動揺と純情

《 敦煌とんこうはその昔沙州さしゅうと呼ばれていた場所でその名の通り広大な砂漠に囲まれている北京から西安からの航空便も運行しているが陸路での長時間かけてたどりついたほうが似つかわしい場所だゴビ砂漠灘をひたすら走り抜いた後前方に砂の山と帯状の緑が見えたときの感激は何物にも変え難い敦煌は甘粛省の西端に位置するオアシス都市で漢の武帝が紀元前… 》


 わたしは『地球の歩き方 西安 敦煌 ウルムチ』を読んでいるのだが、文字が表面を滑って全然脳に入ってこない。図書館の本を立ち読みながら行ったり来たりを繰り返す。何十回も読み直してわかったのは、まず飛行機で上海に入国し、そこから中国の国内線、もしくは高速鉄道(中国の新幹線)に乗る。期間は大体1週間ぐらいを目処めどに考えたほうがいいだろう。


 い っ し ゅ う か ん…?


 一週間も一緒にいたら、自分が理性を保っていられる自信などない。というか、そもそも好きでもない奴に一緒に旅行など誘うだろうか。パリピの常識か。昨日はそれをずっとグーグルで血眼になって探したが、そういうことを平気でできますー、いやいやそんなのありえないからーとネット上でも意見は割れていた。――—何が正解なんだ?

 

「ケイ、何読んでいるの?」

 小貝シャオベイが立っていた。

「西安、敦煌、ウルムチ…ってここ行こうとしてるの? 一人じゃ危なくない?」

 わたしはがたがた震えながら、

「…いや二人ならもっと危ない」

と答えた。

「え?」

 自分を止められる自信はない。



「あつ子、どういうことなんだ一体?」

 熱を出したように火をく頭を抱えて、ソファに突っ伏す。革張りのソファの冷たい生地きじ火照ほてったおでこや頬に当たって気持ちいい。3つ下の妹のあつ子に相談している。

「旅行ぐらい行けばいいじゃん?」

「いや…行ったらわたしの理性は吹っ飛ぶって」

「やめてよね、そういうの兄弟に言ってくんの~。まあわかるけどさあ」

 自分と姉妹であるが、見た目は全く似ていない。よく友達だと誤解されるほどだ。そして、妹はアイドルにいそうな、丸顔で万人愛されたぬき顔だ。美人ではないのだが、こういうルックスの人間は本当にモテる。下手な美人よりもよっぽど。たぶん「オレあの子イケんじゃね?」って思わせる程度のルックスだからだ。もうその時点で奴の術中にはまってる。おっとりとした物腰で適度に相手を持ち上げつつ、そんな見た目してスポーツ万能で、男子と遊んでも引け目をとらない。もうこれで完全に奴の手の中へ落ちていく。わたしは難攻不落に思われた数々の男子たちが骨抜きにされ陥落していく様子を間近で見てきた。


 あつ子と一緒にいると、人間万事見た目が大事と思わされるのと同時に、人間の中身って外見よりももっと複雑だなって身につまされる。

 ちなみに麗香とはしょっちゅう恋愛相談していたが、わたしと麗香の戦術は基本的に『寄り切り』しか持たぬ種族ゆえ、今回はあつ子に相談した。


「あんたなら行けるの?」

「行けるけど」

「そういうもん?」

「てかさ、その翼くんのこと、けいちゃんは好きなわけでしょ?」

 顔の温度が更に上がる気がした。

「純情ぶらないでよ」

「…うるさい」

 今まであまり考えない様にしていたことだ。本来は遠い存在だし、今ただ一緒にいる期間が物理的に長いだけだと思っていた。でもなんで一緒にいるんだろう。バイトもサークルも就活も。わたしから近づいたことはなかった。それって——?

 わたしは頭を抱えた。都合のいいように解釈しようとしてる。そんなわけない、そんなわけない。


 ふいに前に電車の中で楽しい話をしてあげた時を思い出す。

 ほんの一瞬だけ目が合った。その時の翼の甘えた視線。

 あの眼でもう一度見られたらわたしはもうだめかもしれない。わたしは斜め下をにらみながら溢れ出そうな感情を抑える。顔がより赤くなるのを感じる。

「なんかあったわけ?」

「いやなんもない」

 本当に何もない。今は。

「てかさ、そもそも付き合っちゃえば問題ないわけじゃん? その問題って」

「付き合う…? わたしたちが?」

「普通のことじゃん、単純なことじゃん、オネーチャン?」


 

 

 

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