第7話
「……左様ですか」
胸中で渦巻く不穏な空気を浄化しきれず、中途半端な返答に留める相模。
遠山睦――この男は、本当に責任というものを考えているのだろうか? いや、年を経るにつれて、そんなものは些事になってしまったのだろうか?
相模は長く、鼻から息を吐いた。あなたの言葉には承服しかねる。遠山に対する牽制のつもりだった。
だが、遠山はその笑顔の皺を深めるだけで痛くも痒くもない様子。飽くまで今回の作戦の監督役は遠山なのだ。
作戦に最も責任を負うべき人物が、こんな人間とは。
大いなる疑念ともどかしさに苛まれつつ、相模は水上監視を厳と為すよう指示を出した。
※
ダンジョン内を進む一行は、先ほどと同様に海斗が先頭を務めていた。
海斗手足の痺れは完全に引いており、その足並みは軽快だ。
やや余裕ができたところで、彼はSQに問いかけた。
「SQ、次に出てくる怪物がどんな奴か、やっぱり見当はつかないのか?」
(すまんのう、海斗。さっきも言った通り、我輩はずっと眠っていたのでな。ダンジョンの構造は説明できるが、それぞれの階層に何が巣くっているかは定かでないのじゃ)
「はぁ、マジかよ……」
不満の声を上げる泰一。
「得体の知れねえ怪物の相手はこりごりだぜ」
そう言って、だらんと両腕をぶら下げる。その姿が滑稽だったのか、美希と華凜がくすりと口元を覆った。
あの泰一の独白の続きは、泰一たち大原家の人々が解決していくしかない。それでも、あの話が海斗たち四人にもたらした影響は絶大だった。
泰一が自分の過去を話してくれた。そのお陰で一体感が高まった。海斗はそう思っている。
そして、そのきっかけを作ってくれたのがSQなのだろう、とも。
そこまで考えが至り、海斗はSQに顔を向けた。
「あのさ、SQ」
(なんじゃ、海斗?)
「君がどんな存在なのか、僕たちはよく分かっていないんだけど……。そういう話も聞かせてもらえないか? 確かにダンジョンに紛れ込んだのは僕たちだけど、君は一緒にこのダンジョンを攻略しようとしてくれている。だから、僕たちは四人一組じゃなくて、五人一組なんだ。もし君さえよかったら、君の過去話も――って、うわっ⁉」
海斗は思いっきり飛び退いた。SQが壮絶な泣き顔になって、号泣しだしたからだ。
(ぶ、ぶわ、ぶわああああああ……)
「ど、どうしたんだよ?」
(う、ううううう……)
「あらあら海斗くん、SQさんに何か酷いことを?」
「違うよ、華凜!」
「貧乳だとか、童顔だとか?」
「は、はあっ⁉」
海斗は脳内がぐわんぐわんと揺さぶられるような錯覚に囚われた。
「なっ、ななっ、何言ってんのさ⁉」
「本当に? 海斗、サイテー」
「美希まで……! 僕はそんなこと言ってない!」
「逆に好みだったりなさるのかしら? そういうのは」
「華凜、いい加減黙っててくれ!」
「海斗。男には、黙って耐えねばならん時もあるものだ」
「……」
そう言う泰一に肩を叩かれ、海斗は完全に戦意を喪失した。
「もう好きに言ってくれ……」
こうして、SQに関する話はお預けとなった。
実際のところ、SQが泣き出したのは嬉しさからだった。自分もこの、人間の若者たちの交流に入ることができると思ったからだ。
しかし、彼女には語るべき過去の記憶がない。まだ思い出すことができずにいるのだ。
そう弁明する頃には、危うく海斗はロリコン疑惑を着せられるところだった。
※
次の階層に下り立った一行は、再びSQがぱちん、と指を鳴らすのを耳にした。
同時に壁際の松明が、一斉に燃え上がる。視界は良好だ。
「何らかの怪物が出てくるのは確かなんだよな。皆、ゆっくり進もう」
その海斗の言葉に頷くチームメンバー。今のところ、怪物やその形跡らしきものは見当たらないが――。
よく状況を精査しようと、海斗が目を細めたその時だった。
「くっ! また地震か!」
「きゃあああっ!」
すると、美希が今度は海斗に抱き着いてきた。というより、半ばヘッドロックをかけている。それでも、自分の背に当たる柔らかな感触に、海斗は勢いよく赤面した。
「は、離れてくれ、美希! さっきと同じ、ただの地震だ!」
「嫌よ! あたしは地震が怖いのよ! 誰かに縋ってないと――独りっきりで放っておかれたりすると、気が狂いそうになる!」
「ぐえっ、息が……」
酸欠に陥りかけながらも、海斗の脳みそは回転を続けていた。
待てよ。これが美希の過去に繋がることなのだろうか?
