第3話
(さあ、剣を抜け!)
「い、いや、でも……!」
なかなか動けない。自分に戦いなんて無理だ。そんな考えに囚われる海斗。だが、彼を促す幼女の声には不思議な力があった。
「こ、この剣を使えばいいんだな?」
(他に何を使うんじゃ! さっさと剣を抜いて、あのイカを刺身にしておやり!)
いや、絶対に食べたくはない。そもそも、刺身にできるほどの技量が自分にあるとは思えない。だが、とにかくこれ以上危険に晒されるのも、急かされるのも勘弁願いたい。
そんな呑気に構えていると、イカは足を数本駆使して通路を曲がり切った。海斗のいる場所からイカの本体まで、距離は約二十メートルといったところか。イカの足の長さは、伸縮すれば三十メートルくらいはありそうだ。再び足を伸縮させられたら、間違いなく海斗は捕らわれてしまう。その前に十本の足をさばかなければならない。
いやそれ以前に、こんな重苦しい長剣が、自分に扱えるのか? 海斗は不安と不信の入り混じった目で、台座に刺さった長剣を見つめる。
ええい、どうとでもなれ。海斗は長剣の柄に手をかけ、思いっきり引っ張った。
「うあっ!」
海斗は再び尻餅をついた。あまりにも長剣が簡単に抜けたからだ。そしてそれは、予想よりずっと軽かった。
立ち上がり、イカに相対してぎゅっと柄を握り込む。ごくり、と唾を飲むと、再び不思議な感覚が海斗を見舞った。全身がふわり、と軽くなったのだ。
これは『戦え』というシグナルだ。
「は、はあっ!」
息を乱す海斗。
やはり、真正面からイカに突撃するような度胸はなかった。イカに突撃するのは、武術の心得のない自分には自殺行為に思えたからだ。
そんな彼を見て、イカは余裕を見せながらしゅぱっ、と空を切る勢いで足を突き出してくる。
これでは、僕は死ぬ。あの足に締めつけられて、無残に食い殺されるのだ。
両目を閉じる。長剣を前に差し出す。そして壁に背中を預ける。こんな無様な格好で自分が死ぬのかと、一抹の悔しさが湧いてくる。
しかし、イカの足はいつまで経っても海斗には至らなかった。恐る恐る瞼を開くと、そこには全く予想外の光景が広がっていた。
「ふっ! はっ! でやっ!」
小柄な人影が、ばっさばっさとイカの足を斬り落としていく。手にしているのは剣だが、海斗の眼前にある長剣とはだいぶ違う。サーベルのように反りの入った短剣だ。
そしてその短剣を振るっているのは、
「か、華凜⁉」
海斗はその名を叫んでいた。あのお嬢様然とした華凜が、優雅さを損なうこともなく跳躍し、短剣を振るっている。透明な体液が、イカの足の切断面から噴出する。
「さあ皆さん、続いてくださいまし!」
華凜と同じ方向に視線を向ける。するといつの間に気がついたのか、泰一と美希が立っていた。二人共、それぞれが武器を担いで。
泰一が握っているのは、巨大な金槌だ。柄の部分も含めて、大柄な泰一の背丈と同じくらいの大きさがある。
美希はその場で腕を伸ばし、何かを構えていた。あれは弓矢だろうか。
(ええい少年! お主、戦わんのであればせめて邪魔にはなるでない! 伏せておれ!)
海斗は咄嗟にうずくまる。すると、パシン、と軽快な音を立てて矢が飛んでいった。
ごぼごぼ、と音がする。イカが苦悶の声を上げているのだろう。
足は華凜が斬り払い、美希の弓矢がイカの動きを鈍らせた。そして、イカの上方に跳び上がった泰一が思いっきり巨大な金槌を振るった。
「おんどりゃあああああああ!」
ぐちゃり、続いて、みしり、とグロテスクな音を立てて、イカは思いっきり叩き潰された。臓物が零れ落ち、一瞬で腐臭が漂い始める。
それでもまだ息があることは、その蠢きから察せられた。とどめを刺さねば。
(少年! 長剣でイカの目の間を狙え! さすれば、イカを完全に絶命させることができる!)
