6問目



さあ、ここで問題です。



 出来心から拾ってしまった見ず知らずの男性かっこ、どストライク好みイケメンかっことじ、に去り際に人生三度目となる久しぶりで忘れかけていた、なんならぶっちゃけ正直初めてとも言える口づけを半ば強引にされてしまいました。


 犬に噛まれたと思って忘れますか?

 玄関の扉の閉まる音が聞こえる前に、答えなさい。



 ……。

 ……バタン。



 とはいえ、はあ。いや、なんだかかえってこちらこそご馳走さまでしたって……えーーーッっ!!? 

 な、な、な、何?

 少し遅れたタイミングで、どっどっどっと、心臓が鼻の穴から飛び出してしまいそうです。なんなら鼻血と見せかけて、それは溶けたわたしの心臓なのかしら? 右か左か両穴かは想像にお任せ致します。


 何が起こったのか分りませんでしたいや嘘です。短い時間でしたが言うなればほんの僅かなあのひと時を、しっかりと堪能致しましたのは普段は妄想ばかりの痛いわたしに訪れた一瞬の春。

 やはり残念すぎるこんなわたしでも地道に生きてさえいれば良いこともあるというお手本のような儚い出来事でございましたね。

 ……芳しい体臭に柔らかな唇と力強い頭を支える掌の感触。


 下を向いてそっとニヤケた顔を隠しながら残されたコーヒーカップにあわよくば口付けちゃうゾ、なんて変態まるだしなことを考えていたことを悟られていなかったようです。良かった……いや、良かったんですかね? 何でしょうあの去り際のキ、キ、キ、キッスは?!


 駄目だ。

 なんも言えねぇ。


 って、はぁはぁと鼻息も荒く満足感でいっぱいになっている場合じゃありません。

 いやしかし、金輪際見かけても近寄ったりしないと約束したではありませんか。ということはつまり、揶揄からかわれた、それ以上でも以下でもないんです。現実を見ましょう。ソレ得意な筈ですよ、わたし。


 夢心地のまま午前中は過ぎ、昼に何を食べたか何も食べていないのか分からず、窓の外を見て気づいたらもう夜が始まろうとしています。ってか夜、だね?

 もしかして……寝てた? あはは。

 じゃあ、あれは夢? 良く出来た妄想?

 いいえ片付けていないテーブルの上の二つのコーヒーカップが、あれは夢ではなかったと告げていました。だらしなさもたまには役に立ちますねということは……キ、キ、キ、キッスしちゃったんだわ唇を奪われたんだわ夢じゃなかったんだー!! きゃー!!


 ……ふう。

 少し落ち着きましょう?


 しかし、これに何の意味があるのか何の意味もないのか、考えていても答えは出ません。ってか考える前に寝ていただけでした。えへ。

 それでは記憶を巻き戻して最後の捨て台詞を思い出してみましょう。


『アンタは馬鹿か? 少しは危機感を持て』


 そうそう、そうでした。

 の御仁は、声もまた素晴らしくウットリするような響きがありましたっけ。意地悪なその物言いも、何とも胸の奥をくすぐります。


 ん? 意地悪?


 常日頃わたしに意地悪する幼馴染なら、この答えが分かるかもしれないと思いました。ちょっとダメ元で相談してみようかなんてスマホを取り出した時、呼び鈴が聞こえインターホンに人影が映ります。

 なんて素晴らしいタイミング!

 なんなら昨夜酒に飲まれて酔い潰れたのをそっと見捨てて帰ったことをぐちぐちと怒りにきたに違いない意地悪な幼馴染ではありませんか。


「はーい。今開けるねー」


 エントランスのロックを解除したら、ととと、と小走りで玄関まで行き扉を開けます。遅いとまたトロいとか何とか色々言われるんだから嫌になっちゃいます。

 ガチャと扉を片手で開けたまま、ドアが開く開き具合に合わせて前傾姿勢で出迎えれば途端に怒鳴られる始末。


「お、おッ前……服ッ! 服を着ろッ! そんなもん見せられる方の気にもなれ!」


 片腕で目を覆うようにしながら顔を背け、真っ赤になって怒る幼馴染に思わずムッとしてしまいます。


「……着てますよ」

 すみませんね。貧しいものをお見せしてしまってホントお目汚しを失礼しましたー。

 ふんッ。

 頭にきましたので羽織っていたパーカーのファスナーを、これ見よがしにピッタリ首元まで閉めてやりましたよ。これで文句ないですかね。昔は女の子みたいに可愛くて、いつもわたしの後ろでベソかいていた癖に中学に入ると身長は並びわたしに意地悪するようになり、高校で背を追い抜くと今やすっかり幼い頃とは全くの別人ですよ。

 あんなに可愛いかったのに。


ゆうちゃん、昨日は酔い潰れた悠ちゃんが悪いんです。たとえお店に置き去りにしたとしても、わたしは悪くありませんよ?」


「どの口がそれを言うんだ? あ?」


 むにゅッと口元を手で掴まれては謝りたくとも謝れません謝りたくないけどわたしの意志は高級羽毛布団のように柔らかく舌は滑らかな絹豆腐の如し。


「ッほ、……ほへんははひ」

「分かれば良いんだよ。分かれば」


 どうぞとも言っていないのに、ずかずかと勝手に部屋の奥へ進んでゆく見慣れたその後ろ姿を見ながら相談事があるのだからここはひとつ下手に出なくてはと考えます。なんならもう怒っているようですし。

 ふう。なんで?

 少し遅れて部屋に入ってみればテーブルの上、片付けていない二つのコーヒーカップを腰に手を当て睨みつけています。それから凄い勢いで振り返ると冷たい目でわたしを舐め回すようにして見るものですから蛇に睨まれたカエルの気持ちが良く分かるってもんです。


「客が来てたのに、その格好は何? 誰に見せてんの? そのだらしない格好」


 かくがくしかじかと昨夜悠ちゃんを見捨ててマンションの階段に寝ていた殿方を拾った話をしましたら、見る見るうちに悠ちゃんの顔が赤くなったり蒼くなったりとそれはそれは忙しい様にエレクトリカルパレードを思い出しました。そうは言っても最後に見たのは随分と前に悠ちゃんのデートの下見とやらに付き合わされた高校生の頃でした。まあ随分と古い喩えでしたねエレクトリカルパレード。


「ッこのバカッ! し、消毒だ消毒。お前知ってんのか? ゔーっ。キ、キスでどれだけの細菌が口内を行き来するのかってあーもうッ。なんだよ、そいつムカつく」


 痛い、痛いです。

 ゴシゴシと強い力で唇を擦るのをやめて下さい。そんなんで消毒なんて出来るはずもなく、なんなら唇を合わせてから既に何時間も経っているんですからとっくのうに菌類はわたしの身体の中をヒャッハーとパリピ並みにむしばんでいますよ。


 お前は揶揄からかわれたんだよ犬に噛まれたと思ってすっぱり忘れろ、と悠ちゃんが叫んでおります。

 ええー。

 やっぱりそうか。

 そうですよね。

 


ならば答えが出たようですね。


……としたら大型犬かな。


それよりもあのイケメンさんに夜はオオカミになって欲しいと思った貴女は大概ですよ?

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