だが、今はのんびり語り合いをしている場合ではない。次に出てくる怪物に対して、観察、牽制、攻撃を行わねばならない。
「下から来るぞ!」
泰一が叫んだ直後、ごばっ、と言って、通路の中央付近の石畳が一斉に吹き飛んだ。
「ふっ!」
美希の拘束から脱した海斗は、長剣で飛散してきた岩石を斬り払う。
そうして床面から出てきたのは――。
「どうして海にダンゴムシがいるんだ?」
(ダンゴムシではない! ダイダラボッチという、立派な海底生物じゃ! 最も、こんな巨大な個体は見たことがないが……)
ダンゴムシ、もといダイダラボッチは、身体に複数の節と、何対もの節足を有する白みがかった甲虫だった。触覚のある頭部をこちらに向けて、ゆっくりと向き直る。
「僕が先発する。泰一、敵が隙を見せたら金槌で思いっきりぶん殴ってくれ」
「おうよ!」
そうは言いつつ、海斗は持ち前の慎重さを捨てはしない。じりじりと摺り足で近づき、ダイダラボッチの様子を窺う。
全長四メートル、体高二メートルといったところか。
触覚に注意しながら、なおも摺り寄る海斗。この触覚を斬り落とせば、戦いが楽になるかもしれない。
そう思って長剣を振りかざした、次の瞬間だった。
ギイッ、という短い声を上げ、ダイダラボッチが突進、否、転がってきた。
「ふっ! 皆、避けろ!」
サイドステップして壁に張りつきながら、海斗が叫ぶ。
後方にいた美希と華凜も、辛うじて敵の回転を回避する。あれだけの巨躯から体当たりを食らっては、人間などただでは済むまい。
やがてダイダラボッチは階段下、すなわち通路反対側の壁面に激突。ずずん、という振動と共に、濛々とした砂埃をもたらした。
海斗の頭上にも、微かに砂塵が降り注ぐ。
「ぐっ!」
「どうした、海斗?」
「泰一、あの背中の装甲、油断ならないみたいだ」
「どういう意味だ?」
海斗は長剣を、ずいっと泰一の眼前に掲げた。幸い刃こぼれは生じていないが、怪物の体液が付着しているわけでもない。ただ斬りかかっただけでは、殺傷できないのだ。
「ってことは、また俺の金槌の出番か?」
「そうだな。なんとかあいつを横転させて、柔らかい腹部を斬りつけるなり、装甲の隙間に矢を刺し込むなりしないと、こっちは防戦一方だ」
すると泰一は、『分かった』と言い残し、こちらに向き直ろうとしているダイダラボッチに接近した。
「おんどりゃあああああああ!」
狙い通り……かどうかは分からないが、怪物は勢いよく壁面に叩きつけられた。
「華凜! 俺が後退したら、短剣を投げろ! ブーメランの要領だ!」
「は、はい? そんなに簡単に言わないでくださる?」
「今は、こいつの触覚を切断できればいい! 俺がもう一撃決める。でたらめでいいからやってくれ!」
「もう、仕方ありませんわね!」
そう言い返しながらも、華凜の挙動は俊敏だった。さっと両腰に装備した革袋から、短剣を取り出す。
「よし、今だ!」
思いっきりバックステップする泰一。彼が数秒前までいたところを通って、二本の短剣がしゅるしゅると飛翔した。そして――命中。
ダイダラボッチの二本の触覚は、見事に切断された。
悲鳴を上げる怪物を前に、ブーメランのように戻ってきた短剣の柄を掴み込む華凜。
海斗は、実は華凜がこの中で最強なんじゃないかとも思わされた。
それはともかく。
無傷である多くの節足を活かして、ダイダラボッチは姿勢を立て直した。僅かながら視力があるのか、ぼんやりとではあるが頭部を海斗と泰一の方へ向ける。
再び転がり出したダイダラボッチを、泰一の金槌が勢いよく打ちつけた。
今回はクリーンヒットだったらしく、ダイダラボッチは堪らずにひっくり返った。
「そこだッ!」
海斗は思いっきり跳躍。その手には、長剣が下向きに握られている。
そして数秒後、長剣は柄までもが、深々とダイダラボッチの腹部に刺し込まれていた。
グルルルルッ、と苦しげな声を上げ、体液をぶちまけながら暴れ狂う。そんなダイダラボッチを前に、海斗は華凜と目を合わせ、顎をしゃくって見せた。
「あら、わたくし服が汚れるのはちょっと」
「そんなこと言ってる場合か! 早く!」
渋った割には、華凜の動きは相変わらず俊敏。短剣を二本いっぺんに握り込み、ダイダラボッチの首元に思いっきり突き刺した。
無数の節足がざわざわと動くのを止め、胴体が痙攣したように震えだす。
どうやら、ダイダラボッチを倒すことに成功したらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます