6問目



さあ、ここで問題です。



 思ってたんと違うッ、という予想とは遥かにかけ離れた展開を目の当たりにした時に貴女が取るべき正しい行動は以下のうちどれでしょうか?


 ①そっと目を伏せ見なかったことにする。

 ②あくまでも分かっていた振りをして動揺を隠し悟られまいと笑顔で応える。


 瞬発力を駆使して答えなさい。


 ……。

 


「ゆ、ゆうちゃん。ちょっ、ちょっと待って下さい。……ま、まだ心の準備が」


「ごめん、俺もう待てない」


「えっ、うッ嘘。ち、ちょっと待って。やッ。あっ。イヤ……っ」


紬衣ゆえ、動かないで少し我慢して。お願い」


「だって……あっ。いやぁッ。そ、ソレ……す、凄い。そんなのだった? ホントに、それフツーなの? やッ……あ。あッ。

……い、痛くしない? ホントに?」


「いや、って……分かってるだろ? な、ゆっくりやるから。ホラ、大丈夫。お願いだからこっち向いて顔を見せて。……紬衣。良くするだけだから力抜けって……なあ、そんなだと俺もう優しく出来なくなりそう。歯を食いしばらないで軽く口を開けてごらん。ね? 良い子だから、ちょっと我慢して……少しずつ全部挿れるよ」


 ……。


 ……。


 ……。


 ……チクッ。


 ……、……。


 ……、……。


 ……。



「……紬衣、終わったから。目を開けて」


 涙で滲む目を開けると、医療用マスクを顎までずらした悠ちゃんの見慣れた顔が、わたしを見下ろしていました――。


「注射器は色んな種類があるんだけど、コレ新しくしたんだよ。親父のとは違ってカッコよくない? ってソレ見たことなかったか。まあ、まだ全然小さい虫歯だけど、場所が場所だから一応麻酔注射した方が結局は痛くないんだから……って、そんなに睨むなよ」

 

 ってそんなの睨みたくもなるってもんです。


 なんなら別のナニかと勘違いさせるような甘い言葉を誰にでも簡単に優しく囁いているのは知っていますが、必要なのは言葉じゃなくてテクニック一辺倒ですよ求められているのは怖さや痛さを感じさせない歯科医師なんですよ。


 ともあれ『痛くない歯科』の看板を掲げたソレに釣られてホイホイする黒光りするアノGから始まる虫みたいにフラフラと誘われるように入ってみれば、なんならごく普通の歯科医院で、そもそも痛くないからねって言う枕詞がつくのはソレもう確実に痛いやつだってことは最初から決まっているんです。だって痛くないならそんなこと言う必要がないんですから。とは言えコレ完全に八つ当たりでした悠ちゃんのトコの看板にはそんな甘い言葉の囁きは書いていないんでしたね。そこにあるのは誰が考案したのか見れば見るほど不安にさせる可愛くないってかぶっちゃけ気持ちの悪いゆるキャラでしたよってスミマセン。


 昨夜はいつのまにか寝てしまったわたしをベッドまで運んでくれたのはおそらく悠ちゃんでしょうけれど定期検診で申し込んでいたのが次の日の日曜日の午前予約とはすっかり忘れて壱太くんとの甘い夢を見ていたところを叩き起こされた挙句に有り難うを言う暇すら与えずこの仕打ちってソレもナニも虫歯を見つけて貰っただけなんでした。

 悠ちゃんイロイロごめんね有り難う。


「麻酔効くまで、待ってて」


 歯科治療に必要な器械や器具のついたユニットとか言われるらしいそれらのついた治療用の椅子のリクライニングがゆっくりと起き上がり麻酔が効いてくるまでの間、目の前にあるモニターに映し出されているのは前の患者さんではなく何故か悠ちゃんが選んだとしか思えない日曜日に観ると月曜日が憂鬱になるあの底抜けに明るい主人公が最後にジャンケンしてまで負け組の視聴者をドン底に突き落としにかかるあのアニメですよ。それを日曜日の昼間に観せられているという地味な嫌がらせにも納得いきませんが、何より麻酔注射をするくらいなら喜んで拷問かよってくらいの痛みにだって耐えてみせますと言ったのに悠ちゃんがわたしにした殆ど見せしめのような辱めに、実のところ少し興奮してしまったなんてことは絶対に秘密にしておきたいのでこの地味な嫌がらせにだって悦んで耐えて見せますとも。


