第5話【第二章】

【第二章】


 イカを倒した通路の突き当りを曲がり、そこにあった階段を下りていく。どうやら第一階層と第二階層の間の往来はサービスということらしい。

 しかし、


「……真っ暗だな」


 立ち止まり、ぽつりと呟く海斗。後に続く三人も、足元すら見えない下り階段を前に進行を躊躇っている。


(まあまあ、ここは我輩に任せんしゃい!)


 SQがぱちん、と指を鳴らすと、その階層の松明が勢いよく火を灯した。


「おおっ! SQ、今のどうやったんだ?」

(泰一、お主はさっきの話を聞いておらなかったのか? 我輩はこのダンジョンの管理者じゃ。このくらいできて当然――)

「静かに!」


 海斗がSQの前に腕を翳す。いや、SQの言葉はテレパシーだから、物理的には十分静かなのだが。


「SQ、ここにいる怪物は何だ?」

(……)

「SQ?」

(すまんのう、我輩、こうして外部の人間を待ち続けて随分長い間眠っておったのでな。よく覚えておらなんだ。我輩にも見当がつかん)


 すると、水滴に混じって砂塵がぱらぱらと降ってきた。足元からも不吉な振動が感じられる。


「何だ? 地震か?」


 そんな泰一の呟きと同時に、悲鳴が上がった。


「おわっ! ど、どうしたんだよ、美希?」

「地面が揺れてる! あたしたち、皆死ぬんだわ!」

「な、何をそんなに……って、放してくれ! 息ができねえ!」


 海斗が振り返ると、美希が泰一の屈強な首に両腕でしがみついていた。

 地震が好きな人間などいるはずはあるまい。だが、美希の怯え方は異常だった。過去に何かあったのだろうか?


 海斗は正面に向き直り、両足を踏ん張って長剣を構え続ける。

 視界は確保されているが、壁や床、天井を破って何かが出てこようとしているのかもしれない。この地震はその前触れではないか。


 それから十秒ほどが経過しただろうか、地震は起きた時と同様に、唐突に収まった。


「皆、無事か?」

「あ、ああ、大丈夫だ」


 泰一が答える。


「ご、ごめんなさい、泰一……」

「いや、気にすんなよ」

(あー、泰一? 美希? いい雰囲気のところすまないが)


 SQが控えめに言葉を送ると、泰一も美希も真っ赤になった。しかし、その『いい雰囲気』は一瞬で崩れ去った。唐突に天井に亀裂が入ったのだ。


「皆、階段まで下がるんだ!」


 長剣を構えたまま、海斗が叫ぶ。すると、天井に蜘蛛の巣のようなひびが入り、崩落が始まる。


「くっ!」


 皆が腕で頭部を守るようにして、砂塵の向こうに目を凝らす。何かが天井を突き破って落下してきた様子だが、動きは見られない。

 今度は何が襲ってくるのか。海斗は恐怖心と警戒心が半々といたところで、改めて長剣を正眼に構えた。


 砂塵が収まってくると、丸みを帯びたシルエットがぼんやりと見え始めた。こいつは――。

 そこに鎮座していたのは、二枚貝だった。しかし、『貝』と聞いて想像できるものよりも遥かに大きい。馬鹿でかいラグビーボールが通路を塞いでいると思えばいいだろうか。


 貝と言えば大人しいイメージがある。だが、ここはダンジョンだ。そして相手は貝である以前に怪物だ。


「どうしたんだ、海斗?」

「様子を見てる。相手は相当硬いはずだから、まずは相手の手の内を晒してもらった方がいい」


 泰一の問いかけに、振り返りもせず答える海斗。


「皆、フットワークを軽くしておくんだ」


 その言葉に込められた緊張を感じ取ったのだろう。海斗を除く三人もまた、得物を掲げた。

 泰一の金槌、美希の弓矢、華凜の短剣。


 ここで再び疑問を口にしたのは美希だ。


「あれ? あたし、弓道をやってた経験なんてないのに……」

(どうして扱えるのか、と? まあ、このダンジョンの特性じゃな。身体能力の向上と、愛用武器に合わせた使い方の本能的理解。このくらいサービスしてやってもいいじゃろう)


 SQが淡々と言葉を送ってくる。確かにそうでなかったら、イカを相手にした時点で自分たちは皆食われていたかもしれない。海斗にだって、剣技の経験はない。今は身体の動くがままに任せるしかないだろう。

 

 じりじりと、胃袋の底が焼けるような貝との対峙。恐らく三十秒間は、誰も動かず、言葉を発することもなかった。


 そして、先に動いたのは貝の方だった。

 ぱかり、と殻を開いたのだ。内臓を晒すような危険な行為。


「今だ!」


 海斗が足裏から力を込めて、一気に距離を詰める。しかし、海斗が刺突を繰り出すよりも早く、何かが貝の中身から発せられた。


「うっ!」


 慌ててバックステップで距離を取る海斗。しかし貝が発したもの、すなわち紫色の霧状のものに、もろに突っ込んでしまった。


「大丈夫か、海斗!」

「海斗くん!」

「SQさん、診てあげて!」


 階段下まで引っ張られてきた海斗のそばに、SQがふわりと舞い降りる。彼らを守るように、今度は泰一が前衛に出た。

 貝の方は、次の行動を起こす気配はない。あの紫色の霧はリーチが短いのだ。


「SQ、海斗の様子は?」


 振り返らずに泰一が尋ねると、ちょっと待てとの応答があった。

 SQは指先を発光させ、空いた手で海斗の瞼を開き、ゆっくりと瞳を覗き込む。それから、海斗の口元に軽く耳を寄せた。


(ふむ。命に別状はない。瞳孔の反応もあるし、呼吸もしている。だが、一時的に手足に痺れが残る様子じゃ。この貝は、彼なしで駆逐せねばなるまい)


