お勉強時間
この施設では手話デーという日があった。手話だけで話しましょうと言う日だ。
ろうの教育というのはその時代ごとによって大きく様相が異なる。昔は聴者としゃべれるように「口話教育」というものが主流で、ろう学校では手話を禁止にしていたらしい。聴者にろうが合わせる教育。それが90年代になり、ようやくろう者たちが“自分たちの言語”での教育のために、教育現場への手話導入を各地で訴えはじめた。2009年、ついに文部科学省は学習指導要領を改訂、そこに手話を初めて明記し、ろう学校でのコミュニケーション手段の一つとして認めたそうだ。ていうか、2009年って、つい最近じゃない?
その問題とともに人工内耳の普及という医療的な進歩も起こった。人工内耳により“話せるろう”が増えたのと同時に“手話ができないろう”というのも増えていった。
「この子たちに手話を覚えさせないとだめなの。この子たちはしゃべれるといっても結局は聴者と同じレベルにはなれない。かといって、このままだとろうでもない。どちらでもなくなっちゃうと子どもたちが苦労することになる」
ということで本日はわたしにとって魔の手話デー。意思疎通がもっとも困難になる日だ。
まず集まった段階ですでにがやがやしていた。よくテレビドラマでろうの子どもたちというのは静かに手話をしているイメージだが、わたしが知るろうの子どもたちは声が大きくて手話は補助的にしか使わないし、よく口でしゃべる。しかも聴者よりも声が大きくて、ニュアンス的なレベルで聴者とは話し方もちょっと違う。「ちょっと」などのクッション言葉をあまり使わないので、少しきつく聞こえるように感じるのだ。
集まった後はお勉強時間。宿題が終わったら遊んでもいいのだが、すぐさぼる子もいるので、根気よく鉛筆を握らせる。
"勉強してるじゃん"
と手話で訴えてくる。
わたしは自分の頬を人差し指でとんとんとつつく。
"うそだね"
「まだ鉛筆削ってるの?」
手話デーなので、小声で聞く。その子はずっと鉛筆を削っている。その姿はまるで職人のようだ。こういう子って、聴者で塾通う子とも一緒でいるんだよなあ。
「鉛筆“キンキン”にしたいの」
「え? キンキン?」
それはこの三河地方の方言で“鋭くする”という意味だった。
「ああ、“トキトキ”にしたいのね」
「ときときぃ? 何それ変なのー」
トキトキというのはわたしの地域での言い方だった。ちなみに最上級はトッキントッキン。
ろうの教育って何やってるんだろうと思いませんか? 答えは簡単。ほぼ聴者と同じです。もちろん手話教育があるので全く一緒ではないが、勉強する内容はほとんど一緒。使っている教科書も教材もわたしが使っていたものとほぼ一緒だった。でもこれがわたしにとってびっくりしたことの一つだった。
施設の中にも全く聞こえず、しゃべれないろうあの子どもがいる。その子たちの作文は接続詞が違ったり、文章的におかしい事が多々あった。それは彼らは普段使わない言語で書いているからで、外国語で書いているようなものなのだ。
そして音読の課題もある。音読を聞いて、最後にサインをしてあげる。ろうあの子にはさすがに音読させることはないが、たまにほぼ言っている意味が解らない子どもも頑張ってやっていた。
「うん? ピアニカ?」
一番びっくりしたのは、ピアニカ。なんと全く聞こえないろうあの子どもがピアニカを吹いていたのだ。
「え? 聞こえないじゃん?」
ろうは太鼓など体に響く音楽をやることはある。しかし、まったく聞こえない子にピアニカを教えてるなんて知らなかった。
「だって聴者と同じことを勉強するからねえ」
聴者と同じことを勉強するということはこういうことも含んだ話だったのだ。
まだ1年生の女の子は首をかしげながらピアニカを吹いている。そりゃあ聞こえないんだからそうだよね…。すると、中学生や小学生の上級生たちが集まり、
「そうそう、いいよ」
「これこれ、これ押して」
と外国のおもちゃのような色とりどりの補聴器や人工内耳をみんなで突き合わせ、耳をそばだててピアニカの音色を聞く。みんなで音楽を作り上げていった。
参考資料 NHK ハートネット 手話と口話-ろう教育130年の模索-https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/rounan/430/
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