「紬衣ちゃんは注射が苦手なんだから、仕方ないよねぇ」


 あっら、おじさまったら何時いつからそこに? こんにちは。お久しぶりですって言っても良く似た息子さんとは、なんだかんだと毎日のように顔を合わせていますが歯科医師ってそんなに暇……じゃなかったですよねごめんなさい。相変わらず素敵でいらっしゃいますね。その上なんてお優しいのでしょう。悠ちゃんが席を外した隙にと、どう見ても冷やかしに来た様子ではありますが態々わざわざわたしの顔を覗きに来てくださったおじさまに、まさか息子さんの悪口などは言えませんって今のは治療の一環である注射をされただけですから言える悪口もないんですよね残念。


「いやまぁ、アレだよね。声だけ聞いてるとすっごく卑猥で良いよね」


 ……おじさま。そこ、全力で少年のような顔をして嬉しそうに輝かんばかりの笑顔を見せるところじゃないですよってか見せちゃダメなやつです多分。わたしが良い歳して痛みに弱いのを、なんなら斜め上の鋭角な角度から振り下ろすようにして慰めの言葉を掛けてくださったのかもしれませんけれど歯科助手の方がドン引きで潮干狩り出来そうですから早く気づいてその笑顔納めなくちゃ駄目ですこれからの社会生活一般どころかおじさまのこの後の残りの人生設計に影響しそうになってますからって。


 それにしても悠ちゃんのおウチは代々歯医者さんで、現在、悠ちゃんの父親である少し変わった愉快なおじさまは一般歯科を、悠ちゃんは小児歯科を中心に診察しているのですが気がつけば良い大人になってしまったわたしでも、おじさまの中ではいつまでも幼い子供のようで、いつの間にか悠ちゃんの患者さんに割り振られていたのは何とも摩訶不思議だったのですが……たった今、ひょっとするともしやその注射のくだりが聞きたいというだけの不純で卑猥な動機からではないかと勘繰りそうになりましたってナニなら少し妄想が偏りそうになるわたしの変態っぷりが恐ろしいです。

 でもまあ、わたしもそうそう虫歯にはならないのでソレは違うでしょうねと去りゆく楽しそうなおじさまの背中を見ながら切に願いますソレ違うよねって言って欲しい違うかな違います違うハズ。


 それはそうと治療室はそれぞれ個室になっていて、わたしが座るユニットのある治療室は可愛らしく装飾され子供専用に作られているという所為でもあるのですが、麻酔が効くまでの間こうして放置されていると子供でないわたしから見たこの部屋はなんとなくメルヘンチックな歯医者さんごっこをすると見せかけてナニなら別の目的を遂げる為の部屋にってゴメンね悠ちゃん汚れちまった哀しみに……って、わたし頭の中の妄想では兎も角まだ身体の方は誰にも汚されてないんでしたっけ。あは。


「紬衣、麻酔そろそろ効いてきたな。小さく削って詰めて終わりだから。また次回の検診もちゃんと予約して帰れよ」


 手袋を長くて形の良い指にぬっと入れパチンパチンと嵌めた後に両手を組むようにして指の付け根の奥までしっかりググッとゴムを張り付けて伸ばすのを見るのが涎が出ちゃうほど好きなんてソレを言ったら悠ちゃんを悦ばせるだけのような気がするのはナゼでしょうってナニなら口が裂けても言えそうにありませんって既に口ぽっかり開いて涎が出ちゃってましたねってコレ治療だから。


「……今日は午前診療なの知ってるよな? もう少しで仕事終わるからこの後、紬衣んち向かえに行く。出掛ける支度しといてよ」


 悠ちゃん、それ今言うのヤメて。口の中に指突っ込まれて断るも受け入れるも返事出来ないしナニなら歯科助手さんの目が怖いしで唾液そんなに滝のように流れているんじゃなければバキュームをやたらと押しつける必要はありますかイイエありませんって自問自答始めちゃってますから、わたし。痛いのはきっと気のせいじゃないと思うんですがまさかワザとと違いますかと歯科助手の方に目で訴えてみてもそこにあるのは能面のような冷たい笑顔。悠ちゃんまさか、この歯科助手さんに手を付けたり気を持たせたりしてないでしょうね? 持たせるのは凶器にならない器具類だけにして下さいって患者を代表して切にお願いします。


 ふう、終わりましたよ。


 うがいをして口内をサッパリさせようとしてウッカリ麻酔が効いているのを忘れ思い切り水を含んだ口から明後日の方向に飛沫を飛ばす御作法の様なあるあるも無事に終え悠ちゃんに向き合うと……にっこり笑う悠ちゃんってこわッ怖いんですよ。


 その笑顔ハジメテ見るようなってナニを考えているんでしょう? 悠ちゃん?

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