「あ、ああ、分かったよ!」
海斗は半ば自棄になりながら、真っ直ぐにイカに突撃した。
「おりゃあぁあっ!」
ぐさり、という確かな手応え。今度こそ、イカは息絶えた。
「う、うぁ」
この期に及んで、改めて恐怖心が湧いてきた。
その場でよろめくと、金槌を肩に掲げた泰一が海斗を小突いた。イカの死骸に目を遣りながら、文句を垂れる。
「全く最初に気がついたんなら、ちったぁ怪物にダメージ与えとけよ! その長剣なら、足の一本や二本は斬れたはずだろ?」
「あ、ああ……」
「ビビってばかり、ってのは勘弁してくれよ、あぶねえじゃんか」
言い返せずにいる海斗に助け船を出したのは、華凜だった。
「仕方ありませんわ、泰一さん。海斗さんは何の武術の心得もないんですもの」
「そ、そうだ、僕は今まで、剣なんて触ったこともない」
って、いや待てよ。
「華凜、君は何者なんだ? イカの足を斬っていく時のあの動きは……何というか、その、映画でも観てるみたいだった」
「あら? わたくしだって自分の身は自分で守れるように訓練されておりますわ」
いや、それでも相手は怪物だぞ。そうツッコミを入れようとしたが、海斗はその言葉を飲み込んだ。
「でも、あたしは違うわ」
後方に目を遣ると、美希が弓を下ろしながらこちらを見つめていた。
「弓道を習った経験は全然ないし。ただ、何て言うか……。身体が勝手に動いたのよ」
「俺もだぜ。まさかこんな馬鹿でかい金槌を振り回す羽目になるとは思わなかったけどな」
海斗が泰一の握った金槌をじっくり眺めていた、その時。
(おっと、全員に武器が行き渡ったようじゃな)
「うっ!」
先ほどと同様、頭に直接語りかけてくるような声がした。
(ここから先は、我輩から説明しよう! お主らには、それを知る権利がある)
「そ、それより、あなたは何者なんだ? 姿を見せてくれないか?」
不安から、つい早口になる海斗。すると何の前触れもなく、海斗たちの頭上の空間が歪んだ。
空中にノイズが走る。故障した電子機器のディスプレイのように。それはこの石造の構造物の中で、奇妙に現代的に見えた。
やがてノイズが止んだ時、そこには一人の幼い女の子が浮いていた。胸は貝殻で覆われ、紺色の髪をツインテールにまとめている。西洋人形のような、日本人離れした美麗な顔つきだ。
だが、彼女の姿で最も目を引かれるのは足の部分。いや、厳密には足はない。そこが魚類のような姿かたちになっていたからだ。まさに人魚姫。
床から三十センチほどのところをぷかぷか浮いている。
「な、何者だ……?」
(何者だ、とは失礼じゃな、少年。いや、海斗とやら。お主のために聖剣を具現化させてやったというのに)
「あ、ああ、でも、君が何者なのか分からなければ、僕たちも接しようがない」
(ふむ、それも道理か)
そう言う(?)と、幼女はコホン、と咳払いをした。
(我輩はこのダンジョンの管理をしておる、『七つの大海を征服せし水の女王』じゃ!)
「……」
「気やすくそう呼んでくれて構わんぞ!」
「マジ? 名前、長くね?」
「そうね」
「わたくしもそう思うますわ」
泰一、美希、華凜にそれぞれツッコまれ、幼女は『なっ!』と声を上げた。縋るような目つきで、海斗の方に向き直る。
(か、海斗! お主はどう思う⁉)
「うーん……。SQとかでいいんじゃないかな」
(なっ、なにゆえ⁉)
「ほら、『セブン・オーシャンズ・クイーン』から二文字くらいイニシャル引っ張ってくれば」
海斗が人差し指を立てて見せると、どよーん、という擬音語が聞こえてきそうな勢いで幼女――SQは項垂れた。
「そ、それはいいんだけどよ」
泰一がおずおずと言った。
「SQ、教えてくれ。今の俺たちはどういう立場なんだ? いきなり潜水艇が渦潮に巻き込まれて、生きてるか死んでるかも分からねえんだ。それに、あの怪物の死骸を見るに、ここも安全じゃねえんだろ? あー、ど、どうしたらいいんだ?」
(そういっぺんに訊くでない! あーもう! 一つずつ説明してやるから、とくと聞くがよいわ!)
ふっと息をついて、SQはイカの死骸がある方とは反対側を指さした。
(まず、諸君らがどうしてここに来たのかを説明せねばの。あっちを見るがよい)
気づけば、誰もそちらに目を遣る機会がなかった。
その先にも通路は続いていたのだが、妙に暗く、歪んで見える。
「何だろうね、これ」
ゆっくりとその歪んだ空間の境目に手を伸ばす美希。しかし、
(おおっとぉ! タンマタンマ!)
