ。目の前にある水槽もどきと対になって、魚を跳躍させながら四人を食う。そういう作戦らしい。
「上等だぜ、深海魚の野郎……」
負傷をものともせずに、泰一が金槌を振りかぶる。
「じゃあ、僕はこっちを」
海斗は泰一と背中合わせになって、反対側の水槽もどきに向き合った。
「敵は小さいけど数が多い。でも、全滅させないと安全にはここを突破できない。美希、華凜、援護を頼む!」
「かしこまりましたわ!」
「……」
呑気な華凜の返答に対し、美希は無言のまま。
ええい、チームワークがなんだ。この不気味な深海魚共を駆逐すればいいだけだ。
海斗はじっと前方を睨みつけ、跳んでくる魚をさばき始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます