砂漠

「お…、咲いてる」

 大学の生協前の桜が満開に咲いている。

 今日はろう障がい児施設であるバイト先の歓迎パーティーである。バイトもなく、就活もなかったわたしは私服のまま生協前で翼と待ち合わせしていた。

 先にいたのは翼だった。わたしは顔を覗き込む。翼と眼が合う。

「何?」

「ううん、何でも」

「桜、きれいだな」

 翼は桜を見て、自然と笑みを浮かべた。

 …良かった。今日は普通だ。翼には笑っていてほしい。けど無理に笑う必要はないと思っていた。

「…この桜、来年あたりに枯れるかもしれないって。ソメイヨシノは寿命が短いらしくて、この桜は戦後に植えられたものだから」

「そもそもおれたち、来年には卒業してるから見えないよね」

「そうだね」

 わたしは桜を見て、携帯を取り出した。そして、写真を撮ろうとした。なんとなく薄々、もう並んで桜を見ることもないだろうと思っていたからだ。

「写真なんて撮ったって、どうせ今見てるこの景色には敵わないのに」

 翼は笑ってそう言う。わかってないな。わたしは桜を撮るけど、桜を撮りたいわけじゃない。


「ウス、けい先輩、これからは施設の方でもよろしくお願いします」

「うん、カンパーイ」

 新しく入ってきた曾根田そねだだ。わたしの英会話サークルの後輩であり、きめ細やかなサポートができるところに眼をつけて、うちのアルバイトに誘った。

「翼先輩も乾杯!」

「乾杯っと」

 曾根田はキラキラした眼で翼を見つめる。後輩の態度がわたしと翼に対して違うというのは中々来るものだ。わたしはお冷をぐびぐび飲む。

「けい先輩喉乾いてます? 何か注文しましょうか?」

「今日食堂で遅めに食べたチキン南蛮、意外と喉渇くみたいで。えーと、じゃあウーロンハイで」

「甘いお酒じゃないくていいんですか?」

「甘いお酒は好きじゃなくて。そもそも甘い物がそんなに得意じゃない」

「てか飲めないじゃん?」

 翼が横やり入れる。

「どっちが?」

 わたしと翼の飲めなささは目くそ鼻くその世界だ。

「そうなんスね。じゃあウーロンハイと、おれ生で。スミマセーン!」

 その後、ウーロンハイ片手にふらふらと席移動を繰り返していた。ははは、楽しい。ほろ酔いなんて、わたしは10分ぐらいしか続かない。その後は頭がキュッと痛くなるだけだ。笑い上戸じょうごのわたしは今だけが楽しい。


「けい、大丈夫?」

 翼が隣に座る。

「へへへぇ?うん。あんたも相当赤いよ?」

 わたしはにたにたしながら笑う。翼は肌が白いから飲むと赤くなる。

「おれ赤くなるだけだから」

「またまたぁ」

「どうしたら小指第一関節程度しか飲まずに酔えるわけ?」

「超低燃費なんですぅ」

「けい先輩、これお冷っす」

 曾根田がお冷を差し出す。

「ありがと~」

 震える手でお冷を飲む。ここの居酒屋の料理も塩辛くて、喉も渇く。喉が渇いた時の水は甘い。

「えっへへへっ」

「…おい曾根田、けいが持ってるあれは日本酒か?」

「いいえ、ただの水です」

 二人の冷めた視線がわたしに刺さる。

「で、翼先輩は卒業旅行、どこ行くつもりですか?」

「おれベトナム。北で中古の原付買って、南までベトナムを横断するの。それで物価の違う南で原付売る。そうするとちょっと儲かるって算段」

「前にベトナムで髪切ってベトナムのグッドルッキングガイになったよねぇ、あはは」

「もうあれはしない」

 う、いててて。頭が痛くなった。急に現実に引き戻される。お冷を飲む。

「けい先輩はどうするんですか?」

 ずきずきする頭を押さえながら答える。

「うーん、行けるかわかんないけど、敦煌とんこうへ行きたいかな?」

「トンコウ? 何があるところなの?」

「砂漠」

 敦煌とは中国・甘粛かんしゅく省にあり、中国の左上に位置する都市で、古くはシルクロードの分岐点の地でもあった。砂漠地帯だが、オアシスがあり、文化的に栄えたところであるから、観光名所も多い。砂の中から切り出して作られたような石窟寺院・莫高窟ばっこうくつや、砂漠の中にぽっかりと口を広げたような、月の形をした池・月牙泉げつがせんなど情緒たっぷりの名所目白押しである。ロマンである。

「なんで砂漠見に行きたいの?」

「なんかゼロになりたいっていうか。嫌なことがあると砂漠の真ん中にいる妄想するから」

 それを聞いた翼はピンときたようで、

「ねむりたい、もうねむりたい?」

と言った。

「そうそう。流れよう、流されよう」

「え、なんスか?」

「B’zの“Zero”のことか」

「ご名答」

 本物の砂漠の渇きを知らないわたしは、そこへたたずみ、ゼロになったところを想像する。

「でもなあ行けるかなあ」

「なんで? 中国語しゃべれるじゃん」

「うーん、そっちの不安じゃなくて、治安の問題。かなり奥地にあるから、もしかしたら行けないかも。少なくとも女一人では無理だな」

 中国旅行の病をこじらせている、別の男友達が奥地へ行った時、村人にぼこぼこにされるリンチに遭ったことがあった。彼はとっさに100元(約1600円)を差し出し、事なきを得た。ただし血だらけ(※基本的にこんなことはありません)。だからわたし一人では無理だなと思っていた。


「じゃあ、二人で行かない?」

 翼が突然そう言った。

「え?」

「二人で敦煌行こうよ」



…は?

 

 

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