「ちょっ、どうしたのよSQ!」
(この先は水深八〇〇〇メートルの海底に通じておる! 指一本でも境界線の向こう側にいれたら、水圧であっという間にぐちゃぐちゃじゃ!)
美希は短い悲鳴を上げて手を引っ込めた。
「じゃあ、どうして俺たちは無事なんだ?」
(潜水艇ごと、このダンジョンに飛び込んできたからじゃよ。ほれ)
SQが再び指をかざす。その先に柔らかな光が宿り、暗闇を照らし出した。
そこに横臥していたのは、海斗たちの乗ってきた潜水艇だ。同型機かもしれないが、あんな渦潮に巻き込まれてここまで来られたのは、自分たちの潜水艇だけだろう。
(ここに突入する直前、潜水艇は強度不足で壊れてしまった。見る影もなかろう)
「って、ことは……?」
(そうじゃ、海斗。お主らは地上に帰ることはできん。潜水艇を使っていてはな)
「おい、どういうことだよ! 俺たちが戻れねえって?」
(まあ落ち着け、泰一。方法がないとは誰も言っておらん。だが、方法は一つだけじゃ。このダンジョン最奥部にあるワープポイントまで進むこと。そうすれば、一気に海上に出られる。その付近に避難ボートでも用意しておくように、海上のお仲間に知らせておいてやろう)
「SQ……さん? あなた、イージス艦の人たちともお話しできるの?」
(うむ。そのイージス艦というのは、海上に待機している船のことじゃろ? 造作もないわ心配無用じゃ、美希)
顎に手を遣る海斗。どうも、SQの言葉には違和感がある。この構造物を迷宮だの、神殿だのと呼ぶなら分かる。だが、SQは明確にこれを『ダンジョン』と呼んだ。
「あ、あの、SQ」
(うん?)
「これってもしかして、ゲーム感覚で進めってことなのかい?」
(何故そう思うんじゃ?)
「僕はよくテレビゲームでRPGってやるけど、君の説明を聞いてると『それっぽい』んだよ。ダンジョンっていう呼び方だったり、最下層まで行かないと脱出できなかったり」
「あっ、言われてみれば」
言葉を継いだとは美希だ。
「確かにゲームっぽいわね。実際に怪物を倒さなきゃいけない、っていう点はあるんだろうけど」
(ふむ。いいところを突いたのう)
SQはその場でくるりとバク転し、気分よさげにこう言った。
(そこまで推測が及ぶということは、こう言っても驚きはしまいな? この最下層、ワープポイントのそばには、ラスボスが控えていると)
「ラ、ラスボスだぁ?」
(そうじゃよ、泰一。時折海上、というか陸上の人間たちの想念を覗き見しておるが、今風に言えばそういうもんじゃろう)
『ラスボス』という言葉は浸透しすぎていて、流行でも今風でもないような気がする。しかし、海斗はSQの説明を聞き届けるべく黙っていた。
一体どんな怪物なんだ、と訊きたげな泰一の脇腹を突いて、美希はSQに続きを促した。
(実際、我輩も最下層まではあまり行く機会がないもんでな、その容姿は分からん。一つ言えることは、そやつには『夢を与えてやる必要がある』ということじゃ)
全員が、ぽかんと口を開けた。
(ラスボスは大抵眠っておる。最奥室を通り抜け、ワープポイントまで至るのは造作もない。じゃが、もしラスボスが目を覚ましてしまったら大事じゃ。よっぽど上手く宥めてやらんと、お主らなどあっという間に食われてしまうぞ)
しかし。
(そんな無茶な戦いが起きないよう、このダンジョンにはある仕組みが取り入れられておる)
「ある仕組み?」
海斗に向かって頷くSQ。
(お主らの心の内、想念が必要なのじゃ。それを夢としてラスボスの脳内に送り込んでやれば、ラスボスは安眠を続ける)
「想念って何なんだ?」
(そこじゃよ、泰一。想念とは、人間なら誰しも持っている記憶の一部じゃ。深い後悔や悲しみなど、そういったものを他者に開示する勇気のある者だけが、次の階層に進むことができる)
「ってことは、そのラスボスは人間の黒歴史を寝ながら食ってる、ってことか? 悪趣味だな。……いてっ!」
(そう断ずるでない、泰一よ)
「お前の腕、実体化できるんだな……」
コホン、と空咳をしてからSQは語る。
(まあ、ラスボスの偏向した考え方はよく分からん。じゃが、誰かが自分の心の奥底にある想念を皆に語ることで、次の層への階段が展開される。いっぺんに皆で話し合う必要はないがな)
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