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お待たせしました。
岩井さんのご要望により、本作の第1章を読んだ率直な感想をお送りします。
最初に申し上げておかねばなりませんが、ここ数週間ほど、僕はなろう系作品を酷評するレビュワーの動画を聞きながら過ごしているので、その口調が伝染して前回よりさらに辛口が激しくなっているかもしれません。どれだけひどい言い方に聞こえても、僕自身には本作を貶す意図はありませんので、あらかじめご了承ください。
第1章の文字数はだいたい1万5000字ですね。4話から構成されていることを考えれば妥当な文字数でしょう。作品を批評するのに最初の1万5000字しか読んでいないのは少ないという話にはなりますが、一旦ここで感想を書かせていただきます。
話としては、海斗くんたちがとりあえずダンジョン攻略に向けて動き始めるところで一区切り、ですね。この物語を現代ファンタジーと捉えるならこれも妥当なところでしょう。ただ、本作のジャンルが分類の通りSFということになると、途中で話がSFに戻るのか、という点に疑問が残ります。まあ、「全方位透明」な潜水艇が出てくる時点で、「現代」ではないので、「現代ファンタジー」というジャンルに入れられなくて「SF」ということにしたのかな、という気もしなくはないです。とはいえ、カクヨムに限らずこういうジャンル分けは要するに「○○というジャンルを読みたがっている読者に届けたい」という話なので、このままゲーム的・ファンタジー的な話が続くなら「現代ファンタジー」にしてしまっても良いと思います。
まずは本作の良いところから挙げていきましょうか。
第1話冒頭、作品の入り方が後々の主人公たちの運命を暗示しているのは良いと思います。深海の闇と水圧に負けじと輝きを放つ潜水艇の光が、ダンジョンという困難に立ち向かう海斗くんたちの未来を暗示しているように読めます。ただ、難癖のようになりますが、「全方位透明」の潜水艇に4人の乗組員がいるのに光が2つだけというのは、設定としては不自然な気がしなくもないです。
それから、『She Loves You...Absolutely』へのコメントでは文体が堅いという話をしましたが、今回は作品の雰囲気に合った文体だと思います。それぞれのエピソードも特に冗長だという感じはしませんし、全体的に見れば、それぞれの話で何を描きたいか分かりやすいと思います。
第1章というひとつの区切りで、作品全体の着地点が見えているのも大きな特長と言って良いと思います。ファンタジー系のWeb小説だと、主人公たちが最終的にどんな事柄の達成を目指しているのか分からない場合も多いわけですが、本作の場合はダンジョンの最奥部に到達して海上に戻ることが目的ということが示されていますから、そこは良い点だと思います。
作品全体のテーマから言っても、主人公のキャラクター性が「ごく普通の高校生」などと片づけられることなく、明らかに何かの問題を抱えていると示されているのは良いと思います。イカに対して、他の3人が勇敢に立ち向かう一方で主人公がビビりまくっている、つまり本作では主人公が他の3人に比べて優れた人物という位置づけにはなっていないわけですから、4人+1人(SQ)でダンジョンを踏破するとなれば絶対に何か起きますよね。ダンジョンを踏破していく中で主人公や他の3人がどう変化するのかということが本作の肝になるのかな、と思います。
さて、それではツッコミどころ(だと感じた部分)の話をしていきましょうか。
僕自身、岩井さんの作品を読ませてもらい、その感想を考えながら新たな気付きを貰っているという状況ですし、僕自身の小説もそうなっていないのであまり偉そうに言えないのですが、率直に、辛口になるのも気にせずに申し上げますと、第1章として区切るからには読者が作品に興味を持つための要素をもう少し入れてほしい、と思いました(個人の感想です)。
まあ、既にファンがついている作品のようですから、僕が第1章しか読まずにとやかく言っても仕方ないのですが。
読者が作品に興味を持つための要素とは、たとえば、作品の世界観、魔法や社会制度の設定、登場人物の性格、主人公との距離感や関係、作品としてのテーマなどです。こういった点から見たとき、本作の第1章に、明らかに人を引きつけるもの、明らかに人の好奇心を刺激するもの、明らかに人の心を掴んで離さないものがあるかと言われると、ちょっと疑問です。
もちろん、海斗くんのキャラクターとしての複雑さが、本作のオリジナリティなのだろうとは思います。ですが、その点をもって読者が海斗くんに感情移入したり、海斗くんを魅力的な人物だと思ったり、海斗くんを応援したくなったりするかと言われると、微妙な気がします。というか、少なくとも、本作の第1章しか読んでいない状況ではあまりにも突拍子がないと感じる点がいくつかあるので、そのせいで海斗くんの魅力が伝わってこない、と言った方が良いかもしれません。
海斗くんの言動で僕が最も気になったのは、他の3人に対して自分が先陣を切ると宣言する場面……ではなく、巨大なイカに遭遇して命の危機を感じたのに、気絶しているはずの他の3人を起こそうとしない場面です。最近だと、アニメ化される作品の主人公であっても自分の得になることがないと他人を助けない節がありますが、基本的に、まともな倫理観を持っている人間であれば、命の危機に直面している人を見かけて、自分が彼ら彼女らを助けられるかもしれない立場なら、あれこれ考える前にとりあえず助けようと動くものです。
岩井さんの感覚を疑うわけではありませんが、一応例を挙げておきますと、たとえば、ジブリ映画の『となりのトトロ』では、メイちゃんが行方不明になって池で溺死したかもしれないという話になったとき、近所の男性たちが総出でメイちゃんの捜索と救出に尽力してくれます。ですが、メイちゃんの姉のサツキちゃんが彼らに謝ったりお礼を言ったりするシーンは描かれていません。人として当たり前の行動だからです。また、同じくジブリの『猫の恩返し』には主人公の女の子が車に撥ねられそうな猫を助けるシーンがありますが、あれは主人公が無茶をするシーンという位置づけであって、彼女がたぐいまれな善人であることが示されるシーンではありません。その証拠にと言っては何ですが、目撃した友人も、無茶を咎めてはいても、あれは善行だったと殊更に称賛することはしていません。ジブリ映画以外にしても、よほど打算的、あるいは冷淡だったり、薄情だったり、臆病だったり、自分の生活で手一杯になっていたりするという描写がない限り、助けられるはずの人を助けずに放置するということはないと思います。
それに加えて、仮にWeb小説では打算的に動く主人公の方が小市民的な感じがして共感を得られるにしても、主人公をそういう設定にしない方が(つまり、あれこれ考える前に人を助けてしまう人物として設定した方が)、作品の求心力は上がるんじゃないかと思います。本作で言えば、いくら巨大イカを前にして命の危機を感じているにしても、自分のことで頭がいっぱいになって気絶している他の3人を放置し続ける主人公より、イカの接近を感じた瞬間に他の3人を叩き起こす主人公の方が、物語の続きを読もうという気になる読者は多いのではないでしょうか。百歩譲って、巨大イカが目と鼻の先にいる状況で、3人に駆け寄って起こして回る余裕がなかったとしても、せめて「無防備な3人を守らなければ」と、ちらりとでも思う描写が欲しかったと思います。
で、このことにも関係するのですが、本作の第1章を読んだ限りでは、「話の進むべき方向」よりも「作者さんが話を進めたい方向」が優先されているように感じました。
まず気になるのは「どうして高校の臨海学校で生徒を深海に潜らせる必要があるのか」ということです。
僕も深海の生態系に詳しいわけではないですが、聞いた話では深海で生き物に接触する可能性ってかなり低くて、だからこそ深海魚たちは見つけた獲物や交尾の相手を逃さないために色々進化を遂げてきたそうです(チョウチンアンコウが光を放つのもそのためだそうです)。だとすれば、わざわざ潜水艇で潜っても何も見えない時間の方が長いわけです。深海なんかに行かずに浅瀬を潜らせた方が、高校生たちの知的好奇心と学習意欲を刺激するのには役立つでしょう。
仮に、この潜水の目的が深海の地形や生き物を見せることだとしても、どうして4人という少人数に対してわざわざ1つの潜水艇を用意するのか、1つの潜水艇が4人しか乗れない大きさならどうしてそんなコストをかけてまでこんな実習をしているのか、そして、どうして解説役や潜水艇の操縦役として大人が付き添わないのかという疑問が湧きます。「高校生はもう大人みたいなものだから」と思うかもしれませんが、高校生だけで潜水艇に乗せて操縦や操作を誤る事態になれば、それこそ本文中で言われているように「誰が責任を取るのか」という話になります。もちろん、物語を見れば、主人公たち4人をダンジョンに送り込みたいという意図が相模さんたち「大人」にあったのだと分かるのですが、主人公や引率の先生たちがそこに何の疑問も持たないとすれば、それは作品の不備だと言わざるを得ないと思います。