 ほっと胸を撫で下ろす女性陣二人に対し、泰一は言い放った。


「あの野郎、よくもやりやがったな……。絶対ぶっ殺してやる!」

「ちょ、ちょっと泰一! いきなり何言いだすのよ!」

「お前らも武器を用意しろ。相手の攻撃方法は分かったから、俺が接近して、この金槌であの殻を砕く。それに前後して、美希は弓矢で貝の中身を狙え。華凜は俺と美希のバックアップに就いてくれ」

「はい? バックアップって、何をすればよろしくて?」

「何でもいい! とにかく、自分の安全を確保しながら近づいて、やたらめったらその剣を振り回してればそれでいい!」


『お前ら、援護しろよ!』と告げて、泰一は勢いよく貝に向かって駆けて出した。


「ああもう! どうして正面突破することしか考えないのよ! 華凜、あたしはここから弓で貝の中身を狙う。あなたは泰一と逆の動きをして、貝の注意を引きつけて!」

「了解ですわ」


 あまりに気楽な返答に、美希は頭を抱えそうになった。が、その心配はすぐに霧散した。

 華凜の挙動は、実に素早かった。いや、海斗や泰一も素早かったが、それよりも段違いに高速だった。


 サイドステップを繰り返し、貝が発する霧を回避している泰一。その背後から迫った華凜は、泰一を追い抜いて一気に貝に迫った。


「あっ、馬鹿!」


 と泰一に言われた頃には、華凜は既に貝に密着していた。そして短剣のうち一本を縦にし、貝の殻と殻の間にくわえさせたのだ。


「美希さん、弓矢を」


 それだけ告げて、一気にバックステップ。泰一もそれに倣う。

 するとその直後、狙い澄まされた一本の矢が、貝の内臓に突き立った。


 ギィィィィィィィッ、と海洋生物に非ざる悲鳴を上げる貝。

 それを見て、泰一は好機が巡ってきたことを確信した。


「うおらああああああああ!」


 思いっきり前方に跳躍し、金槌を振り上げる。そして、重力と筋力に任せて容赦なく振り下ろす。

 結果、貝の上部の殻は一撃で砕け散った。それでも泰一の猛攻は止まらない。


「このっ! 野郎っ! 貝のくせにっ! 毒を吐くなんてっ! 下等生物がっ! おこがましいんだよっ!」


 気づいた時には、最早貝は原型を留めていなかった。内臓はぐちゃぐちゃで、下の殻にもまた太いひびが入っている。床は陥没していた。

 

(気は済んだか、泰一?)

「ああ……。まあな……」


 肩で息をしていた泰一は、はっとして振り返った。


「皆、無事か! 海斗はどうなった?」

「起きてるよ」


 そう答えたのは、床に寝かせられた海斗自身。


「お前、どこも何ともないか?」

「ああ、まだ手足が痺れてるけど……。SQが、あと二十分もしたら大丈夫だって」

「そうかぁ……」


 泰一はその場であぐらをかいた。


「美希と華凜は? いや、華凜は大丈夫そうだが……」

「ん? んん?」


 泰一の言葉の意味を解せず、周囲を見回す華凜。あれだけの高速戦闘を見せつけられては、心配しろという方が無理な話だ。


「華凜もあたしも大丈夫。弓を握ったら勝手に身体が動いて、ちょっと怖かったけどね」


 無言で頷きながら、泰一はSQの方へ振り向いた。

 

「なあ、SQ。お前がいるからって、俺たち無敵になったわけじゃねえんだろ?」

(そうさのう)

「だったら、うん、そうだな……。何つーか、ちっとばかし話しておきたいことがあるんだ。海斗が復帰するまでには終わる。皆、聞いてもらっていいか? どうせここで誰かが話さねえと、次の階層には行けねえんだろうしな」


 そう言ってSQに視線を遣ると、彼女は大きく泰一に頷いてみせた。


『ちっと重い話かもしれねえが』。そう前置きして、泰一は自分の過去と現在について語り出した。


         ※


 それは七年前、泰一が十歳の時に唐突に訪れた。

 いつも通りの夕食の席。ばりん、と勢いよく何かが割れる音がして、泰一ははっと顔を上げた。

 何が起こっているんだ? 泰一はまず、立ち上がって肩を怒らせる父親を見、それから反対側でうずくまる母親を捉えた。

 状況からして、父親が皿を投げつけたらしい。


「どこまで愚図なんだ、お前って女は!」


 泰一には最初、父親が誰のことを言っているのか分からなかった。

 いや、分かりたくなかったのかもしれない。それでも、その投げた先にいるのが母親であるのは明らかだった。

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