次にですが、イージス艦の艦長である相模さんの言動がよく分かりませんね。海斗くんたちの潜水艇を海底に沈めることを最初から意図していたようですが、次から次に疑問が湧きます。どうして臨海学校の授業をイージス艦で行うのか(臨海学校には他の船を参加させておいて、主人公たちが海底に沈むタイミングに合わせてイージス艦を接近させるのではいけなかったのか)、どうして臨海学校ごときにイージス艦が出動することに誰も疑問を抱かなかったのか、「国家機密レベルの作戦」(=国家安全保障にとってそれだけ重要な作戦)を遂行するというのにどうして民間人の池波先生をイージス艦に同乗させてしまったのか、どうして艦橋にまで立ち入らせているのか、どうしてその時々の状況をバカ正直に池波先生に伝えてしまうのか、池波先生が教育熱心な人ではないにしても先生や保護者に知られれば責任を問われることは明らかだったはずなのにどうして言い訳を事前に考えていないのか、そもそも、池波先生はともかく、どうして当事者となる主人公たち、あるいは4人の内の誰にも事情を説明していないのか……。僕が読んでいない第2章以降で補足が入ったり事情が明かされたりするのかもしれませんが、Web小説は基本的にアマチュアによる小説であり、読者の方々は書き手のことを信用していないと考えられますから、こういう「不備に見えるところ」は、なるべく早く潰しておいた方が良いと思います。
さらに、相模さんについては人間性も気になりました。深海に沈んだ生徒たちを心配する池波先生を煙たがりながら「責任」という言葉に反応している節がありますが、池波先生に言われるまでそこに考えが及ばないような人間がどうして自衛官になったんでしょうか。別に自衛官はみんな慈愛の心にあふれた聖人のはずだとは言いませんが、ベトナム戦争やアフガニスタン・イラク戦争をやってた頃のアメリカではないので、生活に困って他に行き場がなくて自衛官になったというわけじゃないと思うんですよ。イージス艦の艦長をやってるくらいですからそれなりにインテリでしょうし、だとすれば自衛官以外にも選択肢はあったと思いますし。こういう点から言っても、状況から考えて真っ当なことしか言っていない池波先生を冷たくあしらうという人物設定はあまり説得力がない気がします。
岩井さんが意図して、相模さんを自衛官にしては薄情で冷淡な人物として描いているのならそれでも構いませんが、だとすれば、相模さんには相模さんなりに信じる正義があってそのためには見ず知らずの子供が数人死ぬくらい何とも思っていないとか、話を聞いている他の自衛官が相模さんに代わって池波先生をなだめようとするとか、相模さんの不誠実な対応に他の自衛官あるいは地の文からツッコミが入るといった描写があった方が良いのではないかと思います。
全体的な疑問点の話はこれで最後にしますが、イカを倒した後、海斗くんたちがダンジョンを攻略することに前向きなのも引っかかりました。ライトノベル的な描写にはなるのですが、4人の誰かがゲーム好きだったり異世界転生もののWeb小説やマンガが好きだったりして「お、これは物語で見た展開だな!」とでも言ってくれるなら、「本作はそういう作品なんだな」と割り切れたところですが、そういう前振りがないにしては妙に冷静な反応だな、と思いました。
僕個人の感覚を「普通」などと、まるで一般的なものであるかのように言うつもりはありませんが、それでもあえて僕の率直に思うところを言わせてもらえば、「深海にダンジョンがあって、いちばん奥に行かないと海上に上がれない」と言われたら、普通、まともに反応できないと思います。そして、真っ先に出てくる疑問は、「どうしてそんなTVゲームみたいなことになってんの?」だと思います。
普段からなろう系作品に触れている読者は気にしないかもしれませんが、一度冷静になってみてください。ダンジョンは本来「地下牢」という意味ですが、仮にゲームやなろう系作品で言われている「迷宮」と解釈するとします。歴史上、最も古く有名な迷宮はミノタウロスの迷宮ですが、あれはクノッソス宮殿が豪奢な造りだったことに由来する伝説であって、実際にそういう地下迷宮が存在したわけではありません。当たり前の話なんですが、人を迷わせたり適度にドロップアイテムを拾わせたりすることだけを目的とした施設を作る意味なんて本来どこにもないんです。ですから、迷宮なんてものはゲームの世界にしか存在しません。百歩譲って「財宝が隠された、しかし今は魔物が巣くう古代遺跡」なら、ゲーム的な迷宮よりは説得力があるかもしれませんが、それにしたって都合よく最奥部にだけワープポイントが設置されているなんてことはないはずです。
いや、主人公たちがそういう迷宮や古代遺跡に放り込まれるという設定であっても、別に構わないのです。しかし、僕が疑問なのは、ダンジョンがない現実世界から迷い込んだはずの主人公たちが、どうして「ダンジョン」だの「攻略するほかに海上に出る手段はない」だのといった話をすぐに理解するのか、どうして自分の理解についてSQにも他の3人にも確認をとらないのか、どうしてみんなそろってそんな話を素直に前向きに受け止めるのかということです。ダンジョンとはそもそも何なのか、誰がいつ何の目的で作ったのか、どんな人が来ることを想定してどんな防犯装置(罠)を設置したのか、どうして魔物が巣くうようになったのか、どのくらいの魔物がいると想定されるのか、この世界には他にもこのようなダンジョンがあるのか……そういったことについて、誰かひとりくらい気にしてSQに問いかけるのが自然じゃないでしょうか。というか、そういうことがはっきりしない内は、ダンジョンの中を進もうとか、ダンジョンを攻略しようとかいった話にならないと思います。
それから、贅沢を言うなら、主人公と一緒にダンジョンに送り込まれた3人の魅力が、第1章の時点ではほとんど描かれていないのも気になりました(性格についてはほのめかされていますが、それを魅力だと受け取るのは難しい印象です)。とはいえ、物語が始まってまだ1万5000字で、話としては始まったばかりでしょうから、そこは仕方ないかと思います。
それでは、細かいところについて失礼します。
第1話
「こんな極限状態でも、環境に適応した生物はしっかりと生態系に根差している」
→「こんな極限状態でも、生物はしっかりと環境に適応して生きている」
辞書によると「生態系」は「動植物と、それらに影響を与える環境とからなる、自然のしくみ」。「根ざす」は「植物の根が地中に張る」、「動かぬものとなる。定着する」、「もとづく。基因する。由来する」。これらを残すなら「生態系に根差して生きている」になると思います。ただ、これは直前の「環境に適応する」という記述と情報が重複するので、どちらかだけで良いと思います。
「そして彼を諫めようとしているのは、紺野美希」
→「彼を諫めたのは」
辞書によると「諫める」とは「〔多く目上の人に対して〕不正や欠点などを改めるように言う。忠告する」。つまり、この状況で美希さんは泰一くんを実際に諫めているので、過去の動作として良いと思います。
「この潜水艇――全方位透明の、しかし超耐圧仕様がなされた最新型深海探査艇――には、あと二人の乗員がいる」
→「全方位透明の、それでいて超耐圧設計の最新型深海探査艇」
僕としては「超耐圧仕様です」などの言い方をしても良い気がしますが、辞書によると「仕様」は「〔ある物事を行う〕方法。やり方」、「『仕様書き』の略」。「仕様書き」は「やり方の順序を書いた文書」、「注文品の内容や、工事・工作の内容・手順などをくわしく書いた書類」だそうです。ちょっと微妙なので、他の言い方を考えてみました。どちらにしても、「○○仕様がなされた」というのは不自然な言い方だと感じます。あえて残すなら「超耐圧仕様の最新型」あるいは「超耐圧加工が施された最新型」といった具合でしょうか。
華凛の台詞「そうですわね、美希さん。このあたりは地殻変動が激しいから、地形の変化が流動的であんまり見どころはないようですわ」
→「地形の変化が頻繁であんまり見どころは」
ここでは変化が多いことを流動的と言っているのでしょうから、「変化が流動的」では情報が重複します。
「しかし、今の海斗は当時の、父親が健在だった頃の海斗とは明らかに違う。どう違うのか言ってみろと尋ねられては困るのだが、不愛想になった自覚は本人にもある。/だが、どうやらその度合いは自分で思っているより酷い」
三人称の語りの難しいところですね。「どうして違うのか言ってみろと尋ねられては困るのだが」とありますが、「尋ねられて困る」のは地の文の語り手(=作者、岩井さん)なのか海斗くんなのか、よく分かりません。語り手だとすれば、いわゆる神の視点から物語全体を見ているはずなのにどうしてそこだけ把握できないのか、海斗くんだとすれば、誰からそんなことを尋ねられると想定しているのかという疑問が出てきます。
また、「どう違うのか」は分からないものの「不愛想になった自覚は本人にもある」というのは変だと思います。単に「父親が健在だった頃と比べて不愛想になった」と書けば済む話のはずです。「不愛想になった以外にも色々と変わってしまった」、「別人のように変わってしまった。特に、明らかに不愛想になった。そのことは本人も自覚していた(が、実際には海斗が自分で思っているよりもっと酷かった)」というニュアンスなら、それが分かるような書き方をした方が良いと思います。
「やがて潜水艇は凄まじい振動に見舞われ、硬質な何かに衝突したかのような振動を伴って停止した」
これ以前に「潜水艇が、ぐるんぐるんと不規則に、そして乱暴に振り回され始めた」とあることから考えれば、「やがて」と言うより先に潜水艇は振動していたと思います。
読み合いから来ました!!
作者からの返信
コメントありがとうございます! ようこそカクヨムの僻地へ!(笑)
早速のご高覧、ありがとうございます。矛盾点はこれから叩き直していく予定ですので、「あ、岩井のヤツ、爪が甘いな」と長い目で見ていただけると幸いです!(^^)!